「家族編 いつも?の八栄家」

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「家族編 いつも?の八栄家」

 少し堪能するつもりが、気がつけば1時間も経っていたことは言うまい。  若干残っている眠気を欠伸(あくび)で発散しつつ、僕は部屋を出た。  廊下の冷たさに顔を思いっきりしかめていると、ふと違和感を覚えた。  リビングの方から、芳ばしい香りがしてきたのだ。  一秒もかからず状況を理解した僕は、急ぎめにリビングのドアを開け、キッチンへと向かう。 「おはよう、三峰」と、こちらに春の陽気の如き温かい笑みを向けたのは、我が家で最年長の兄。優真(ゆうま)だ。 「ごめん兄さん……寝坊してしまった」  僕が欠伸を噛みしめてそう言うと、兄さんは「気にしなくていいよ」と首を横に振る。  両親が不在気味の我が家では、家計と家事を僕が担当している。しかし冬休みだからといって、のんびりし過ぎたようだ。 「そろそろ出来上がるから、座ってて」  僕は「はーい」と返事をし、ダイニングから兄さんのモジャモジャ頭が揺れるのを眺めた。  黙っていればイケメンなのだが……。  自慢じゃないが、兄さんは顔で食べて行けるくらい非常に整った容姿をしている。まだ24歳だし、性格もいい……おまけにハイカラなカフェの経営者だなんて。世の女性たちからしたら、とんでもない優良物件だろう。  しかし彼には、そんな美点を跡形もなく焼却してしまうほどの欠点があるのだ。 「お待たせ〜」  兄さんがそう言ってテーブルに置いたのは、こんがりと焼き目のついたフレンチトーストだった。 「いただきます」  僕は手を合わせてから、トーストにシロップをかけた。湯気が立つ狐色のトーストに、琥珀色の半透明がトロリと乗っかる。  ナイフの重みだけで切れるほどの柔らかさに少し幸福を感じつつ、それを口に運ぶ。  次の瞬間、口の中に予想とは正反対の味が広がった。  僕は、かすれ声で兄さんを睨む。 「兄さん……これ、砂糖と塩を……間違えてる」  そう。兄さんはドジなのだ。 「あ、ごめんっ!すぐ作り直すね」  しかも、ただのドジではない。この男は、恐らく世界で最もドジな人間だ。 「いや、いいよ……」  そう言いかけたところで、ガシャリ!と大きな音が響いた。  キッチンに向かった兄さんが、転んだ拍子に皿を何枚か落としたらしい。 「兄さん……」  そして、今度はより一層大きな音がして。 「うわぁっ!?」 「兄さんっ………」  3歩歩けば何もないところで転び、キッチンに立とうものなら食器類を片っ端から粉々にしていく。もし、押したら世界が滅ぶボタンを渡そうものなら、2秒で"うっかり"押してしまうだろう。それなのに本人は全く怪我をしたことがないのだから、不思議である。  この男、八栄優真はそういう男だ。  これが、我が家での食事を僕が作っている理由の一つであることは、言うまでもない。  世界の前にキッチンを破壊されたら困るので、料理は結局、僕がかわりに作った。  今度こそしっかり甘いフレンチトーストを口に含み、僕は安堵に口の端を緩めた。  兄さんはというと、自らが失敗した分も涙目になりながら頬張っている。 「無理しなくていいのに」 「別に無理じゃないよ。でも食べなきゃ、せっかく作ったフレンチトーストたちが可愛そうだよ」 「お、おう……?」  兄の擬人法的な返しに困惑していると、リビングのドアが開いた。 「おはよぅ〜……」  欠伸の混じった声で入って来たのは、妹の小姫(こひめ)だ。 「おはよう」 「おはよう、小姫ちゃん!」  さっきまで兄の眉間に寄っていたシワが、一瞬で退散した。 「ゆう兄ちゃん……朝からうるさい……」 「うぐっ………」  妹の口から飛び出した鋭利な言葉は、見事に兄さんの心を抉ったらしく、消え去った眉間のシワたちが、さっきの倍の数を率いて戻ってきた。  いつものことながらも、妹の言葉の切れ味には一抹の恐怖を感じざるおえない。  ドンマイ、兄さん。  いろんな意味でしょっぱいフレンチトーストを嚥下する音が、悲しげに響いた。
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