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序
「幽霊を見たことはあるか?」――そんなことを尋ねられたとしたら、あなたならどう答えるだろう。
僕、鬼瓦京作の場合はこうだ。
「幽霊なんて、いるわけないじゃないですか」
あるいは、こう答えることもある。
「誰だって幽霊くらい見るんじゃないですか。我々は夢やら錯覚やら、しょっちゅうおかしなものを見ているんだから」
……両方聞いた人は、矛盾を感じるのだろうか?
でも、言っている僕としては一貫しているつもりだ。
ひとつには、期待はずれのつまらない返事をすれば、それ以上話を掘り下げられることもないだろうという思惑が。
もうひとつには――どちらにせよ、僕は結局、「幽霊を見たことはありません」と明言してはいないのだ。
とはいえ、「幽霊なんているわけがない」というのも僕の本音だ。
幽霊もそうだし、天国や地獄といった死後の世界も信じていない。
それは、十三のとき、ふたりの人間の死を経て抱き始め。
そして二十二のとき、南方戦線へ向かい、二年後に日本へ帰ってきたころには、もうすっかり固まってしまっていた観念だ。
人は、死ねばそれですべておしまいだ。
死ねば、なにもかもが閉じる。どこかに行く魂など存在しないし、なにかを主張するだけの意思も方法もない。死ぬ、というのはそういうことだと、僕は思っている。
……いや、信じたくないのだ。
幽霊。
魂。
死後の世界。
人は、死後も自我や自分のすがたかたちを保ち、あれやこれやとやっていかなければならないというのか?
死を経てなお、自分という人間の続きが待っているというのか?
……ならば。
この僕が殺してしまった人びとも、また――。
死んだのち、自分が死んだときの時間を、感覚を、心情を、僕のことを、くり返しくり返し、思い出しているかもしれないというのか?
……だとしたら、今も。
僕が生きている、今このときも。
彼女は、僕に出会ったことを後悔しながら、絶え間なく苦しみ続けているかもしれないということになってしまう。
四半世紀という長い歳月を、ずっと。
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