1988年 『怪物』と【芦毛頂上決戦】

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1988年 『怪物』と【芦毛頂上決戦】

 1988年、公営の笠松競馬で通算12戦10勝をあげた後、4歳で中央競馬に移籍。3月のペガサスステークス(アーリントンカップの前身)で見事に追い込んで勝利をおさめた後、10月の毎日王冠まで破竹の快進撃で6連勝。その強さは「怪物」と呼ぶにふさわしいものだった。  しかし、初のG1挑戦となった秋の天皇賞では、同じく連勝街道を歩んでいた一歳年上のタマモクロスに敗れてしまう。  オグリキャップ陣営は打倒タマモを掲げ、ジャパンカップに挑むも折り合いを欠いて3着に終わった。  意地でもタマモに勝ちたい陣営は、この年の有馬記念、一度限りの約束で、関東の名手岡部幸雄に騎乗してもらうこととなった。タマモクロスはこのレースで引退が決まっており、倒すチャンスはここしか無かったのだ。  レースは終始5〜6番手を進んだオグリキャップが、最後に追い込んで来たタマモクロスを抑えて見事に勝利。悲願は見事に果たされた。この対決は、二頭がともに芦毛であったことから『芦毛頂上決戦』と呼ばれている。  この頃、バブル景気も相まって、世の中はオグリキャップを中心に、ハイセイコー以来の「第二次競馬ブーム」が巻き起こっていた。
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