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「弟編 プロローグ」
八栄三峰は努力の愚者であった。誰からの期待にも応えようと躍起になって、挙げ句の果てに失敗し、周りから見放された。全く自分のことでも笑えてしまう。
なんてバカなんだろう。自分は頑張ればなんでもできる方だと痛々しく自負し、自分のできることと、できないことの判別を疎かにした。
だが、そんな僕はもういない。
もう他人のために、わざわざ骨を折るようなことはしないと決めたのだ。
友人も少なくていいし、恋も青春もいらない。
自分を守るため、ひいては本当に骨を折るべき家族のために。
これは、とある兄姉弟妹の弟の物語。
春の朝というのは趣があって良いものだ。
寒過ぎず、暑過ぎない。風の中に微かにある花の香りには、心の内にある詩人的な思考が刺激される。たぶんこれで一筆したら、さぞ立派な黒歴史が生まれることだろう。
満開の桜の下を歩く中、そんなことくだらないことを思ってみる。
休日朝の散歩は、最近のマイブームだ。
川に沿ってしばらく下っていくと、三角州に出た。休日は恋人や家族連れで賑わう、この街の住人たちの憩いの場だ。
がしかし、春休みとはいえ一般的には今日は平日だからか、人は全く見当たらない。
どれ、たまには飛び石で遊んでみるのも良いだろう。
僕はそう思い立ち、川を切り裂くように作られた三角形の頂点へ向かった。
"それ"は、近所にある三角州の頂点にぶっ刺さる形で打ち上げられていた。
「なんだ、これ……」
"それ"こと地面に倒れた男は、長い白髪を砂利になびかせ、長い手足を大の字に広げて寝ている。
怪談じみた光景に、一瞬だけ思考が止まる。
そっと、乱れた前髪を除けると、少年のようなあどけない寝顔が見えた。しかも、なかなかに整った顔つきだ。
僕はまず、死人でないことにホッと胸を撫で下ろし、その場にあぐらをかく。
「……うん、一旦落ち着こう」
人は得体の知れないものに出会うと、逆に心が凪ぐようだ。自分でも、どうしてこんなに落ち着いているのかわからない。
しかし、なぜこんなところに白髪イケメンが転がっているのだろうか?
怪事件じみた事柄に首を突っ込む気は毛頭ないのだが、ひとまず起こしてやらねば。
と、手を男の肩に伸ばした途端。
「うはぁっ!?」とすっとんきょうな声を上げながら、男が勢いよく上半身を起こした。
それにつられて、驚いた僕も後ろに飛び去る。
「……だ、大丈夫ですか?」
僕が訊ねると、男は苦笑して。
「いや、死ぬかと思ったぁ……」と砂利のついた頭を掻いた。
「まさか川で遊んでたら、空から赤べこが降ってくるなんて」
笑いながら赤べこを持つ彼に、僕は唖然とする。
なんだこの人……というか、どうして赤べこ?
「それより、君がボクを助けてくれたのかい?」
「え、いや ーー」
「ありがとう!!いやぁ、春とはいえどまだ寒いし、ここで助けてもらえなかったら死んでたよ!あはは!」
僕は何もしてないんだが……と言う隙を与えられず、ただマシンガンのように言葉が射出されてくる。
というか、川遊びには早くないか?
「だ、大事ないなら、何よりです……」
とりあえず、なんかヤバそうだなこの人。早めに話を切り上げて、ここから退散しよう。
「じ、じゃあ僕はここで……」
そう言い残し立ち上がった瞬間、手首を掴まれ重心がぶれる。
「ちょっと待って!」
僕は男の声が聞こえないふりをして、全体重を前にかける……がしかし、ビクともしない。
ゆっくり後ろを振り向くと、男は獲物を捕まえた肉食動物のような微笑みを浮かべた。
「ボクの拘束からは逃れられまい、八栄三峰くん」
「なっ!?」
こいつ、どうして僕の名前を!?
知り合いでもなければ、教えたわけでもないのに名前を呼ばれると、ここまでドキリとするのか……気持ち悪いな。
「ふふっ。信じられないって顔をしているね」
男は掴んだ手を離さずにヨイショと立ち上がり、爽やかな笑みを作り出した。
「もしよければ、この後ボクとお茶しないか?いい店を知っているんだ。なんならケーキを奢ってあげよう」
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