白の少女

1/3
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

白の少女

真っ白と言っても白木作りの街並みが並んでいるとか雪の降り積もる摩天楼とかそういう比喩を含んだ意味じゃなく、ただ白。地平線らしきものさえ確認できないほど何も無い空間が際限なく眼前に広がっている。 「ここ、どこ…?」 至極当然の疑問がストレートに口をついて出る。冷静に考えれば直前にしていた事が就寝であるからして今見ている光景が現実のものじゃなく夢の中のものだと答えを出す事ができるはずだけれど、いざ夢を見ているときには不思議とその発想にならないものである。されど僕の中に不安は微塵も無かった。なぜか自分でもわからないけれど、ある種安心して佇んでいる自分がいるのも事実だった。しかしだからこそこの空間の事が余計に気になってくる。試しにぐるりと半周して視界を変えることを試みるも同じく一色の世界がそこにあるだけ。もう半周しても結果は同じだった。一応上か下かの判別はつくし、さっき際限がないと言ったけれどそれは無限に遠くまで地面が続いてることがなんとなくわかっているからであって、今僕が人間一人サイズの小さな箱に閉じ込められているわけじゃないことは感覚が告げていた。ので純粋な疑問はただ一つ 「ここは…どこ…?」 もう一度声に出して呟いてみる。だけど帰ってくるのはひたすら静寂だけ。誰もいないのだから当然ではある。さほど期待もしていなかったから驚きはない。ーーーかと思ったら違った。 「ここは君の幸福の世界だ」 「わ!」 びっくりした!!びっくりした!!びっくりした!!たった今誰もいないことを確認した場所から突然声が聞こえたらそりゃあエクスクラメーションもいつもの倍にもなるよ!!それは背後から響いたものだった。びくりと肩を震わせながらつい数秒前に見た180度後の景色をもう一度視界に映す。しかしその両の眼に映るであろう声の主は予想に反し影も形もなく先ほどと同じスーパーウルトラテラホワイトビューが広がるだけ。もう訳がわからない。頭の中はもうクエスチョンマークの無限増殖でパンク寸前だ。どうしたものかと途方に暮れていると目の前ほんの数メートル先の距離感から同じように、今度は少しいたずらっぽく笑いを含んだ声でこちらに届いてきた。 「ああ違うよそっちじゃない。もう少し左、君から見て右の方向だ。うんん、行き過ぎ。もう気持ち左だ。そうその方向。あはは、ごめんね。わかりづらいかな」 何が何だかわからないまま言われた通りに首をあっちこっちひねっていたらここが正解と言われたのでその方向に注視をする。これでも視力は両方1.0だ。 ううん、白い。白すぎる。 この方向が正解と言われてもやっぱり何も見えない。ん?いや、何かいる。何か背景に溶け込むように恐ろしく乳白色の何か。あれは…人?人間がいる?意識しないと見逃してしまうほど周りの色と同化している人、女の子だろうか?一度認識してしまえばなんとか目で追えるようになったけれど、ひょっとしてさっきから目の前にいたのに気づかないでスルーしていたのだろうか。だとしたら申し訳ないことをしたな。お互いの距離を詰めるためにその人物の元に僕は歩き出す。その姿を確かなものにするのに10歩もいらなかった。今なら確実にその輪郭を捉える事ができる。女の子だ。歳は同い年くらいだろうか。上から下まで真っ白なコーディネートで肌の色も見たことないほど色彩が欠けている。髪の毛も同様に白く且つ腰まで届くほど長い。そして、ぼんやりとだけど、光って…いる?なんとなくだけれど体全体がこれもまた白色に発光しているような気がする。周りも同じ色調だから凄まじく輪郭のわかりづらさに輪をかけている。そして一番目を引くもの。遠くからではわからなかった。彼女の背中に両対に1つずつこさえられらた身の丈を上回るほどの大きな、大きな大翼。全て等しく均一に押し並べて同一色。何かと問われれば紛うことなく人間ではない非凡な姿をしたそれは今まで気づかなかったとは信じられないほど今では存在感に溢れている。しかし謎の声の主人の姿形が理解できたからと言ってそれ以外の事がさっぱり理解できていない。この子は一体何者なのか。この場所のことも。それに”幸福の世界”とは?何一つ解明できていない。この目の前に微笑を浮かべながら腰掛ける天使のような見た目の少女に訊けば少なくとも1つはわかるのだろうか。僕はなんとか少しでも冷静になれるように声のトーンを落として少女に問いかける。 「君は…誰なの?」 「ボク?んーまあそんなことどうでもいいじゃない。そんなことよりこの世界のことを話そうよ」 アッサリ話題が退けられた。あんまりといえばあんまりな言動だが不思議と嫌な感じはしない。僕が人にそっけない態度を取られて喜ぶような性癖の持ち主でないのならそれは彼女の言い方の無邪気さにあっけに取られていただけだろう。一息つき落ち着いて観察したら相手が腰かけているということはそこに一定の高さを持つ段差が存在することに今更ながら気づく。フーアーユーはどうやら意味のない質問だったか触れられたくない部分の問題だったのかもしれない。ここは相手の言う通りの話題にシフトした方が良さそう。…さっきから僕この子にされるがままな気がする。 「えっと…じゃあその、幸福の世界ってどう言うこと?僕のだって言ってたけど…」 「うん。君の、正確には君の幸福が映し出された世界だ」 「幸福が…写し出された…?」 「うん」 何度説明されてもやっぱり意味はよくわからない。僕の読解力の低さの問題だろうか。僕の、僕の幸福ってなんなんだろう。それが本当に映し出されたのがこの景色だとしたら、これはあまりにも、殺風景すぎやしないだろうか。見渡す限りほとんど何の凹凸もない、限りなく無味乾燥な、そして一切の不安と憂慮を許さない世界。それが僕自身が幸福だと掲げるものなのだと言うのだろうか。 思えば何が自分にとっての幸せかなどこのかた1度も考えたことなどなかった。僕にとっての幸せ。当然それは…それがあればどんなに辛い出来事が身に降りかかろうと、痛みが体を引き裂こうと耐える事ができる。納得して流す事ができる。そう思って今まで兄ちゃんと二人で生きてきた。わざわざ幸せとはなんぞやなどと思考を巡らす余裕なんてありはしなかった。ギリギリの生活。今は兄ちゃんがアルバイトで稼いでいてくれるおかげでなんとか食べていけているけれど、そんな生活がいつまで保つかわからない。現在兄ちゃんは中学3年生の15歳で日本国内において本来労働の許される年齢ではないけれど、それでは弟も自分も飢えてしまうと働けそうな職場に片っ端からアタックして現状無理を通して働かせてもらっている。このままいけば来年には僕も中学生だ。僕も働いて兄ちゃんの負担を少しでも減らせたらと思っているのだけれどそのことを本人に相談すると「ダメだ」「岬が無理して働くことはない」の一点張りでなかなか了解を出してくれない。学校に行っても正直得るものが少ない僕にとってただ通学するよりよっぽどいいと思うのだけれど。「岬が無茶をして大怪我なんてしたら兄ちゃんは泡吹いて倒れちまうよ」だそうだ。確かに僕は少し、いやかなりかもしれないおっちょこちょいではあるけれども。この前もうっかりガラスのコップを割ってしまいその破片で指を切ってしまった事があった。その時も兄ちゃんはすぐ飛んできて絆創膏を貼ってくれた。直したいと思っているけれど直し方が皆目わからない。直ったとしてそこだけなんとかしてもという気もするけれど。そんな僕の今現在考えうる限りの幸福とは。他に何があれば自らを幸福だと思えるのか。その答えは決まっていた。”このままでいい” ”何も特別なものはいらない”だった。何かことを起こして事態に変化が生まれるとしてそれがいいこととは限らない。ともすると今よりずっと悪い、想像もできない最悪の状態になってしまう可能性だってあるのだ。ならば望むものはない。最低限のもので十分だ。朝夢から覚めたら兄が作った朝食を食べて、玄関で靴を履き学校へ向かう。授業が終わりそのまま家へ帰ったら、日によって違うけど兄が出迎えてくれる。一緒に作った夕飯を食べて風呂に入り布団で並んで眠る。多くは望まない。それだけでいい。それだけで僕は幸せを感じる事ができる。なのにこの世界はそれを一切映さない。空っぽを具現化したような無機質な感覚だけがこだましているよう。説明と事実がイマイチ合致しない僕の心の中の呟きはそのまま口のついて滑り出ていた。 「何も…ないね…」 素直な感想のようになってしまったけれど本当に今の景色には自分と彼女以外何もない。よく何もないということを”何もないという事が有る”みたいに言うけれどここにはそんな頓知も介在しないような、それさえ消してしまうようなそんな感じがする。僕が遠くの虚空を眺めてポツリとそう言うと、女の子も同じ方向に首を向けた。そして一言。 「そうだね。ないね」 感情の読みにくい限りなく起伏の乏しい言い回しでそう答えた。そしてこう続けた。 「ボクはそれを奪いにきたんだ」
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!