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大丈夫、間違っていない。僕が悪いんだ。何もおかしいことなんかない。僕がのろいから、小柄でガリガリだから、髪がボサボサだから、汚いから暗いから鈍臭いから、”存在がウザい”から、要領悪く運動もからきしで勉強もあまりできない。だから、だから間違ってないんだ。みんなが僕に浴びせる悪口も、上履きを隠されても、どういう仕掛けなのかドアを開けると落ちてくるバケツの水をわかってても被るのも、いっつも自分の席の椅子が正しい位置にないのも、少し体が触れただけで口汚く罵りあげて突き飛ばしてくる4組の蜷川さんも足引っ掛けてこけさせてきたりする2組の佐々木君も。その他僕の不利益になること一般になんら間違いなどない。なにも、ないんだ。大丈夫。 雪も視界から完全に姿を消して冬なんてものがまるで最初からなかったかのように空気に暖かさが宿りだした4月のはじめ。時間は夕方、いつものようにゴミ箱から埃まみれになった自分の筆箱を見つけだし水道水で汚れを落としているとふとそんなことを思う。大丈夫、間違ってなんかない。前に道徳の授業で先生があたかも世界の真理を見てきた口ぶりで言っていた、「この世界に不必要なもの・意味のないものなどない」って。それならばたった今この僕、〇〇市立△□小学校6年1組出席番号13番小宮寺岬が受けていることも裏を返せば意味のあることになる。この世にあまねく物質言語人種地理娯楽経済スポーツ料理宗教事件事故歌謡ポップスエトセトラの存在と同じように、僕の机に落書きがしてあるのも、その机の中に生きたままの昆虫が入ってるのも当然に意味のあることだと。先生が言うのだからきっとそうなんだろう。 本日予定通りの授業が全て終了し生徒たちは三々五々帰路につく。クラブ活動に精を出す人はそれぞれ適した教室あるいは運動場へ。そうでなくても次の休みはうんぬんだとかバンドのパートが決めかねてかんぬん談笑がまだ学校内に残った生徒と教師の声で聞こえてくる。僕はというと真っ直ぐに家路の一択。そもそも小学生の身の上で下校時にできる道草なんて限られているけれど。中学高校に進めば選択肢も増えるのかもしれないけれど僕の場合はおそらく同じだろうと思う。理由なら先ほどから自明のことであるようになんの取り柄がない僕には人間関係を図に起こした時に友達と名付けられる係線がない。からこそそういった下校時間に学校に残って雑談を交わす相手がいないし、いたことがないからいる人の気持ちがわからない。わかる気もないのかもしれない。というか考えたこともない。クラスには「にんげんきょうどが下がる」とかいう斜に構えた理由であえて友達を作らない人が1人いるけど、僕の場合はそういう理由からじゃない。いたことがないから、発想として友達のいる人間の思考にならないだけ。そこがまた同級達の攻撃の的になったりもする。これはもうどうしようもないことだ。 筆箱もある程度キレイになり机の落書きも消した。もうすることがなくなった僕はなるべく人に会わないように家まで目線を下げたまま帰る。どうして人に会わないようにかというと途中攻撃にあうのが怖いというよりも、自分のようなグズでダメな人間と出会った相手に悪い気分にさせたり後で悪い噂になったりと迷惑をかけないため。不幸なのは僕だけでいいんだ。 「……ょに……ド…ま…んかー…」「や…ませ……かー」 正校門の方で女子生徒数人の声がするのを背に反対の方向にある門を抜けようと歩行スピードを上げていく。あと少しのところで門の陰から何者かの足が伸ばされる。それに気付いた時にはもう遅く二つの別々の二足歩行生物の足は接触。しかし理不尽なことに活動に不具合を起こしたのは片方の足だけでそれは歩行時のエネルギーをそのまま前に倒れるエネルギーに変換させる。 「わぁっ!!」 僕の普段あまり上げない高めのボリュームの悲鳴が日暮れ前の街に流れる空気をわずかに揺らす。 痛い どんなに、いつも自分の受けている行為が正しいと納得しているとはいえ痛覚がないわけじゃない。普通に肩を殴られれば痛いしサッカーの授業で顔にボールをぶつけられればうずくまって悶絶もする。そしていまも。 「アッハッハッハッハやべぇウケるハハハ」 誰かと思えば同じクラスの風間くんか。確か出席簿は9番。違ったかもしれない。4組の蜷川さんとは幼馴染で低学年の頃はよく一緒に居るところを目撃されていて2人は夫婦なんて言われてたけど、学年が上がるにつれ風間くんの方から距離を置くようになったらしい。そのせいか最近ずっと蜷川さんの機嫌は悪い。そしてそのストレスの捌け口は大抵僕。 人一人に怪我をさせて謝罪の一切もなく屈託ゼロの笑い声を響かせて彼は続ける。 「よーマフ子いいところにいんじゃん。ちょっとイライラしてたからつい声かけちったわ」 足を引っ掛けると書いて声をかけると読むとはなかなかユニークな脳内辞書をお持ちだけれどあいにく僕は今日はなるべく急ぎで家に帰りたいのだ。あまり時間は使えない。けれど彼にはこちらの事情など紙にくるんで捨ててしまえとばかりに口を滑らす。 「今日音楽の授業あったろ、あの後徳永がマジギレしてきてよー。つまんない校歌ばっか歌わすから飽きて歌わないでたら授業終わった途端呼び出しアンドマジ説教。意味分からん。どうせなら今流行りの米米とかブルハ歌いてーよな。な、お前も徳永嫌いだろ?な」 圧力を感じる。徳永とは他でもなく音楽の授業を担当しているそれなりに老齢の教員の名である。別に今日に限らず風間くんは大抵の授業であまり褒められた態度で臨まない。そして大抵話す軽口はその授業や教育に対してのことだ。あと彼に関して情報をつけ加えるなら、同学年つまり小学6年生の平均値的な体格に比べてかなり大きい部類に入る。その大きな体との差がこちらに掛かるプレッシャーを更に強大なものにする。どうしたって敵わない。僕は彼に波風を立てないように気をつけて返す。 「う、うん…そ…そうだ…ね」 「だよなー、やっぱりそう思う?そっかーわかった。サンキューいい暇つぶしになったわ。もう行っていいぞー」 いつもこんな調子だ。たいして意味もなく足止めされては適当な軽口に付き合って、今回のようにすぐ解放されたりそうでなかったり。よくわからない。とりあえず返してくれるというのであればそれに従わない手はない。今日はとにかく急いでいるんだ。 痛い、どうやら膝を擦りむいたらしい。感情を押し殺してもう一度立ってみる。やっぱり痛い。でもさすがに死ぬほどってわけでもない。普通にはあるけるだろう。 「また明日なー」 「…うん」 挨拶もそこそこ、僕は再び帰路に戻る。校門を抜けてすぐにある横断歩道を渡る。本来クルマと歩行者両方に注意喚起するための横断歩道なんだろうけれど僕の知る限りこの道に車両が通ったのは1度しかなくそのため歩行者にとってはあるような無いような、あまり意義をなしてないような気がするけれどクルマと人が接触事故を起こしたなんて話も聞いたことがない。 一応信号機もあるのでそれのおかげか本当にクルマが通らないかのどちらかなんだろう。 さっき一度呼ばれたけど学校のみんな僕のことを呼ぶとき多くの人は「マフ子」という。 なんだかよくわからないうちにそうなっていたけれど理由はおそらく僕がいつもマフラーを首に巻いていることだろう。なぜいつもマフラーをしてるかというと理由は単純、寒いからだ。昔から体が弱くてしょっちゅう風邪を引いていてあるときマフラーをして生活してみたら体調を崩すことが格段に減ったのでそれ以来真夏以外の一年中マフラーを身につけている。「子」の理由ははっきりしないけれど1年生か2年生のときに遠足で近くの山にハイキングに行ったとき同じ班の男の子にミミズを足元に投げられて驚いた僕は咄嗟に女の子のような悲鳴をあげてしまいそのせいかわからないけど、班の人はずっと僕のことを女の子だと思っていたらしい、ということくらいしか思いつかない。もっと理由はあるのかもしれないけれど聞いてみて回ったことがないのでこれ以上はわからない。明言してしてなかったから念ため補足をしておくと僕は紛れもない男子児童だ。 いくつかの交差点を越えやや広めの公園の脇を抜けると一気に景色が変わり一面野原が広がる。清流の匂いの広がる河原へとでる左の道とはちがって舗装された直線道路を50mほど進んだ先にちょっとした雑木林が見え、それを左に回り込むと背の低い集合住宅の並ぶ地帯に出ると間も無く目当ての建物が見えるはず。 それにしても僕はなんでこんなにダメなんだろう。背は低く運動もダメで性格もくらい、ダメなところを言い出せば枚挙に遑がない。一応体を鍛えようと腕立て伏せや腹筋、早起きランニングなどを頑張っていたのだけど1ヶ月もしないうちに体調を壊しそれが地味にトラウマ化し以来しなくなってしまった。体の大きさのことだと先ほど会った風間くんもだけれど僕の在籍する1組をはじめ他の組の同級生の中には身長の高い生徒が何人かいる。体が大きいとそれだけで存在感があるし加えて性格が明るいとクラス内において精神的なアドバンテージが大きく、うまくやる人は先生を差し置き実質的なクラスの主導権を握ってしまうこともある。そういう人は大抵あまり教員に良い顔をされないことが多いけれど、今の自分の細腕を見つめているとどうしてもそういう人達と対比してしまってつい憂鬱になる。背が高く運動が達者で明朗快活。憧れる要素しかない。この間教室で比較的高身長のグループの一人が背が高いとこれこれのことが苦労するなんてことをクラスの何人かと話してるのを見かけたあたり、本人からしてみればメリットばかりでもないのかもしれないけれど悲しい哉僕にはただただ羨望の対象だ。自分に何が足りないのか、彼らと何が違うのか。思考がぐるぐるとめぐり心が巨大な暗い渦に飲み込まれていくような感覚になる。うん、やっぱりこれもいつものことだ。 そんなことを考えているうちに家に着いた。 経年を感じさせる見た目に最近になって増設された駐輪場が目を引く二階建てのアパートが見える。名を「コーポなかむら」 横に3部屋の2階建。その一階の1番奥が僕が今住んでいる場所だ。建物と建物の間で影になっている部分を進み「小宮寺」と書かれたネームプレートをみる。新聞をとっていないので郵便受けには何も入っていないかと思いきや、近隣のスーパーのチラシやらパン屋の宣伝紙やら町の情報冊子やら近々始まる工事のお知らせなどでパンパンになっている。中身がのぞいているということはまだ誰も取り除いていないということでイコール誰も帰ってきていないことを指す。そのことを確認した僕は来たる時間までに間に合ったことに嬉しさを感じつつ郵便物を持って玄関に向かう。あらかじめ上着のポケットから取り出しておいた鍵でドアのロックを外す。4月に入り空気も暖かくなってきたことで鉄製の玄関だと少々開けにくくなっているため、僕の力では開けるのがやっとというほどではないけれど若干息んで引かなければならず、僕は郵便物を脇に抱えて両手で顔の少し下あたりにあるドアノブを体をくの字に曲げぶら下がるようにして捻ってドアを開けた。 「ただいま」 と言っても返事が来るとは思っていない。部屋の電気は点いていないので誰もいないことは自明の事のようだけれどちょっとした事情があって照明は判断材料にならない。開けたときと同じ要領で体重をかけ扉を閉める。すぐに帰ってくる人を何もせず待つ気は無い。そもそもそれなら急いで帰る必要が無い。手近な場所にランドセルをなるべく丁寧において、閉まっている窓を開けていく。部屋は真っ暗だけどもう何年も住んでいる部屋だ、窓のある場所くらい分かる。玄関とリビング、そして寝室が1つ。どこもこれといって物が無い。これが僕が、いや僕たちが住んでいる部屋だ。家具という家具もほとんどないけれど不便を感じたことはない。クローゼットは備え付けのがあるし。ガラガラと音を立てて窓を開けると付近の建物に反射したものと沈みかけの太陽から直接くる夕光が同時に僕のボサボサの前髪に隠れた瞳を優しく照らす。同時に光源のなかった部屋ににわかに明かりを施す。まるでそれ自体が目的でそれを遮る僕のことなんて最初から邪魔でしかないかのように。帰るのに急いでいた理由は外明かりがあるうちに待ち人を迎える準備をしたいから、というのもある。先ほどの膝の手当てを簡単に済ませて部屋の隅にある自分よりはるかに小さい身長の冷蔵庫から昨日買っておいた挽肉と数種の野菜を取り出す。電気は通ってないから同時にスーパーで買っておいた氷塊で氷冷してある。今晩は中華だって言っていた。中華とはなんと豪勢なおかずだと思うけれど、近年の食料品の技術は日進月歩で去年新発売の…。キッチン下の棚から例のものを取り出し掲げる。 「このレトルトパウチ調味料”Cock doo?”があれば家庭でも本格的な中華が作れるのだ!」 まるでテレビCMの宣伝文句のような独り言をあげ、恥ずかしくなった僕はいそいそと夕飯の準備にかかる。先日ウチにやってきた新文明にテンションが上がってつい変なことを口走ってしまった。顔が赤いのは夕陽のせい。 日暮れの時間に合わせて変化していく外の雑草や草花の風にそよぐ音や虫鳥の鳴き声、通行人の話し声などをBGMに今夜の食事が出来上がっていく。料理自体は決して上手というほどの腕前ではないけれど、もうこのかた何年だろうか、簡単な炒め物や煮物など一通りの調理法はできるようになったと思う。同居人があまり家にいる時間が少ないことも起因していると思うけど何より料理が楽しい。そんな中やってきた家庭で簡単本格中華の謳い文句に思わずテンションがフライハイしてしまうのもナムルからぬ、いや無理からぬことだ。 そんなことを考えているうちにフライパンには超絶本格麻婆茄子が出来上がっていた。 文明の発達に驚きを隠せないまま一人声を上げる。「できた!」まだ湯気の上がる料理を底の浅い幅広の皿に移そうとフライパンをもちあげた瞬間、部屋の電気が一斉に着いた。びっくりしてうっかりフライパンを落としそうになったけれどなんとか持ち直す。そうか、電気が復活したんだ。いつの間にか外も暗くなってきていたのに今更になって気づく。もうそろそろしたら帰ってくる頃か。リビングの隅に立てかけてある座卓を部屋の中央に展開し皿に移した麻婆茄子をその上に置き、電気が蘇ったので電子レンジで即席ご飯を温めてからこれまたドンブリに移し卓に並べる。今日はいつもよりうまくいったような気がする。早く帰ってこないかな。座卓を挟むようにして座布団を二つ敷き片方の上に正座をしながら、じっと立ち上る湯気を見つめて来たる人を待つ。 …遅い。流石にちょっと遅い。ひょっとして道中何かあったのではと不安になってくる。もう8時近くだ。料理を始めた時間ははっきりと覚えていないけれど暗くなる前だからだいたい5時くらいだと思う。せっかくの力作もすっかり冷めてもの悲しげな空気に包まれている。明日の学校の準備もあるしこのまま来ないなら皿にラップをかけて冷蔵庫に保存してから夜闇に捜索に出るところだ。それぞれ皿と丼にビニールの蓋をして冷保するため冷蔵庫まで持って行こうと持ち上げた瞬間玄関扉が勢いよく開き、 「ただいまァァァァァァァァ!!岬!!!!遅くなって悪い!」 「ひゃ!!」 びっくりした!びっくりした!びっくりした! それはもう心中で3回も繰り返すくらいびっくりした。びっくりしたから体が反応してしまった。自慢はおろか他人に喋るのもはばかられるくらいの腕筋と握力によって支えられていた2つの食器は衝撃による反動によりその手を離れ、昨日掃除したばかりの床に超超本格中華麻婆茄子と白米と食器の破片がぶちまけられる。 一瞬の沈黙。床に広がる悲劇。やってしまったという顔の細身の男と涙目の僕。 「すすすすすすまん岬!!怪我しなかったか⁉︎」 …怪我はしなかった。しなかったけど。僕の視界が潤んでいる原因はそこじゃない。流石に彼もそれはわかっているようですぐに足元まで駆け寄ってきて皿の破片を回収し被害の少ない部分の料理を救出していく。 「ごめん岬。先に食べててよかったのに、待っててくれたのか。」 「…うん」 少し残念だったけど全部台無しになったわけじゃないのが不幸中の幸いだ。大丈夫、泣いてはいない。”漢なら決して泣かない。泣いていいのは友のためだけだぜ岬”。僕の唯一の家族との約束。どこか出先で読んできた漫画に感化されて帰ってくるなり僕に放ったことばだったと思うけど、僕が愚直にずっと守り続けていることの一つだ。泣くのを我慢できたことを彼も察したようで救い出された分の料理を卓に移動させて、その時に汚れた手を洗ってから僕の頭を優しく撫でてくる。 「それで、なんでこんなに遅くなったの?兄ちゃん」 「あーそれはな…これを買いに行っててさ」 玄関に置き去りになっていたビニール袋を僕の目の前に中身が見えるように持ってくる。 「わあ!」 「岬の好きなフルーツ缶買いに行ってたらちょうどスーパーのタイムセール中でさ、ごった返したオバちゃんと格闘してたらだいぶ遅くなっちまった。ごめん。でもおかげで安くてこんなに桃缶とかみかん缶とか選り取り見取りだぜ」 「でもなんで?今日別に兄ちゃんも僕も誕生日じゃないし何か記念日でもないよ」 「いや、ほら先月は俺が電気代のこと忘れてたせいで岬に結構苦労かけたからさ。お詫びってわけじゃねえけど給料日くらいデザート用意しとこうかと」 「もう、別に僕は大丈夫なのに!兄ちゃん気使いすぎだよ」 「そういうなって。ほら飯食おうぜ。早くしないと料理が冷めちまうぜ」 「もうひえひえだよぉ。もう…」 二人してそれぞれいつもどおりテーブルを挟んだ向かい合わせの状態で座る。うん、いつも通りの兄ちゃんだ。いつもの明るい兄ちゃん。僕の大好きな兄ちゃん。僕のただ一人の家族の兄ちゃん。 波乱はあったものの無事夕食を終えた僕たちは明日もある学校の用意のために寝室に向かう。今年で12歳になる僕が小学校6年生なのに対して兄ちゃんこと小宮寺徹は中学3年生。一般には受験生と言われる立場のはずだけれど「今よりバイトのシフトが入れやすくなるから更に稼げるようになる」らしい。高校には行かないつもりなのだろうか。行ったとしてその先に待ている学校生活がいいものになるかどうか、今の自分には判断がつきにくいというか。ロクな学校生活をおくった事がない僕にはどんなものが良好と言えるのか判断材料が圧倒的に少ない。きっと今の僕には古今東西あらゆる辞書に載ってる”青春”のふた文字が全くもってピンとこないに違いない。 「ところで岬、膝どうしたんだ」 あ、 「えっと、転んじゃって」 間違ってはいない。 「平気だったか?痛くないか?」 「大丈夫だよ。」 「うん、そっか。気をつけるんだぞ」 たとえどんな理由で怪我しようとそう答える事がわかっているだろうに。社交辞令のような会話が続く。でも兄ちゃんといるこんな時間が一番落ち着く。こんな家庭環境のためか兄ちゃんの弟に対する扱いは少々過保護気味なところがある。昔近所の公園で泥を投げられて帰ったあと兄ちゃんに誰にされたのかと詰問され、名を告げるとその人の元へ行き制裁を加えようとした事があった。その時は静止が間に合ったからよかったけれど放っておいたら何をしたかわからない。それからはあまり兄が暴走しないように発言には気をつけている。 さて、時間ももう遅い。明日の準備と宿題を適当に終えて人一人がやっと収まる大きさの風呂釜でかわりばんこに湯に浸かり寝る準備にかかる。先に敷いておいた二人分の布団に火照った体をこれまた二人同時にダイブする。 いつも通りの光景。いつもの二人。何も変わらない毎日。でも僕はそれでいい。兄ちゃんとこうやって一緒に喋って一緒にお風呂入って一緒に料理して一緒にご飯食べて一緒に寝て。それで十分だ。それらがあればどんな痛いことも耐えられる。生きていける。 「おやすみ岬」 「うん、おやすみ兄ちゃん」 いつもとちょっと違ういつも通りの1日が眠気によって瞼と共にページをとじる。その瞬間のことだった。 僕は 真っ白な世界に一人で立っていた。
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