Hello & Good-by

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徳永先生は比較的温厚なタイプの音楽教員だと思う。よく言うことをきく生徒には決して怒鳴りつけたりしないし上手に歌えた人には上手だと褒めてくれるいわゆる普通の先生。非がない人間には怒らないし明らかな不遜には言葉を尽くして叱り付ける。しかし稀に彼の朗教諭にも譲れないボーダーラインがあるようで、それが音楽。主に合唱を説く教員ではあるが本人によれば自分の愛するものは音楽全体であるとのこと。そしてそれは授業にも端を向けられるようで自分に対して何をどうされようと基本静観してくれるが、こと音楽になると途端烈火の形相で怒りだす。学年が変わったりして初めて徳永先生の授業を受ける多くの子の中でうっかり何してもいいのだと勘違いしていい加減な授業態度でいたり歌うのをサボタージュしているのを何人か見たことがあるが、いずれも地獄を見る結果となっていた。根は概ね真面目な方の人間もいたかもしれないが教師側からすればそんなもの何処吹く風だ。中にはあまりの苛烈な方説に泣き出してしまう者もいた。とまあこのように静と動の差の激しい人物である。かくいう僕も彼の激昂に触れたことのある一人で、いつかの合唱練習の日に背の低い僕は列の前の方で一生懸命に声を上げていたのだが後ろの列に並ぶ比較的真面目でない集団の執拗なちょっかい、具体的には背中を叩く腕を抓る首元に物を投げる膝裏に膝当てをするなどなどによりまともに歌など歌えなかった。そしてその度に声が途切れ短く奇声を上げる僕は真面目に歌う気がないのかとマエストロに極めて理不尽にヘイトを買うことになった。と言っても彼もいい加減に長く教師をしてきた訳ではないようでしばらく同じことが続けば大体の察しがついたのかそれか怒っても無意味だと悟ったのか何も言わなくなった。以前先生の方から話しかけてきたことがある。 「なあ小宮寺もうちょっと真面目に授業する気は無いのか?それとも何か他に問題でもあるのか?ん」 そのときは返事を返すことができなかった。いつもの癖で声に詰まったのもあるけどそのときは授業の帰りのタイミングでちょうど例の一団が僕の横を通りすぎていたからだ。まさかその目の前で「この人達につつかれたりどつかれたんですせやからゆるしてん」なんてなんてとても言えない。それに全ては僕が鈍臭いのが原因なので彼らには一切の落ち度はない。 音楽の授業に限った話ではなく僕の学校生活全般の質は他の生徒と比べその水準を大きく下回る。大抵の座学で誰かの消しカスが僕の肩や頭を経由してノートへダイブするし、そもそもそのノートも机の中から姿を消していることが多い。図画工作で絵を描こうとすれば絵の具を勝手に持って行かれたり、描いても他の人のバケツの中の真っ黒になった水を転んだ拍子に絵全面に零されたこともあった。あれは流石に事故だろうが。ごめんごめんと平謝りするその顔に付いた口角が歪んでなかったならばだが。 そんなこんな考えているうちに本日の授業日程は全て終了した。今日も何事もなく、いつも通りの一日でした。これから家に帰って晩ご飯の支度だ。今夜は何にしようか。買いだめてある中華素材で自宅で簡単お手軽本格中華でもいいし他に何かあったかな。今日は兄ちゃんが早く帰って来れると言っていたから出来るだけそれまでには準備くらい済ませておきたい。 帰ればそこに兄ちゃんがいる。それだけで僕は。 鼻歌でも混じろうかというくらいの高揚した気分で僕は今日も今日とて人通りの少ない道を選ぶ。誰かと会っても盛り上がれるだけの話題がないし僕なんかと遭遇しただけで気分を害する人もいるかもしれないからだ。僕は僕が悪い目にあうのではなく僕のせいで他人が不幸や不利益を被るのがなによりも嫌だ。だから誰とも会いたくない。話したくない。出来れば自分が最初からいないみたいになれば良いのにって思う。それなら兄ちゃんも余計な負荷なく生きられただろうに。本人に言ったら怒られるから言わないけれど。 初めからいなかったことにするのはもちろんもうできない。そして今から存在ごと消えて無くなることも、やっぱりできない。そうなったことはないというのに死ぬのは何故かどうしようもなく怖いというのは普通の感覚だろうか。 余談をすると病気がちだと1人で考える時間が自然と多くなる。昔からなにかと不調があるたび兄ちゃんに布団に連れてかれて天井と目蓋を交互に見ながらじっとしてることが多かった。今の生活がどれほど死に近いのか僕にはまだ大した実感がないけれどなんとなく他の子と比べて差異があるのはわかっている。信じられないほど怖いものが以外とすぐそこまで迫っている、その感覚。寝たらもう二度と起きれないかもしれない。でもそうなれば兄ちゃんにこれ以上迷惑をかけないで済む。死ねもしないのに生ききれもしない極めて中途半端な僕。どうしようもない。 ああまた思考がぐるぐるし出した。今日はせっかくいいことがあるというのに。僕は足を速め生徒用昇降口へ急いだ。時間はまだ夕方前だが校門の方を見ると今日はあまり人がいないように感じる。うんいい感じだ、これなら可及的速やかに校門まで突っ切れそう。まだ献立も考えてないんだ。気持ちを落ち着かせるため一つ大きな深呼吸をして足を前へ進める。この深呼吸はよくやるジンクスのようなもので誰にも会わずに家まで帰れるように今日みたいなときには必ずするのだ。こうするとなぜかいつもその通りに帰れる気がする。 だがこの日は少し、ほんの少し勝手が違った。 校舎を早う出んとする我が足が何者かの声に呼び止められることになるとはこの時の僕には全く知る由もなかった。そしてそれがこの後の自分にとても大きく影響を与えていくことになるとは。 このときの僕は、これっぽっちも。 「あたし達と一緒にバンドやりませんか!」
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