1989年~1990年春 もう一頭の公営の星と、平成の天才のパートナーとの死闘

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1989年~1990年春 もう一頭の公営の星と、平成の天才のパートナーとの死闘

 1989年、陣営は大阪杯(当時はG2)から春の天皇賞、安田記念、宝塚記念と出走させるプランを立てていた。  しかし好事魔多し、2月に右前脚をねんざして大阪杯を回避。さらには4月には繋靭帯炎を発症し、春は治療に専念することになった。  馬の温泉で療養した後、7月中旬から調教を再開、ケガは順調に回復し、秋初戦はオールカマーに決まった。  鞍上は南井克巳。ここでもオグリキャップは終始4~5番手から直線伸びて快勝の横綱相撲。  以後、この年の全レースは彼が手綱を取ることになった。  次は毎日王冠。前年に勝利したこの舞台。後方からレースを進め、第4コーナーを迎えて一気にスパート。  直線では、公営(大井)出身で、この年の宝塚記念を制していたイナリワンとの激しい競り合いとなり、ハナ差交わしたところがゴール。  このレースは1989年のベストマッチ。のちに「伝説の毎日王冠」とも言われている。  陣営はこの次の舞台として、秋の天皇賞を選択。毎日王冠で僅差の2着だったイナリワンは調子を崩していると伝えられ、チャンス到来となった……かに見えた。  ところがレースでは他の馬たちにがっちりとマークされてしまい、前に出るのが遅れてしまう。この時先に抜け出していたのは前年の有馬記念で3位入線も進路妨害で失格(※)となっていたスーパークリーク。  この馬を交わすことができずに2着に敗れてしまう。1988年の菊花賞でも見せた、平成の天才、武豊とのコンビはまさに人馬一体であった。  レースが終わるとしばらくの間、オグリキャップは武豊をしばらくにらみつづけていたとも言われている。  普通なら次はジャパンカップ。となるところだが陣営はなんと、マイルチャンピオンシップからジャパンカップへ連闘するという仰天のプランを発表。  競馬ファンやマスコミの心配をよそに、マイルチャンピオンシップでは因縁の武豊が騎乗していたバンブーメモリーとの直線激しいたたき合いとなり、  写真判定の末オグリキャップがハナ差で勝利。武豊との戦いに勝った勢いで挑んだジャパンカップでは、ニュージーランドのホーリックスと、またも死闘を繰りひろげ、結局はクビ差の2着に敗れてしまったが、走破タイムは2分22秒2。これは当時の芝2,400mの世界レコードタイムと同タイムになった。  激闘に次ぐ激闘。さすがのオグリキャップも疲れが出たのか、この年の有馬記念は5着に敗れてしまった。  この時勝利したのはイナリワン。毎日王冠での借りを返されてしまい、さらにスーパークリークもハナ差の2着に入っている。  もしも完調であったなら……。ファンも陣営も相当悔しかったことだろう。  さて、1990年も現役を続行することになったオグリキャップ。この年はなんと9月にアメリカで行われるアーリントンミリオン(G1)に海外遠征する夢のプランが発表された。  海外G1なんて夢のまた夢と言われていた時代、ファンはオグリキャップならやってくれるかもと期待した。  まずは大阪杯で、と行きたいところだったが思うように調子が上がらず。やっと仕上がったころには出せるレースは限られていた。  陣営は実績のある1600mのG1、安田記念に狙いを定める。  鞍上は武豊が選ばれた。因縁の騎手だがさすがは平成の天才。2,3番手と前目の競馬から直線抜け出して鮮やかに1着でゴール。  さらには勝ち時計も1分32秒4と当時のレコードタイムをたたき出し、怪物の健在を世に知らしめた。  オグリキャップを終始マークしたヤエノムテキは健闘するも2着に終わっている。  次は宝塚記念。前走でコンビを組んだ武豊はスーパークリークを選択。最初のG1制覇をプレゼントしてくれたこの馬は、彼にとって特別な存在だった。  陣営は前年に46勝をマークした若手の成長株、岡潤一郎騎手をパートナーに据えた。  イナリワンもこのレースに出走。いわゆる「平成三強」が揃うとあってファンの注目は高まっていた。  しかし、スーパークリークは騎手が決まった後に脚部の故障を理由として回避してしまう。  本番では、オグリキャップは道中先を進んでいたオサイチジョージをかわせずに2着に終わってしまい、レース直後の検査で骨膜炎などを発症していたことが判明。海外遠征は中止となってしまった。    しかし、死闘の連続と数々の名勝負を繰り広げた彼の人気は高まる一方で、第二次競馬ブームのけん引役となっていた。  その頃には競馬場はかつての「鉄火場」の雰囲気から一転、老若男女問わず楽しめるレジャースポットへと変化していった。  ※ 当時のルールでは、ほかの馬を妨害した場合は被害馬の順位などにかかわらず、すべて失格扱いとされていた。
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