「弟編 プロローグ」

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 程なくして、僕たちは駅中の喫茶店に到着した。断じて、ケーキにつられて来たわけじゃない。  店内には数えるほどしか客がおらず、BGMとしてかかっているジャズがしっかりと耳に入ってきた。  先ほどから、やけに人と会わないと思っていたが、近くで催し物でもあるのだろうか?  周囲を気にしている僕をよそに、向かい側に座った男は、注文したケーキセットを撮影している。 「で、誰なんですかあなた。なんで僕の名前を知ってるんですか?」  そもそも、あの河原に寝そべってた時点でおかしかったのだ。  僕は警戒心剥き出しで訊ねた。 「まぁまぁ、そう急がなくていいじゃない」  軽くあしらわれ、僕の腹の底に赤々しい何かが溜まる。 「人を勝手に連れてきてなんですかそれ?」 「ついてきたのは君だろう?」 「それはアンタに手を掴まれてからだろう……!」 「あはは!そういえばそうだったね」 「チッ……」  ここぞとばかりに舌打ちをして睨むと、男は戯けたように肩をすくめた。 「ごめんごめん。ジョークだよ、ほらケーキあげるから」  小皿に乗せられたショートケーキを眺め、僕はしぶしぶ機嫌を治した。 「それで、本当に何者ですかあなた」 「ふふん……聞いて驚くことなかれ」  僕がケーキをフォークで刺し訊ねると、男は得意げな様子で口角を上げる。 「ボクはアメノ。この町の神様さ」  想定外すぎるセリフに、目測誤ってケーキが鼻の下にくっついた。 「………は?」 「驚くなっていったのに……ぷっ、クリームついてるよ?」  いや、これは驚きというより、呆れだ。  僕はクリームをティッシュで拭き取ると、笑いを堪えているアメノに向き直った。  シンプルな白いシャツに、ややダメージの入ったジーンズ。唯一、白髪なのは気にかかるが、神様のイメージとはかけ離れたラフな格好に、僕の口からポツリと本音が溢れる。 「………いや、全然見えない」 「えぇぇぇぇ〜!?どこがぁ!?」 「うるさいですよ……」  第一、こんな変なのが神様だったら日本終わってるだろう……。  そんな胸中を垣間見たように、アメノはムッと眉間にシワを寄せる。 「あ、君……今失礼なこと思ったろ」 「いいえ、思ってませんよ〜」  なんだこの人、面倒くさいな。突然お茶に誘った上に、自分は神様だとほざくなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある。 「……まぁいいさ。自分に神様っぽさがないのは重々承知だし」  あ、自覚はしてるんだ……。  僕は真っ先に思いついた疑問を突きつける。 「もし仮にあなたが神様だったとして、どうして僕にそれを言うんですか?」  アメノは鼻を鳴らすと、人差し指をピンと立てた。 「君がボクを信じるなら答えよう」  なんだそれ……。  あからさまに嫌な顔をする僕に、彼は余裕と優しさを感じる笑みをうっすら浮かべる。それが余計にうっとうしい。 「……まぁ、急に信じろって言うのも無理な話だよね」  僕はしかめっ面のまま、勢いよく首を縦に振った。 「でも心配はいらないよ。君はすぐにボクのことを信用するさ」 「それはどう言う……」  戸惑う僕を置いて、アメノは声のトーンを落とし語り始める。 「これは占じみているんだけど、ボクはその人の過去と未来を見ることができる」 「……へぇ」  この上なく胡散臭いな。 「まず、あそこの老人客」  アメノがそっと目線で示したのは、優雅にお茶を飲むなんの変哲もないちょび髭のお爺さんだ。 「普段はあんな感じだけど、実はボディービルダーの大会で優勝しまくってる」  いや、うん……それもう知ってる。  彼はこの町のメインストリートに店を構えている、カフェのマスターだ。実際、彼の店にはムキムキの男を(かたど)ったトロフィーがいくつもある。  おまけに、同じくカフェの経営者である僕の兄とよく話しているため、まぁまぁ顔見知りなのだ。  僕のすっかり冷めた目を気にも留めず、アメノは話を続ける。 「次はあの店員の女性」  今度は、食器を運ぶショートヘアの女性に視線を移した。 「彼女はあんなに可愛らしい見た目だけど、3日前に上司にブチ切れて机や椅子をひっくり返し、思いっきりその上司を殴った……あれは恐ろしかっ……」  そこまで言うと、先程のショートヘアの女性店員がこちらの席へ歩いてくるのが見えた。 「お客様」  凛としつつも可愛げのある声だが、その中には、腹の底が冷えるような恐ろしさをはらんでいるように聞こえた。  その声にアメノは肩をビクッと震わせ、恐る恐るといった感じで店員に顔を向ける。 「な、なんでしょうか……」 「あまり、他のお客様の情報を漏らさないでくれますか?迷惑ですので」  声には凄まじい覇気があるというのに、笑顔は完璧なのがまた不気味だ。 「す、すみません……」 「もし次そんなことがあったら……今度こそ、その首をねじ切りますから」  なんて大胆かつ物騒なことを言う人なんだろうと、他人事ながら思った。  すっかり萎縮したアメノが「すみません……」とかすかに答えると、女性店員はとびきり可愛らしい笑顔をこちらに見せて、厨房へと歩いていった。  心なしかその後ろ姿は、どこかスッキリしたように見えた。 「知り合いですか?今の人」 「………いや、知らない……知りたくない」  もう完全にダメだな、この人。  机や椅子ごとガタガタ震えるアメノには、ため息すら出ないくらいの呆れを感じる。 「とりあえず、落ち着きましょう。あんまりガタガタ言うと、またさっきの人に文句言われますよ?」  僕の一言に素早く反応したアメノは、そうだね……と呼吸を整えた。  しばらくすると、体の震えも止まり顔色も元に戻った。 「さて。落ち着いたところで本題に戻るとしよう」  戻るのか……。  僕の様子を見て、アメノは苦笑する。 「あはは……全く信用されてないね」 「さっきのやり取りを見て、信用する方がおかしいですよ」 「それはごもっともです……」  アメノは、痛いところを突かれたと言わんばかりに口をギュッと結ぶ。  ……はぁ、帰りたい。  そう思い、僕はふと窓の外に目を向けた。  今朝から少し怪しげだったが、本格的に蒼鉛色に濁ってきている。  これは一雨来るかもしれない。 「仕方ない。ここは最終兵器を出そうじゃないか」  覚悟のこもった声に目線を戻すと、手を口の前で組んだアメノがひどく真面目な表情を浮かべていた。 「また何かするんですか?別にやるのは良いですけど、他の人に迷惑かけないようにしてくださいよ」  実際良くないが、こっちは早く帰りたいのだ。もう面倒だし、適当に聞き流しておけば良いだろう。 「心して聞くがよい。今から君に起こる出来事を予言して進ぜよう」  おぉ、口調はそれっぽくなった。  内心そんなどうでもいいことに感心していると、アメノは僕に耳打ちする形で顔を近づける。  言い終わると、僕の口から一拍遅れて「はい?」とこぼれ落ちた。  次の瞬間。厨房からの冷たい視線を感じ取ったアメノが、ひどく慌てた様子で席を立つ。 「じ、じゃあ、ボクそろそろ行かないと!あ……あと当たったら神社に来てくれ!」  そう言い、彼は小走りでレジに向かった。  そこには、さっきの女性店員が笑顔で待っており、会計を済ませたアメノに何か耳打ちをした。  たぶん、「あとで覚悟しておけよ?」とでも言われているのだろう。  まるで嵐のような人だった……と、僕は安堵と疲労の混じったため息をつく。  窓の外には、混沌としていた空気をあらわすかの如く、どんよりとした雲が広がっていた。
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