1 ジカード

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 アルゼが意識を取り戻し、凍り付く雪の冷たさと恐怖に身震いしていた。  しかし、体が動かない。 まるで石像のように体が固まっているのだ。 ザイアの香のせいで目を覚ましてもなお 体の筋肉を硬直させ、脳から体を動かすための指令さえも遮断している。 周りを見渡すと、無数の吸血鬼の死体がころがっていた。 「一体何が起きたの?」 少し遠くから、ブシュブシュという生々しい音がたった。 アルゼが音のする方に目をやると、 吸血鬼(ヴァンパイア)の死体の横で うずくまる影が不気味に蠢いて見えた。 アルゼは目を凝らすと、影の正体が血にまみれたジカードだと分かった。 しかし、少女は目を疑った。 ジカードは吸血鬼(ヴァンパイア)の体を鋭利な爪で斬り裂き、その間から溢れる(はらわた)と血を貪っていたのだ。 アルゼの背筋に激しい悪寒が走った。 そして、悲鳴を上げたくても声帯でさえも硬直状態であったためその口からは吐息だけが漏れていた。 体が動かせないまま、アルゼはグチャグチャというジカードが同胞を捕食する音にさらされていた。 ジカードが吸血鬼(ヴァンパイア)の死体を無造作に投げ出した。 紅い血に塗れたジカードは、腕に付着する返り血をなめている。 アルゼは悟った。 彼は優しい心を持っていようとも 中身は共食いもする本能がある怪物なのだと。 ジカードはアルゼに目をやり、そのまま一歩一歩倒れているアルゼの方に向かってくる。 アルゼの目には明らかに恐怖の感情が宿っている。 彼はもう目の前だ 彼が自分を見下げている  あの目はきっと獲物を見る目だ…。 血色の瞳がぎらついている。 アルゼは目をつむり、赤い目の怪物に捕食される覚悟を決めた。 すると血に濡れたジカードの手がアルゼの震える手を優しく包んでいた。 アルゼが恐る恐る目を開いた。 ジカードが何かを詫びる様な眼差しでアルゼを見下ろしている。 「アルゼ、僕は君を殺したりはしない」 ジカードが固まったアルゼの体を起こした。 「……! ……?」 アルゼは声を出せなかったが、ジカードは彼女の口の動きを見て片言だけでも理解していた。 「僕がさっき仲間を食べていたのは、僕が正気を無くしたときに血に餓えていたからだよ」 アルゼはジカードが人間の代わりに同胞の血肉を食っていたと気付いた。 ジカードは仲間の吸血鬼の死体に忌まわしい視線を向けた。 「それに、人間達を食い物として扱う奴らが許せないんだ……」 ジカードの胸の中では葛藤や憎しみが渦巻いていた。 ジカードは自分が吸血鬼(ヴァンパイア)であるのにもかかわらず人間を愛し助ける一方で、人間の血肉を 喰らいたい本能に負けてしまう事で自らを憎んでいる。          † それからアルゼはジカードの背に負ぶさり 更に雪山を降りてゆく。 凍てついた二つの湖に挟まれた雪原の向こうには巨大な水晶のような構造物がそびえ立っている。 それは水晶の核から太陽の日光に匹敵するような光を放っていた。 ジカードは遠くからでもその光を目で直接見ることができず目を伏せていた。 それでもジカードは光を放つ構造物に向かって一歩一歩雪原を踏みしめる。 アルゼは疲労のあまり、深い眠りに落ちていた。 ジカードは目が潰れそうになりながらも必死に進む。 人間には心地よい光だが、吸血鬼(ヴァンパイア)の目には あまりに強烈な光だったのだ。 そして、日光に近いこの光にさらされたジカードの体中が煙を上げながら痛み出した。 ジカードは光の谷の入口で人影を見つけた。 一人の人間族が谷の入口から現れると 彼は驚愕の表情を浮かべていた。 「ヴ、吸血鬼(ヴァンパイア)……!?この光の谷に!」 人間族の男が一歩後ずさる。 その声を聞きつけた他の人間達が駆けつけてきた。 ジカードが痛みの中で声を絞った。 「どうか…、この人間の子を助けてあげてください」 しかし、少年の言葉など聞こえなかったように皆は憎悪の目でジカードを睨め付けている。  一人が死に物狂いで鎗を振るいながらジカードににじり寄った。 ジカードはアルゼをソッと雪の上に下ろし 両の手を上げ、敵意の無いことを示そうとした。 それでも、人間達にとっては吸血鬼(ヴァンパイア)は子供であろうが素手で武器を持っていなくとも 危険な殺人生物であるのは変わりはなかった。 槍を構える一人が力を込めつつジカードに向かって駆け出した。 そして、槍が真っ直ぐジカードの胸に向かって突き入れられた。 しかし、ジカードにしっかり狙いを定めていたにもかかわらず槍の先は空を突いていた。 ジカードの姿が消えていたのだ。 「あいつ!どこに行った!?」 男が横を向くと、いつの間にかジカードがすぐそばに立っていた。 するともう一人がジカードの頭の脳天に向かって剣を振るう。 しかし、彼の目の前にはジカードの姿が無かった。 吸血鬼(ヴァンパイア)の姿が消えてしまい、住人達はホッと胸をなで下ろす。 そして、数人がほっそり痩せ細ったアルゼを抱えて村に戻ってゆくのだった。           † ジカードは光の谷から離れた岩陰で痛む目を 押さえていた。 少年は身体中の筋肉の細胞を急激に活性化させ、目にも止まらぬ速さで人間達の前から姿を消したのだ。  人間達から敵意を待たれてしまったが、アルゼが無事に生きのびる事が出来ると確信してジカードは安堵のため息をつく。 少年は城に戻るべく険しい雪山の斜面に向かってゆく。 それでも城に捕らえられている食用人間達は 何十人といるのだ……。          † アルゼが深い眠りから覚めた。 彼女はいつの間にか、明るい部屋の柔らかなベッドに横たわっていたのだ。 体も動くし疲労感もない。 アルゼがベッドから出ると、白いローブを纏った栗色の髪の僧が入ってきた。 「気がついたんだね」 僧はガヤガヤする廊下の扉をしめた。 「あの……! ここはどこなの?」  「光の谷の入口で見つけたんだよ。危なかったね 光の谷だというのに光を嫌う怪物が君をこの谷に連れてくるなんて……。」 アルゼがその言葉を聞いてハッとした。 「ジカードは?!」 「?ジカードって?」 「ジカードは私を助けてここに連れてきてくれた吸血鬼なの」 すると僧が顔をしかめた。 「あの怪物に名前があったなんて驚いたな……」 「それで…ジカードはどこにいるんです?」 アルゼが必死になって僧に問いかける 「怪物なら追い払ったよ。村の住人が食われたら大変だからね」 アルゼは助かったという安堵感はしだいに心の中から消えてゆくのだった。 アルゼの沈んだ表情をみた僧は彼女の肩に手を置いた。 「幸い、光の谷には奴らは入れないからね。夜の闇を治めている吸血鬼は光には敵わないからね。私達人間の恐怖の対象だが、ここなら絶対に安全だよ」 僧がアルゼに言い聞かせていた刹那、 外の暗がりから悲痛な絶叫が響いた。 アルゼが窓に駆け寄りカーテンを開けると ただ暗闇が広がっている。 暗闇に目を凝らすと、窓に真っ赤な液体に塗れた何かが窓ガラスにベチャッと張り付いた。 初めこそそれが何かが分からなかったが、 その柔らかな物体はガラスの表面に張り付きながら形を変えながらずり落ちはじめると それが歪んだ人間の頭の肉片である事に気付いた。 そしてアルゼが唖然としていると地に響くような恐ろしい獣の唸り声が部屋中を揺さぶる。 アルゼは恐怖のあまりに床に倒れ込み身震いしている。 「なんてことだ、奴だ…!」  僧が呻いた。 「光の谷だというのに…」 部屋の天井はガラガラと崩れアルゼと僧が見上げると、これまで見たことのないほど巨大な魔狼がはるか上からこちらをぎらつく紅い目で見下げている。 あの大きさは今いる建物を超える巨大さだった。 魔狼は血にまみれた巨大な口を開き巨大な牙をむいている。 その様は悪魔がほくそ笑んでいる様な形相だった。 「お願いだ!この村だけは手を引いてください!」 僧は床に這いつくばり命乞いをしている。 「私ノ息子ガ家畜ヲ逃ガシタノダ」 魔狼は恐ろしい唸り声を上げながらしゃべり出した。 魔狼の瞳がアルゼをとらえた。 「探シテイタゾ……食ベ頃ダトイウノニ逃ゲルトハ…」 アルゼは絶望で目の前が見えていないようだった。 そして彼女の気が付いた頃には、身体は魔狼の巨大な牙に砕かれすりつぶされ そして、彼女の血が魔狼の喉を潤すのだった。   続く……
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