3 SWEET DREAMS(スウィート・ドリームス)

29/39
前へ
/173ページ
次へ
 もしかすると、用事が終わったら連絡が来るかもしれない。文目はそう思いながら一日を過ごしていたが、夕方になって銀葉館を閉める頃になっても、藤子からの連絡はなかった。  結婚式のスピーチはほとんど出来上がっているが、藤子と最後に会った時、「もう少し内容を練ってみたいので、次週また見てもらっても良いですか?」と藤子が言っていたから、何かしら連絡がありそうなものだが……。 (――梨木さん、どうしたんだろう?)  銀葉館の全ての片づけを終わった文目は、二階の階段の脇に置いてある固定電話を見ながら藤子から電話が来るのを待ったが、電話はとうとうかかってこなかった。  文目は諦めると自室の三階へ行き、いつも使っているショルダーバッグに財布やスマホなど最小限のものを入れて、そっと階段を降りて銀葉館を後にした。  いつも通り、「幽霊」を探しに行くために……。 *  新潟の夜の街を「幽霊」を探しながらあてどなく歩いていた文目は、急に空腹を覚えた。  今日は一日藤子のことが気になってあまり食事を摂っていなかったような気がする。  文目がふと前を見ると、新潟でも有名なパン屋の看板がライトに照らされているのが見えた。  ここのパン屋さん、確か19:30までやっていてイートインも出来たな……。思いながら文目は吸い込まれるようにパン屋の方へと歩いて行った。  パン屋の扉をくぐると、店員の「いらっしゃいませ」の声と共にパンの香ばしい香りが文目の身体を包んだ。  閉店に近い時間、と言うことでパンの種類こそ少ないが、それでもいくつか美味しそうなパンが残っていて、文目は瞳を輝かせた。  文目はパン屋のパンが大好きだった。パンの香ばしい香りをかぐと、いつも何とも言えないホッとした気持ちになる。  新潟に来てからもいくつか有名なパン屋をハシゴしたし、高崎にいた時も気になるパン屋には良く足を運んだ。  高崎にいた時は、休みの日にパン屋へ行き、パン屋のイートインのコーナーや近くの公園で一人でパンを食べる時が、文目の唯一ホッとする至福の時間だった……。  文目はメロンパンを選ぶと、サービスで出されるコーヒーと一緒にイートインのコーナーで食べた。  人がまばらな店内の窓ガラスに写った自分の姿を見て、文目は小さなため息を吐いた。  藤子からは結局連絡は来なかったし、相変わらず今日も「幽霊」を探し出すことはできなかった。  銀葉館での日々は充実している。仕事も楽しくてやりがいもあるし、柊は申し訳ないほど自分に良くしてくれるし、四柱推命のお客様や生徒さんも良い人が多い。  銀葉館に来るお手伝いさんも良い人だし、楠も何だかんだ言って優しい。  高崎にいた時の自分とは比べ物にならないほど、自由に楽しく時間が過ぎて行く。  でも、いくら楽しく時間が過ぎて行くとは言え、それなりに悩みみたいなものは付きまとうものなのだな、と文目は思った。  すぐに見つかるだろうと思っていた「幽霊」はずっと見つからないままだ。  時々、無理難題を吹っかけて来たえりという女性みたいな存在もいないわけではない。  本当に急用があるだけかもしれないが、藤子は二回も四柱推命の講座を休んでしまっている。  柊が自分のことをどう思っているのか、イマイチわからない。  楠が自分の頭を撫でたり、自分の手を掴んできたのも、あれは何か意味があることなのだろうか……。
/173ページ

最初のコメントを投稿しよう!

45人が本棚に入れています
本棚に追加