白の少女

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唐突に飛び出した乱暴なセリフに僕は思わず少女の方を向きなおす。奪う?何を?1から10まで全てが突然すぎてもうなにがなんだかわからない。もうそろそろ頭から疑問符が溢れてきそうだ。彼女は相変わらず無邪気な笑顔をこちらに向けている。そのあまりの真っ直ぐさに照れくさくなって一瞬そっぽ向きたくなる。周知のことだろうけどこれまでの人生で1度だってこんなに真っ直ぐ異性の人に見つめられた記憶なんかない。だけど羞恥より好奇が勝ったのかなんなのか自然と今聞いた言葉の先を促したい衝動にかられる。 「奪うって何を?」 「うん?だから君の幸福をだよ」 「だって何も、何もないよ」 「そう?ボクにはいっぱい有るように見えるけど」 「?何が?」 「だから君の幸福だって」 なんだか話題が堂々めぐりを初めてきた気がする。一度情報を整理した方が良さそう。えっと 「ここは僕の”幸福”が映し出された世界で」 「うん」 「で君はその”幸福”を僕から奪いにきた」 「そうそう」 「でもその”幸福”は見る限り何にもない」 「まあそうだね」 「それでも君は”幸福”を」 「うん。奪うよ」 だからそれがわからない。奪えるものがない世界から何を奪うというのだろう。聞く限り僕の知っている言語の[奪う]で間違いはなさそうだし、別の国や地域での言葉に似た単語があるのかどうかなんて知らない。UVAう?聞いたこともない。それに今自分で何もないことを認めていたのにそれでも真正面から奪うと言い放つとはこれなんとする。 「ううんと、説明が難しいと言うかなんと言うか。まあそんな感じだよ」 いや流石に説明がほしい。これまでいろんなことに対して広く享受してきたけれど、ここまでの理不尽にはあった事がない。それとも自分には説明する価値もないほどに立場が下に見られているのだろうか。それなら自分にできる事は何一つないけれど。いつものように自分には何が足りなかったのか、いけなかったのかを考えながら現状を流してしまえる。だけど今回はそうじゃない気がする。いつものクラスでされる明らかな無視やプリントに落書きをされているとかの感じじゃないような。彼女からは学校で蜷川さんや風間くんから向けられているようなあのなんとも言えないジメジメとした感覚が全くない。ただ純粋に説明することに難儀しているように見える。と言うより横着してるように見える。 「何もないとこから一体何をとっていくの?これ以上僕は何を失うと言うの?」 この世界は心配するということを許さない。ずっと同じようにただ空虚な安らぎが心を占めている。だけれどこれはやはり気になってしまう。今の自分を取り巻く要素、一般の同年代からするとおそらく遥かに数は少ないであろうそれらからまた何か消えて無くなるものがあるというのだろうか。一瞬頭をよぎったのは兄のことだった。大好きな兄。大切なただ一人の家族。それが失われた時のことを想像してしまい瞬間深い絶望がこみ上げてきた。同時にこの世界の法則にそれらを強引に押さえつけられたような感覚に襲われ、頭がぐちゃぐちゃになって吐き気をもよおしてしまった。耐えられず膝まづく僕をみて彼女は 「ちょっと!大丈夫かい⁉︎」 とかけていた腰を離し駆け寄ってくれた。 「ほら、こっち座りなよ」 「大丈夫…」 「全然大丈夫じゃないよ。っよいしょ」 肩を持って先ほどまで座っていた場所まで運んでくれた。まだ少し気持ち悪いけれどピーク時よりは良くなった。あ、ちょっと羽が当たってる。ふわふわで気持ちいい。 「あり…」 「ん?アリ?アリがどうしたって?」 「ありがとう…」 「ああ、そうか。うんどういたしまして」 彼女も隣に再び座り直し、二人して並んで構造のよくわからない出っ張りに腰掛けている。 「ええと、まさかこんなことになるとは…ごめんねアハハ…」 隣から先ほどとはうって変わって困ったような声が聞こえてくる。 「そうだね、ちゃんと説明した方がいいよね。て言ってもボクもわかっていることは少ないんだよ。わかることと言ったらそうだな、この世界のことと君のこと、それからボクがここにいる目的くらいさ」 「そうなの…?」 「うん。だからボクから説明できることは限られてるんだ。でもその代わりボクにわかることならなんでも答えてあげるよ。さっきのお詫び」 気づけばまた笑顔に戻っている。ひょっとしたら存外表情豊かな性格なのかもしれない。体調も平常になりつつある。本人が答えてくれると言うので訊きたいことは訊いておきたいけれど何を訊けばいいのだろう。それにさっきまでのやりとりを鑑みるとまともに会話が噛み合うかどうか正直疑わしい。しかし話を進めないと好転も悪転もしないようだしここはなけなしの勇気をフルに捻り出して質問の内容を考えてみることにする。 「う…んん」 と言っても自分でもよくわかっていないと言う人に対してなにを質問できるというのだろう。とりあえず最初から気になって仕方がないこの世界のことについて掘り下げてみようか。 「こ、この世界のことについてもう少し詳しく教えてくれないかな」 「うんわかった。ええと、とりあえず前提としてこの空間が君の寝ている間の夢の中であるということは共有しておいた方がいいことかな」 さらっと新事実が暴露された。え、ここ夢の中なの?じゃあさっきから脳内とか体調とか言ってたのは全部夢の中の出来事で現実の僕の体はなんともないってこと? 「アハハ驚いてる?でも事実だよ。だってボクは夢の中にしかいられないからね」 「夢の中にしか…いられない?」 「そ、ボクはそういう存在なのさ」 次々と新しい情報が出てくる出てくる。藪でもなんでもつついてみるもんだなあ。引き出せるものがなくなるまでとりあえずつついてみようか考えあぐねていると彼女の方から続けてくれた。 「それとボクがここにいる理由。これはさっき話した通りこの世界に映し出される君の幸福を奪うため。ここまではOK?」 「んん、よくわからないよ。君のいう幸福ってなんなの?だってここには本当に文字通り何にもないんだよ?」 「ううん、違うよ。君は何か大きな思い違いをしている。ここには君の幸福が満ちている。正確には…そうここが真っ白である事が今の君にとっての幸福であるという事なんだよ」 二人で遠くつかみどころのない景色に視線を向ける。 「これが…僕の…幸福?」 「そう。難しいかな。でも理解できるできないに関わらずここはそういう場所なんだよ」 「どうして僕はここにいるの?ここが僕の夢だとしてその中に僕がいる理由は?」 「そりゃあ君以外に君の夢の中に入れる人物はいない」 「はあ」 無理やり納得するしかない空気だ。もうこの話は続行不可のようなので別の話題にしよう。あと気になることといえば 「僕のことは…何を知ってるの?」 「小宮寺岬12歳〇〇市立△□小学校6年1組13番好きなものはお兄さん嫌いなもの特になし両親はいなく兄と二人暮らし。学校での立ち位置は地を這っていて基本何をされても自分の責任に感じる悲観体質。運動勉強共に平均以下で性格もハキハキとは程遠い。楽しみといえば兄と一緒にいる時間だけ。あと人生で一番恥ずかしかったことは2年生の時体育の授業のとき先生を間違えて兄ちゃんと呼んでしまったこととそれと…」 「わー!!!!やめてええええ!!!!」 こんな声を張ったのはいつ以来だろう。恥ずかしいどころの騒ぎじゃない!はっきり地獄だ。顔から火が吹き出そう。なんでそんなに知っているの。と思っていたらこれにははっきりとした答えが返ってきた。 「ふふふっ、ごめんごめん。でもこれでボクが君のことをどれだけ知っているかは証明できたでしょ。君のことはなんでも知っているよボクは」 「うう…」 また悪戯っぽく笑って続けてくる。 「君の夢の中にずっといるからね、日中だろうがいつだろうが君の言動はここからちゃんと見えているんだよ。ほら夢って記憶の整理の時間とイコールだっていうじゃない」 理屈は理解したけれどそれなら余計に、いつでも見られてることを意識してしまう。え、見られてたの?今日の昼料理中ちょっとはしゃいでたことも全部筒抜けだったというの?どうしよう、穴があったら引きこもりたい。こっちの羞恥心はおかまいなしに隣に座る天使のような見た目の天然ドS少女の追い打ちがくる。 「3年生のときクラスの女子に言い寄られOKしそうになった時に実はからかわれていただけということを告白されてそのまま黙って何もせず帰ったこともちゃんと知っているよ。」 「だからやめてって!」 いい加減にしてよもう。そろそろ心が耐えられなくなってきた。なんだか夢の中だというのにどっと疲れてきた。肩に力が入らなくなってグッタリとうなだれていたら隣から急にトーンの落ちた真剣な声が聞こえてきた。 「そして…」 どうしたのかと思い横へ振り向くと彼女は少し上の方を仰ぎ見る形で首を傾けていた。そして 「そして君はそれら全てをひっくるめて幸せだと、幸福なのだと無理矢理受け入れているわけだ」 視線だけをこちらに向けるようにわずかに顔をずらした。その表情からはさっきからの楽しそうな空気が消えてなんだかある種可哀想なものを見るような、もの哀しさを醸し出すものになっている。何かあったんだろうか。自分が何かしたのか。急にオロオロしだしたのを見て察したのか少女はフォローに回り出した。 「別に君が悪いんじゃないんだけどね。全ては君の生まれつきの環境が生んだことだ」 「どういうこと?」 「君は…君には不幸が足りないのさ」 「え…?」 「奪われているんだ。君の幸福とする存在から。ね」 またよくわからない話になってきた。不幸が足りない?僕が。どうだろう、何が幸せで何が不幸かじっくり考える時間をさっきまで設けたことがなかった僕にとって何を持ってして今の自分が幸か不幸かなんて定義付けに苦労するところだ。結論なら出ていて確かに”今は幸せ”であるということだった。正確には”このままでいい”だったけれど大して変わらないだろう。 「君は生まれつき不幸が失われているんだ。苦しみ悲しみ怨み妬み嫌い怒り憎むことが君の心ひいては君の人生から失われている。僕はねそんな君から幸せを奪いにきた。」 僕には不幸がない。そういう少女の声はなんとなく憂いを帯びている気がした。苦しみ?怨み?なんのことだ。それらがないって。そこまで聞いたところで急に頭が重くなってまぶたに超合金でもぶら下げたかのような感覚になる。ずっしりと怠くなっていく意識はやがて糸を切るようにぷつりと途絶えた。 「ほら起きろ岬。朝だぞ。朝飯できてるぞ。」 目の前には兄ちゃんの顔。そして解放された窓から聞こえてくる鳥の声。いつからかわからないけれどアパートの屋根の下に住み着いているツバメの類の声だ。そうか、朝か。なんだか変な夢を見たような気がする。とにかく起床したならすべきことはまず朝食だ。兄ちゃんが早めに起こしてくれたおかげで時間もまだ余裕がありそう。僕はあまり食べるのが早くないから。 「兄ちゃんもう出るけど戸締り頼むな。今日は昨日より早く帰れると思うから一緒に夕飯できると思う。じゃ行ってきます」 「行ってらっしゃい。気をつけてね」 「ん?おう」 僕がいつもとちょっと違う挨拶なのを敏感に察した兄ちゃんはくるりとUターンして僕の頭をクシャクシャと撫でてきた。 「大丈夫だって、兄ちゃん丈夫なの岬知ってるだろ。岬こそ気をつけて学校行くんだぞ。じゃあ、今度こそ行ってくるよ」 「うんいってらっしゃい兄ちゃん」 いつも通りの笑顔だ。僕の不安や心配を取り去ってくれる一番のもの。うん、今日も大丈夫。早くご飯を食べて学校へ行こう。このささやかな幸せのためなら今日も平気で頑張れる。解凍済みのあまりご飯に卵をかけて醤油を垂らしただけの最強卵かけご飯様を胃に納め簡単に身支度をしてランドセルを背負い昼間と違いすんなり動く扉を開く。朝日が建物の隙間から差し込んでいる。いつもと同じように玄関に置いてある家鍵を鉄扉の鍵穴に刺し左に半周させてから戻して引き抜く。ズボンのポケットにしまい学校への道を歩き出す。気分は晴れやかとはいかないまでも歩みを邪魔されるほど気分が落ち込んでいるということはない。よし、行こう。今日家を出て最初の一歩を踏み出す瞬間夢の中で意識が途切れる直前誰かが僕に言ったことを思い出したような気がした。 「君には必要なんだ。空っぽの幸福じゃなく本当の意味での喜びの不幸がね」
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