3.睦月【千景】

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3.睦月【千景】

「──え……?」  桐原との弓道場での再会から数日後、学校からの思わぬ呼び出しに応じて登校すると、昇降口にひとり物思わしげに佇む貫井のすがたがあった。そのまま、生徒指導室へと誘われ、挨拶もそこそこに切り出された突然の提案に、千景は呆然と目の前に座る担任を見つめ返した。 「……どういう意味ですか? もう一度S大の推薦を考え直せって。だって、あの話はもうとっくに断ったはずじゃ……」 「──その大学から先日、改めてこちらに正式に打診があった。どうやら、スポーツ推薦枠にひとつ欠員が出たらしい。だから、おまえさえ──萱島さえその気ならば、進学に掛かる費用はすべてバックアップすると先方は言ってきてる」 「ちょっと待ってください。俺さえその気ならって……だってもう一月ですよ。就職先だってとっくに決まっていますし、母親のことだってある。それに、どうしていまさら俺なんかにそんな──……」  とまどいを隠せない千景とは対照的に、いつもの感情が読めない声音で貫井が淡々と状況を説明する。けれど、そのなかに、ほんのかすかではあるが逡巡にも似た気配が覗いたのを千景は見逃さなかった。 「……もしかして、あのひとに──桐原という男に何か言われたんですか?」 「……萱島……」  ふだんめったに顔色を変えないこの担任が、桐原という名前にわずかながら反応するのを見て確信を強める。今なら分かる。数日前の朝、さも偶然を装って千景の前に現れたあの男には明らかに何らかの意図があった。
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