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文目が黙って考えを巡らせながら、ふと視線を感じて顔を上げてみると、楠が自分の方をジッと見ていた。
楠はどうしてこんなに自分のことをジロジロと見て来るのだろう、と文目が思っていると、楠は文目から視線を逸らした。
「――あーっ、やっぱり和服って窮屈だよな。俺、着替える」
「えっ? 着替えるんですか? じゃあ、私……」
文目は書斎で楠が着替えるのだろうかと思い、慌てて楠に背を向けると書斎を出ようとドアノブを掴んだ。
すると、文目の後ろから楠の手が伸びて来て、ドアノブを掴んでいる文目の手を包み込むように楠の手が掴んできた。
文目は鼓動の音が楠に聞こえるのではないかと思えるほど、胸をドキリとさせた。
「ここで着替えるワケないだろう? 俺、寝室行って着替えて来るから、お前は次の講座の準備でもしてろ」
楠はぶっきらぼうな口調とは裏腹に優しく文目の手をドアノブから離し、そして、文目からも手を離すと、ゆっくりとした足取りで書斎の方を出て行った。
文目は楠が書斎を出て行くのを、ただ茫然として見てた。
楠の背中が寝室である廊下の一番奥の部屋のドアの向こうへと消えてなくなると、文目はやっと我に返って、ジッと自分の手を見つめた。
さっき、楠に掴まれた手を、ジッと見た。
(――やだ、私。『次の講座の準備でもしてろ』って言われたのに、準備しなくちゃ)
文目は慌てて手を伸ばして書斎の机の上の資料を取ろうとしたが、伸ばした自分の手を見ると、どうしてもさっき楠に手を掴まれたことを思い出さずにはいられなくなってしまった。
(――別に、深い意味なんてないんだろうし)
ただ単に勘違いをして書斎を出て行こうとした自分を引き留めるために、手を掴んだだけなんだから。
ただ単に、それだけだ……。
文目は自分に言い聞かせるように心の中で呟き続けた。
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