ビートル・ガール

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ビートル・ガール

物心ついた頃にはすでに虜になっていた。お父さんの趣味の影響がほとんどだと思うけど小学校3年生になる頃にはこの体にはビートルズの血が流れるようになっていた。他にもヤードバーズやツェッペリン、ビリージョエルも部屋には置いてあったけれど、どういうわけかあたしにはスーツ姿の卵頭4人組の奏でる音楽が深く心に響いた。学校から帰ると手を洗うのも忘れお父さんの書斎にある棚からレコードを勝手に取り出し針を落として聴いていた。そしてお父さんが帰ってくると部屋で疲れて寝ているあたしを呆れた顔で起こしてから、もう一度レコードをきくということがもうルーチンになっている。家が近所で幼馴染の朝霧潤ともよく一緒に帰って聴いてからこの曲のこのフレーズが好きとか、ドラムのこのタムがいい具合だとかくっちゃべっている。そんな毎日の中、あたしの体を稲妻がかけるかの如く衝撃的な一言が貫いた。それはある日潤とアルバム「リボルバー」を聴きながら彼女が何とは無しに呟いた言葉だった。 「私達には…できないのかな…」 全く発想になかったことだった。こんなに曲は身近にありながら雲の上の人のように感じていたバンドという存在。それが急にまるで手で掴めそうなほどに目前に迫らせられる魔法のセンテンスだった。もともとお互いの親がかつてバンドを組んでいた関係で知り合ったということもあり家にはその当時の楽器が後生大事に長方体のハードケースでしまわれている。体を支配する衝動に身を任せ、すぐに互いの家の倉庫に眠るものを持ち寄った。が、そこで早速壁にぶち当たった。親の私物の楽器を持ってきたせいでその種類は親のもともとやっていたパートに準拠する。そのため二人してあたしの部屋でエレキギターを持って集まったときにはどうしたもんかと思わず向き合って顔をしかめた。しかもかなりの経年により機械に繋いでもろくな音が出ないという始末。それでも学校で習うようなアルトリコーダーやピアニカよりはずっとマシだと思いしばらくは二人で親に教わったり曲を聴きこんだりして練習していた。 「これじゃあバンドって言えないんじゃないか?小夜」 「しょうがないだろギターしかないんだし。っつってもやっぱメンバーが足んないのはそうか。えっと今足りないのは…」 「ビートルズをやるんだったらドラムとベースが必須だろ。それとボーカルも」 「うっわ、面倒!」 「文句言うなよ。私も友達で興味あるやつ探してみるからあんたもクラスのやつ当たってみて」 「はいよー」 かくしてあたしたち「志々田小夜バンド」のメンバー探しが始まった。あまり面倒で手間のかかることは得意じゃないけどこれもあたしたちの果てなき夢のため。よーしやったるぞー。 潤の発案で町内の掲示板に募集ポスターでも作って貼ってもらったらということになって、その場の思いつきとノリだけの制作時間10分でできた完璧な勧誘文句のポスターを親に事情を話し町内会やら何やらに口を利いてもらって町のいくつかの掲示板に貼ってもらうことになった。「いやあ、お前がバンドなんてやっぱり俺の子だなぃいっっって!!」なぜか腹たつドヤ顔の親のスネを蹴り飛ばしあたしは学校へと急ぐ。学校にある方の掲示板にも貼ってもらうためだ。わざわざ早起きしてまで早朝登校したというのに学年主任の西山ったら「いけません!我が校でバンドなんて野蛮なこと!」なんて今時信じられないくらい古臭いことを言って全然許してくれなかった。いくら反論しようと折れる気配がないので仕方なく今日のところは引き下がった。決して相手の「ところで志々田小夜さん、国語の宿題がまだ出…」という理解不能の謎の呪文に屈したわけじゃあない。むむむ、こんなことであたしたちの夢が断たれてたまるか。先生の許可なんて必要ない。真のバンドマンへの道は自分たちで切り開いてやる。ということで教室で放課後の作戦会議。 「くっそー西山めぇ」 「仕方ないだろ、先生の許可がなければ学校内に掲示はできないんだ。別の方法を考えるか。あとお前は宿題をやれ」 「校門前で呼び込みしようぜ!」 「ダメに決まってるじゃないか。西山先生のあの様子だとバンド自体がマイナスイメージっぽいし。あとお前は宿題をやれ」 「バンドの何がいけないんだよ!」 「知らないよ、先生に直接訊いてこい。あとお前は宿題をやれ」 むむむむこれは意外にも難しくなってきたかもしれない。クラスのめぼしい連中には軒並み断られて違うクラスの楽器できそうなやつにも当たったし果てには音楽の授業の教師にもメンバー揃うまでの代打をお願いしに行った。なのに結果は見事に撃沈。あんな薄情者たちのことなどもう忘れよう。しかしどうしたものか。この崇高なる高みを共に目指す同志はどこかにいないものか。鼻先と上唇で鉛筆を挟む遊びではやる気を紛らしていると教室の端の方後ろの出入り口の方から突然声をかけられた。 「バンドってどんなことをするの?」 「おわ!」 すっかり人ははけていない時間だと思っていたから急に声をかけられて少し驚いてしまった。鉛筆が落ちたそのままの顔で部屋の後方を向く。多分今あたしすごい不細工な顔をしている。 「ふふ、なんだか楽しそうな話をしていたから」 こいつは確か…誰だっけ。クラスの人間だから見かけは知っているけれど名前が一致しない。クラス替えで初めて一緒になったやつだ。ええと、と視線を宙に彷徨わせながら名前はなんだったかと頭を悩ませていると潤の方が先に反応をした。 「ああ常陸院さんか」 ああ思い出した。確か読み方は「ひたちいん」だったような。変わった苗字だから新学期の自己紹介時に聞いたのを覚えている。あまり絡んだことがないのは多分あまりあたしが絡めるタイプじゃないからだ。 彼女の印象を一言で表すなら”ふわふわ”だと思う。肩まである髪は内巻きの鮮やかな栗色でいかにも触ったら気持ち良さそう。顔はたまにテレビドラマで見るような子役俳優よりも全然整った美少女のそれで大きな垂れ目が特徴的。そして一体何がそんなに楽しいのかいつも笑顔を浮かべている。掛け値無しの美人顔だがそれを鼻にかけている様子はないし人当りもいいイメージでなんだか完璧に思えてしまう。ちなみにだがあたしの向かいに座る潤も学年で1・2を争う麗人だとあたしは思っている。教室内を占める人口の美人の割合になんだか萎縮してしまうが、なんとか精神を整え落ちた鉛筆を拾いながら話を切り出す。 「で常陸院さん、なんかよう?」 「えっとだからバンドって何するのかなって」 「何ってそりゃ音楽だよ」 「ああうん、そうじゃなくてどんな音楽するのかって思って」 一つ一つの仕草が品があってまるで大財閥のご令嬢といった具合だ。首を傾げて質問してくる姿も絵になるようだ。動くたびに背景から花びらが飛んできそうで。ううん、住む世界が違う。苦手なタイプというわけじゃないし悪いやつじゃないんだろうけどなんとなく絡みづらい印象が拭えない。それにこいつにバンド、特に5・60sのオールドなロックンロールナンバーを聴くとは思えない。あまり望みは薄いと思いつつも今は藁にもすがる思いだ。説明を簡単にしてとにかく楽しさを伝えるように努めて話す。 「バンドはこれこれこういうものでこういう音楽をするつもりでかくかくしかじか今はメンバーが足りなくて困ってるんだよ」 「へえなんだか楽しそう!」 意外と好感触だ。すかさず潤が後に続く。 「常陸院さんは音楽ってなにか聴くの?」 「そうね、あまり音楽に造詣を向けてはいないけれど小さい頃からピアノを習っているからクラシックを好んで聴くかも」 イメージ通りすぎて笑ってしまう。これは無いかな。 「でも話に聞くロックにも興味があるの。バンドって楽しそうだね。私ドラムやベースはできないけれどなんだかバンドにすごく興味が湧いてきたよ。私でよければ力になりたいな。」 意外すぎて笑ってしまう。ロックへの興味もそうだけど何よりバンドをしたいという旨の返答を速攻でしてきたのには驚いた。以前からちょっと天然かとは思ってたけれどこんなノータイムでしかもこっちから頼むまでもなくOKだとは思わなかった。パートはピアノとあまり役立ちそうに無いがあとで練習すればなんとかなるだろう。 「やったー!!サンキュー助かる。もちろん大歓迎だぜ。あたしは志々田小夜。さよでいいよ、つっても同じクラスだから知ってるかもしれんけど」 「これからよろしく。私は朝霧潤だ」 「うふふ、よろしくね。私は常陸院みさだよ。苗字がちょっと長いから短く「みさ」でいいよ」 心なしかいつもより3割増しの笑顔の女子生徒常陸院みさがあたし達のバンドの3人目のメンバーに加わった瞬間だった。 その日はもう時間も遅いので3人とも帰ることになった。せっかくだから一緒に帰ろうということになりあたしと潤とみさ3人で夕暮れも極まる下校路を歩いていく。教室にいるときから終始楽しそうなみさがあたしたちのことを根掘り葉掘り訊いてくるもんでそれぞれ適当にあること無いこと冗談を交えながら答えている。話していて意外に思ったこともいくつかあって、まず彼女の家は別にどこかの社長一家でもなければ家徳に恵まれている訳でも無い普通の家らしい。てっきりいいところのお嬢様か何かだと思っていたあたしはそれにちょっと面食らってしまった。まああたしはそういういわゆる上流階級然とした人間を少々嫌っているところもあるので都合がよかったといえばよかったのかもしれない。他にはあたしたちが今ギターの練習中だというと自分も興味があるといってきたり、得意なことは体を動かすことだとアクティブな面ものぞかせたりとこうして話さなければ知らなかったであろうことが多くて楽しい。真面目が強いな印象だったけれどあたしたちの冗談に普通に乗ってこれるあたり思っていたよりもユーモラスなやつでもあるらしい。 「うふふ、でもよかった」 「何がだよ?」 「実は二人のことは前から気になっててね、仲良くなれたらと思っていたの。だから今日はとっても嬉しい」 そうだったのか。ずっと笑ってるのはもともとそういう顔だからってだけでは無いのか。それにしても思わぬ増員になったがこれでメンバーは3人。一応バンドの体を成す最低限人数にはなった。明日また集まって今後の作戦を練るとしよう。帰り道の途中、みさに自分の家の方向を尋ねられてあたしは今いる位置から大体の方向をあたりをつけて指を差す。すると、「あら私の家もそのあたりだよ。奇遇だね」と言ってきた。何から何まで新しく知ることばかりだ。思ってたよりずっととっつきやすそうだし付き合いに苦労することもなさそうだ。ただ一瞬気になったのは家の位置を教えてからのみさの目がほんの少し鋭くなったような気がしたことか。 「へえ、なら明日からとんがり公園で待ち合わせて一緒に登校しようぜ」 「わあ!いいね。そうしましょう」 「これで朝寝坊できなくなったな小夜」 「うるさい、潤こそ朝飯食うの遅くて遅刻できないからな」 潤以外とこうやって談笑しながら学校帰るのも久しぶりだ。帰り道同じで仲のいいやつはクラス替えで違う組になってさらに3年から新しくクラブ活動ができるようになってその都合でクラブに無所属の潤と帰路を共にすることがいつもの光景になった。しばらく3人で話しながら歩いてると明るかった夕日にも闇が差し込み始めてきた。だんだんと話すこともなくなってきたあたしは好きな音楽の話題にシフトをかけようとしたらそれまでニコニコしていたみさがそのままの笑い顔で打ち止めをかけてきた。 「あ、私はちょっと用事があるからここでお別れだね」 「そっか、じゃあ明日なー」 「うん!」 この辺りはまだ街灯があるから平気だけどもうすぐ歩くとそれなりの広さを持つ田んぼ道に出る。あのあたりは街灯が少なくて夜出歩くと少し、ほんの少し怖い。暗くなってきた町の中を一人で通って帰ろうとするみさに「大丈夫か」と声をかけそうになるが、あたしの方にもそれは言えることなのでやっぱり自粛しておいた。あたしたちと別れたあとのみさの様子を振り返ってチラリと見る。あたしたちと仲良くなりたいと言っていたみさの後ろすがたはいかにも上機嫌でその様子は角を曲がって体が見えなくなるまで続いていた。だからみさがこのあと誰とどんなことを話しているかなどはあたしには知る由もない。 「まあいいやつではあるし。大丈夫だろ」 「何独り言いってるんだよ小夜」 「何でもねえよ。ほらあたしたちも帰るぞ潤」 いらないことを考えるのはよそう。今日は念願の新メンバーが来た日だ。明日から忙しくなるぞ。 もうすっかり夕闇が支配しているアスファルトの歩道を2人並んで歩く後ろの遠くから聞き慣れない自動車の駆動する音が聞こえてきた気がした。 「おかえりなさいませお嬢様」 「ええ」 「今日は何か楽しいことがございましたか?」 「ええとってもいいことがあったわ」 「それはよかった。本日はこのあとの予定はございませんが如何致しますか」 「そうね、習い事もないしこのまま帰って頂戴」 「かしこまりました」 「ああそれと」 「はい、何でございましょう」 「家を一軒建てて欲しいの。〇〇町の2番地あたりに普通の一戸建てのを」 「かしこまりました。奥様に伝えておきます」 「よろしくね」 ばたん。黒塗りの高級車のドアを執事が閉める音がする。今日は疲れた。 「嘘をつくのは…やっぱり苦手ね…」 田舎町に不釣り合いなほどに艶やかな黒い海外社製の常用されないタイプの乗用車が街灯少ない夕闇通りを自慢げにヘッドライトで照らしていく。明日からの楽しみに胸躍らせながらため息交じりに私はそう呟いた。
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