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文目はコーヒーを飲みながら、またため息を吐いた。
自分の手元を見ると、父親からもらったゴールドの腕時計が店内の暗めの照明に照らされて、静かに光っている。
文目は突然、父親が懐かしくなった。
父は今、何をしているのだろうか……。
文目はしばらく腕時計をぼんやりと眺めていたが、やがて何かを断ち切るように首を横に何回か振ると、もうとっくに食べ終わったメロンパンの乗っていたトレイを持って席を立った。
もうそろそろ閉店だから、店を出なくてはいけない……。
今日も「幽霊」は見つからなかったし、このまま帰ろう。文目がそう思って店の窓の方に何気なく目をやると、窓の外を誰かが横切って行くのが見えた。
(――あれっ?)
文目は慌ててトレイを返すと、窓の外を通って行った人物を追いかけに店を出た。
「――梨木さん! 梨木さん、ですよね?」
文目は歩道を俯きながら足早に歩いている人物に追いつくと、慌てて声を掛けた。
文目の前を歩いていた藤子は立ち止まると、文目の方を振り返った。
藤子は文目にビックリしたような表情を見せたが、すぐに顔を前に向けると、そのまま再び足早に歩き始めた。
藤子の足取りは、明らかに文目から逃げようとしているような速さだ。
(――梨木さん、どうしたの?)
あんなに足早に逃げようとするなんて、藤子に何があったというのだろうか。
柊の四柱推命講座を休んだのが急用であれば、藤子は別に自分から逃げることはないだろう。
むしろ、藤子の性格であれば「ご心配おかけしてすみませんでした」と言って来るはずだ。
と言うことは、藤子が柊の四柱推命の講座を休んだのは、柊もしくは自分に何か後ろめたいものがあったからだということなのだろうか。
文目は自分が感じた「胸騒ぎ」はこれだったのだ、と思った。
文目は自分から遠ざかっていく藤子を反射的に追いかけようとしたが、足を止めた。
藤子は自分から逃げようとしているのだ。
何があったのかわからないが、藤子は自分に会ったり話したりするのが気まずいのだろう。
どうして気まずいのか、結婚式のスピーチはどうするのかは気にはなるが、今は藤子の気持ちを尊重して、このまま追いかけるのを止めた方が良いのではないだろうか。
文目は遠ざかっていく藤子の背中を見つめたまま考えたが、ふと自分の左手首に静かに光っているゴールドの腕時計が目に入って来た。
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