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プロローグ
――1990年12月23日 中山競馬場
「ピークは過ぎているのかな。春に乗った時とは、明らかに違っている」
『平成の天才』武豊騎手は、調教でオグリキャップにまたがった時、こう感じたという。
場内では第9レース、有馬記念に出走する16頭が周回をはじめていた。
その中には、第二次競馬ブームの主役として活躍してきた、オグリキャップもいた。
しかし彼は、ここに来て明らかに調子を落としていた。
秋のG1戦線は、ベテラン増沢騎手を背に挑んだものの、秋の天皇賞は6着、ジャパンカップでは11着と大敗。かつての強さはもう失っているように思えた。
ファンからは「負けるオグリキャップはもう見たくない。有馬記念には出さずに引退してほしい」という声が聞こえてきた。
さらには「(有馬記念に)出すならオーナーの自宅と競馬場に爆弾を仕掛ける」と、JRAに脅迫状を送り付ける心無い者までいたのである。
そうでなくとも、故障して万が一、などということになっては元も子もない。陣営も有馬記念への出走を迷っていた。
しかしファン投票では1位となり、陣営はこのレースへの出走を決断した。
負ける姿は見たくないとまで言われた、彼の競走生活を振り返ってみよう。
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