「弟編 プロローグ」

1/2

14人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

「弟編 プロローグ」

 八栄三峰は努力の愚者であった。誰からの期待にも応えようと躍起になって、挙げ句の果てに失敗し、周りから見放された。全く自分のことでも笑えてしまう。  なんてバカなんだろう。自分は頑張ればなんでもできる方だと痛々しく自負し、自分のできることと、できないことの判別を疎かにした。  だが、そんな僕はもういない。  もう他人のために、わざわざ骨を折るようなことはしないと決めたのだ。  友人も少なくていいし、恋も青春もいらない。  自分を守るため、ひいては本当に骨を折るべき家族のために。  これは、とある兄姉弟妹の弟の物語。  春の朝というのは趣があって良いものだ。  寒過ぎず、暑過ぎない。風の中に微かにある花の香りには、心の内にある詩人的な思考が刺激される。たぶんこれで一筆したら、さぞ立派な黒歴史が生まれることだろう。  満開の桜の下を歩く中、そんなことくだらないことを思ってみる。  休日朝の散歩は、最近のマイブームだ。  川に沿ってしばらく下っていくと、三角州に出た。休日は恋人や家族連れで賑わう、この街の住人たちの憩いの場だ。  がしかし、春休みとはいえ一般的には今日は平日だからか、人は全く見当たらない。  どれ、たまには飛び石で遊んでみるのも良いだろう。  僕はそう思い立ち、川を切り裂くように作られた三角形の頂点へ向かった。  "それ"は、近所にある三角州の頂点にぶっ刺さる形で打ち上げられていた。 「なんだ、これ……」  "それ"こと地面に倒れた男は、長い白髪を砂利になびかせ、長い手足を大の字に広げて寝ている。  怪談じみた光景に、一瞬だけ思考が止まる。  そっと、乱れた前髪を除けると、少年のようなあどけない寝顔が見えた。しかも、なかなかに整った顔つきだ。  僕はまず、死人でないことにホッと胸を撫で下ろし、その場にあぐらをかく。 「……うん、一旦落ち着こう」  人は得体の知れないものに出会うと、逆に心が凪ぐようだ。自分でも、どうしてこんなに落ち着いているのかわからない。  しかし、なぜこんなところに白髪イケメンが転がっているのだろうか?  怪事件じみた事柄に首を突っ込む気は毛頭ないのだが、ひとまず起こしてやらねば。  と、手を男の肩に伸ばした途端。 「うはぁっ!?」とすっとんきょうな声を上げながら、男が勢いよく上半身を起こした。  それにつられて、驚いた僕も後ろに飛び去る。 「……だ、大丈夫ですか?」  僕が訊ねると、男は苦笑して。 「いや、死ぬかと思ったぁ……」と砂利のついた頭を掻いた。 「まさか川で遊んでたら、空から赤べこが降ってくるなんて」  笑いながら赤べこを持つ彼に、僕は唖然とする。  なんだこの人……というか、どうして赤べこ? 「それより、君がボクを助けてくれたのかい?」 「え、いや ーー」 「ありがとう!!いやぁ、春とはいえどまだ寒いし、ここで助けてもらえなかったら死んでたよ!あはは!」  僕は何もしてないんだが……と言う隙を与えられず、ただマシンガンのように言葉が射出されてくる。  というか、川遊びには早くないか? 「だ、大事ないなら、何よりです……」  とりあえず、なんかヤバそうだなこの人。早めに話を切り上げて、ここから退散しよう。 「じ、じゃあ僕はここで……」  そう言い残し立ち上がった瞬間、手首を掴まれ重心がぶれる。 「ちょっと待って!」  僕は男の声が聞こえないふりをして、全体重を前にかける……がしかし、ビクともしない。  ゆっくり後ろを振り向くと、男は獲物を捕まえた肉食動物のような微笑みを浮かべた。 「ボクの拘束からは逃れられまい、八栄三峰くん」 「なっ!?」  こいつ、どうして僕の名前を!?  知り合いでもなければ、教えたわけでもないのに名前を呼ばれると、ここまでドキリとするのか……気持ち悪いな。 「ふふっ。信じられないって顔をしているね」  男は掴んだ手を離さずにヨイショと立ち上がり、爽やかな笑みを作り出した。 「もしよければ、この後ボクとお茶しないか?いい店を知っているんだ。なんならケーキを奢ってあげよう」
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加