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Happy & Birthday
4年生になってなにが変わったかと言われれば特になにも変わってはいない。何とは無しに新学期を遂げ始業式をとり行って終えて何とは無しに3人一緒にあたしの部屋に集まる。もちろん楽器は学校の倉庫の使われていない跳び箱の中からこっそり持ち出して。
「今日はあの曲を完璧にしておきたいな」
「そうだね。明日から本格的に授業が始まるから今のうちに練習したいね」
なんて話しながら。
「しっかしみさはスゲーな。もう大半の曲はソラで弾けるんじゃないか?」
「そんなことないよ!まだ指板を見ずには押さえる自信がないよ」
「そんなもんか?大丈夫じゃね〜?」
「ふふふ、流石に無理だよ」
みさはこういうがあたしはもう実力もそれなりに仕上がってきていると思っている。出会って話し始めて音楽仲間になってからほぼ毎日練習してるし毎週末にはウチに来て遊んだり練習したりしている。
なんだかんだそうこうしたうちにもう3人でいることが当たり前になっていた。最初お堅いイメージのあったみさはやりとりをするほどにそのイメージをことごとくブロークンしてくるある意味飽きの来ない面白いやつだったし、潤のやつも相変わらず部屋に着くなり贔屓のロックバンド曲のベースラインの研究に勤しんでいる。
あたしはというと…
「カチ…カチ…カチ…チーンカチ…カチ…カチ…チーンカチ…カチ…」
「あ、またズレた。くそぉ」
リズムキープ。初歩中の初歩。例のごとく潤に好き放題言われてぐぬぬとなりながら一応始めてみたのだが、これがなかなか難しい。一定の間隔で身体を動かすのがこれ程難儀だとは。どうもあたしにはドラムの才能はなかったようだ。だがそんなことばかり言っていては潤にまたお小言をもらうだけなのでせめてこれくらいはできておこうと毎日時間をとってなんとか2ヶ月は続けている。そんな感じできたらあるときからあたしの3人での練習の立ち位置は2人が楽器をいじっている間のリズム取り係になっていた。2人が何か曲を演奏する素振りを見せるとあたしが今座っている椅子だろうが、部屋の隅に積み上がった雑誌だろうが持って来てでもなんでもいいから手で叩いて音を出す。ちなみに親に訊くとウチにメトロノームは無いということだったのでねだって買って貰った。
「またちょっとズレてるぞ小夜。ほらリズム係しっかり」
ぐぬぬ、やかましい。大体あたしは一度でも自分はリズム係だなどと主張した覚えはない。
「うーさい。潤だって同じだったろ」
「私は小夜につられただけで…」
「ふふふ、まあいいじゃない。続けよう練習」
大体こんな感じでいつも気がつけば日が暮れている。騒がしく楽しい日常だ。
「それじゃあまた明日ね小夜ちゃん潤ちゃん」
「おう、そんじゃーなー」
「また明日な、みさ」
定例のような挨拶を済ませあたしも潤を送り自分の部屋へと帰投する。兼ねてからの悩みであった自分の立場はなんとか落ち着きを得たような気はするが、結局実質的にあまり変わってないような気がする。なんとも言えない中途半端な気持ちがこの胸の内を未だモヤモヤさせているのを感じる。ああもう、いいや。さっさと寝てしまおう。明日になれば何かいい感じに変わっているさ。根拠の全くない至極テキトーなあたしの内心の呟きは春夜の風と共に宵闇のしじまと朝の喧騒との間に溶けていった。
夢を見た。目指している将来の云々とかそういうもののことじゃなく、寝ている間に見たり見なかったりする、前者よりもずっと抽象的な意味でのあれ。内容ははっきり覚えてはいない。あまり良い感情を覚えはしなかったようなきがする。ひどく抽象的で捉えどころのない夢だった。1人の女の子が出てきて、その子には2人の親友がいて3人はとても中が良さそうだった。あるとき3人が歩いているとだんだん2人だけ先に歩いて行ってしまう。歩幅もスピードも大して変わらないはずなのにその子と2人との距離はみるみる大きく膨らんでいく。
2人は木々の生い茂る森の中に入っていきやがて小高い丘で林に囲まれそびえる一軒の小屋へと入っていった。1人の方は森の闇が怖いのかはたまた歩くのに疲れたのかすっかり歩くのを諦めてしまう。立ち尽くした女の子は1人で上を向いて途方に暮れたようにポカンと天を仰ぎ見ている。
そこで今朝見た夢は終わった。正確にはいつもは役に立たないあたしの目覚まし時計が今日だけはうまいこと機能したのだ。かと思ったら微妙に違って目覚まし設定が1時間早くなっている。いつからこうなってたっけ。自分でやったかどうか覚えてない。そりゃいつも規定通りの時間に起きれないわけだ。しかしどうしたもんかすっかり目が冴えてしまった。二度寝なんてしようにも1時間じゃあ満足のいく睡眠なんてできないだろうし、うっかりできたとしてそのあとはお隣さん家の一人娘さんによって地獄を見せられることになる。散々考えたあたしは
なんだか身体を動かしたくなったこともあり、まだ朝も早い中少しその辺を散歩してくることにした。4月の朝だと言うのにまだ結構寒い。特に今年は例年よりも2・3度気温が低いらしいからそれなりの防寒をして玄関まで出て一応家の鍵とカイロと財布、と言っても小銭入れ程度のものだが、をズボンと上着のポケットに入れて外に出た。まだ充分に上りきってない朝日が仄かに庭先のアスファルトを染めている。空の方を見るとちょっと目を凝らせば星が見えそうだ。手袋をした両手でマフラーをしっかりと巻きいざ歩き出す。向かいの家の番犬であるバルカンも隣の潤の家の忠犬ロールも起きる時間には早いようで家の警備が心配になるほどぐっすりと寝ている。あたしは犬達を起こさない程度に歩音を調整しながらゆっくりと当てもなしに陽の方向とは逆の方の道へ歩みを進めた。
当てのない、と言ったもののルートは既に決めていてウチのある敷地は数件の家々が並ぶ四角形のすぐ横が空き地になっていてそのさらにすぐ隣は雄大な広さを誇る田んぼになっている。その一角なら歩いて一周して1時間かからないかそこらだ。あたしはその道順をぐるっと周って暇を潰すことにしていた。
前にみさがあたしの家に始めて来た時車がわざわざ迂回する理由について言ったと思うけれど、それは車が通れる幅の広い道路がそれしかないというだけの話で人が通れるだけのあぜ道ならその間にそれこそ田んぼの字の如く巡らせてある。
住み慣れて見るのもそろそろ飽きてこようかといった風景も朝のいつもはまだ起きてもいない時間に来ると全然違って感じるもので、ちょっとした異世界を探検しているようなえもいわれぬドキドキがあたしの体をじわじわ高揚させてくるのをあたしは感じた。
何分歩いただろう。ちょっぴり寂しくなってきた。大体外を歩くときは昔から潤と一緒に出かけていた。学校へ行くときも。すぐそこの小さな裏山に遊びに行くときも。200メートルくらいの一本道を歩いた先にある駄菓子屋まで自転車で駆けたときも。今年はその一団にもう一人加わって三人で出かけることも多くなるだろう。
今年の元旦は三人で神社へ初詣に行った。みさも潤も揃いも揃って堅苦しい、なんだったか、二礼三拍手二礼だったかなにかを丁寧にこなしていたのを覚えている。横から見ているとみさは動作が安定していて一つ一つの所作が煌びやかだったのに対して潤のやり方はなんだか知識をなぞっているだけのぎこちなさがあるのはご愛嬌だ。
あたりを見回すとあたしの家が田んぼを挟んで丁度真向かいになっている。気がつかないうちにこの耐久レースも半分まで来ていたというのか。
遅くなると逆に親へ余計な心配をかけてしまう
かもしれない。そろそろ後ろにターンして帰った方がいいだろうか。そこまで考えたところでそういえば腕時計を持って来るのを忘れていたことに気がついた。
どうする。帰り道は二つ。そのまま進むか振り返るか。どうせ同じくらいの距離なら進もう。
少なくとも途方に暮れて立ち止まるよりはマシなはずだ。頭の中で夢の最後の場面がチラリと反芻した。
気持ち早めの歩速であたしは来るまでの道程と全く同じ形をした全く逆のまだ見ぬ方向へと進んでいった。
もう少しで田園地帯を抜けて住宅地の方へと続くアスファルトが見えてくる。片方に家屋が立ち並ぶ道一つ挟んだ先は深い雑木林になっていて、前はよく潤と木々の間を縫って追いかけっこをしていた。もっとも親に危ないと言われてやめてしまったからその先がどうなっているのかは知らない。すぐ向こうにそびえる山、というか丘に繋がっているのが遠くから見えるのである程度は外からでもわかるが。ちなみに先程のくだりの潤とよく遊んだ裏山とは別の山である。このあたりは山というには高度がやや足りないが小学生が遊びまわるには充分な敷地を有する小高い丘が多いのだ。その証拠にふもとの道路脇には山からのものであろう泥んこの足跡が絶えない。ほらすぐそこにも。
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