「弟編 帰れない」

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「今日はなんだか、いろいろなことがあったな……」   貸し与えられた浴衣に身を包んだ僕は、椅子にもたれて呟いた。  服はまだ乾いておらず、脱衣所の片隅に鎮座したヒーターので干している。  自称神のイケメン不審者に、彼の怪しげな予言。そしてあの少女との遭遇。  普通の休日になるはずが、こうも振り回される日になるなんて……なんだか幸先が悪い。  そんな事をぼやいていると、女湯の暖簾が揺れ、満足げな表情の少女が出てくる。 「はぁ、良いお湯でした。おや、先に上がられてたのですね」  彼女の方も服がまだ乾いていないのか、可愛らしい矢絣(やがすり)模様の浴衣をまとっていた。  僕の隣に腰を下ろすと、少女は「あ!」と声を上げた。 「そういえば、まだ名前言ってませんでしたね」 「ああ……」  寒さと、色々なことに気を取られてすっかり忘れていた。  少女は深々と頭を下げると、力の入った声で言った。 「私は篠崎 律(そのざき りつ)と申します!本日は温泉代を立て替えていただき、誠にありがとうございます!」  お、おおう……ずいぶんと迫力ある自己紹介だな。  あまり人がいなくて良かった……と、内心ホッとする。  この人といると、注目されてしかたがない。 「ど、どういたしまして……僕は八栄三峰です」  苦笑を浮かべつつ挨拶を返すと、篠崎は嬉しそうに「はい!」と答えた。 「それにしても、こんなところに銭湯があったなんて……いやはや、地元でもまだまだ探索のしようがあります!」 「地元って、ここら辺に住んでるんですか?」  僕が訊ねると、篠崎は自慢げに胸に手を当てた。 「ええ! 昨日から住人になりした!」  そりゃ知らんでしょうよ。まだなりたてじゃないか。 「八栄くんは、地元の方なのですか?」 「ええ」  篠崎は「ほぇ〜!」と感嘆の声を漏らす。 「こんな町に住めるなんて羨ましいです!」 「あ、あなたもここの住人になったんでしょう……?」  僕の指摘に、篠崎は顔をポッと赤く染め上げた。 「は! そうでした!」  やっぱり、お馬鹿なのかな。この人……。 「それにしても、寺町(ここ)は本当にいい町ですね」 「そうですね」と、僕は相槌を打つ。  すると、篠崎がロビーのある一点をボーッと見つめたまま固まった。 「どうかしましたか?」  目線を辿ると、自販機の前で豪快に瓶牛乳をあおる女性がいた。妙に既視感があると思ったら、その女性は先ほどのカフェの店員さんだった。  なぜバットを片手に持っているのか謎だが、とりあえず仕事終わりらしい。 「ジュルリ……」 「………飲みたいんですか?」  そこでやっと我に返った篠崎だが。 「え!? あ、いや全然!」と言いつつ、目線は自販機に吸い込まれたままだ。  カウンターから、憶えのある視線を感じる。  またか……あの人、本当に謎だな。 「誤魔化し切れてませんよ。何が良いですか?」  僕は席を立ち、財布を取り出した。 「かたじけない……じゃあ、ミックスジュースで………」  ポンッと瓶の蓋を開ける音が二つ響いた。  一気に半分くらい飲み干した篠崎が、おっさんのように「ぷはぁー!」と笑顔になる。  そんな彼女を横目に冷たい瓶に口をつけると、さまざまなフルーツの香りが鼻を抜けた。  牛乳と果物を混ぜるなんて奇行を誰が思いついたのか知らないが、きっとその人は天才に違いない。 「うん、美味い」 「ですね!私、ミックスジュースを考えた人は天才だと思います!」  妙なところで気が合ってしまったが、この人と思ってることが同じだとは、正直言いたくない。 「あ!ジョセフィーヌ!」  篠崎が指さした方に目を向けると、見覚えのあるキャラクターの描かれたポスターがあった。  台形の白い綿埃(わたほこり)にギョロ目と猫耳をつけたような生物。最近巷で流行っている、『ジョセフィーヌ森』という漫画のメインキャラクターだ。  作者が寺町出身ということもあり、町おこしの一環として、町中にこのようなポスターが貼られまくっている。  電柱という電柱にいるため、おかげで夜道がいつもより怖い。 「好きなんですか?」 「ええ!最近では、家の埃にジョセフィーヌって名前付けてます」 「それはどうなんだろう……」  ジュースを飲み終え、時針が12を過ぎ始めた頃、篠崎が思い出したように言った。 「そろそろ乾いた頃でしょうか?」 「見てきましょうか」 「はい、乾いてたら着替えてきますね」  僕たちは再び、それぞれの暖簾をくぐった。  閑散とした脱衣所の隅にかがむ。  ハンガーにかけた服に手を触れると、先程の湿り気は消え失せていた。 「うん、乾いてる」  すると、衣服の隙間から便箋が一枚落ちた。 「ん……なんだろう、これ?」  白地にカラフルな花のベクター飾りが施された、なんとも乙女チックなデザインだ。  全く心当たりのないまま著名を見て、危うく便箋を落としかける。  『神社で待ってる。アメノより♡』 「ば、バカな……」  しかもハート付きなところが、より気色悪い。  これがあるということは、アメノがここに来ていたということになる。  いつのまにロビーを通ってたんだ?  あの存在するだけで喧しそうなあいつがいたら、気付かないはずがない。  しかもさっきの女性。あの人は確か、アメノとは知り合いのはず。  その時、引き戸の向こうから嫌に美しい鼻歌が聞こえてきた。 「……っ!?」  まさか、風呂に入ってるのか……!?  確認すべきか……いや、行ったら確実に絡まれる。ならば、ここで僕がすべき行動は一つ。  僕はそっと、音を立てずに着替えを済ませ、手紙をその場に置き直した。 「僕は何も見なかった」  胸中でそう呟き、そのまま忍び足で脱衣所を後にした。
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