春香の片思い。

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 春香は、テーブルに置かれた母の財布を指さして聞いた。少し不格好な星のカタチのキーホルダーが、ファスナーの金具に繋がれている。  大人が身に着けるには、随分子供じみている。  京子は娘の春香から見ても、カッコイイ女性だった。所謂キャリアウーマンで、若々しく、時には親友、姉妹のような存在。母に会った友人は皆、羨望の眼差しを向けた。だから、そんな母には、ひどく不釣り合いな気がした。 「あの子の形見なの。大好きだった男の子との思い出・・・。元は二つで一つの星のカタチをしていてね。」  母はそれを手のひらに乗せ、愛おしそうに見つめている。31年前の今日と同じクリスマスイブに、春香の叔母になる筈だった高校二年の彼女は駆け足でこの世を去った。  会計を済ませる母の財布についた形見のキーホルダーが、ゆらゆらと揺れている。店の入口の、格子戸から差し込む陽の光を受けて、その半身の星は、寂しそうに弱々しい光を放っている。  なんだか、片割れを探して泣いているみたいだと春香は思う。  店の入り口の木の格子戸にはめ込まれた、古びた擦り硝子の向こうを時折、ぼんやりとした輪郭の車のシルエットが通り過ぎてゆく。細かなヒビに、長い年月の滲みが入り込んだ足もとの土間の床。そこに広がる格子戸の、頼り無げな影を眺めながら、高校二年という若さで一人この世を去って行った、見知らぬ少女に想いを馳せる。  どんなに寂しく、怖かっただろうか。そして、少女だった頃の母も、どれだけ悲しんだだろう。こんな風に、穏やかな気持ちで話せる日が来るなんて思えない程、きっと。  さっき食べた、少女が好きだったという、うなぎの味。その鮮明な味覚の記憶が、少女を身近に感じさせて、春香を少しセンチメンタルな気持ちにさせる。少女のいた日々と、春香が生きる日々が交差し、目の前の格子戸の影のように春香の心の中で絡みついていく。 「お待たせ」  母の声に、日常の色が、匂いが戻ってくる。カラカラと、軽い音を立てて格子戸を開けると、穏やな通りの往来の音が飛び込んできて、春香の心はすっかり現実に引き戻された。  春香と母は、近くのバス停まで中乃川に沿って歩く。すぐ脇には、木々の間から穏やかな陽光を浴びてキラキラと揺らめく水面(みなも)が見えている。空の(あお)と、葉を落とし冬ごもりを決めた(ほとり)の木々が落とす枝のシルエットが川の流れに合わせて踊っている。  ふわりと、春の匂いをつれた暖かい風が春香の頬を撫でた。  いつもならワクワクする、そんな風を感じながら春香は少し切なくなっていた。  ただそれは、見知らぬ叔母の儚い人生に心を引き去られた為だけではなかった。中学の頃からクリスマスもバレンタインも、いつも大親友の楓と一緒に過ごして来た。だけど、今年のクリスマスは一人で過ごすことになりそうだった。心にぽっかりと穴が開いたような寂しさが春香の心の中を通り抜けていく。
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