ボーカル

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視界には7月の茹だる校庭。心身はともに良好。いたって元気そのものの自分の肢体を大いにふるって相手のコート内に残った敵、いや”的”に向かってこの右肩が唸りを上げる。次々上がる断末魔と悲鳴の間をボールが駆け抜けていく。生徒数30余人の3年3組。時限は4つめ。体育はちびっこの頃から得意でさらに加えて今日は人情派で有名な糺先生の計らいによりこの時間はみんなでドッジボールにしようという話になり今に至る。ゲームはワンサイドであたしのチームから犠牲者は出ておらず惨劇は相手、潤のいる方のチームにばかり繰り広げられている。ひひひ次はどいつのタマをいただこうかなぁ。 「く、やはりやるな小夜」 「グハハハハ潤よ、もう貴様らに勝ちはないぞ!降参した方がいいんじゃないかぁ?」 「くそ、負けるものか!私は敵の甘言に屈しはしない!」 「頑張って〜二人とも〜」 長い黒髪を後ろで縛った潤とあたしとで勝手に始めたプロレスにあたしの後ろからみさの激励が掛けられる。潤も昔から運動はあたしほどではないがそこそこ得意でありなかなか侮れないところがあるため早めに退場してもらいたいものだったが、どうして簡単には倒れない。できれば降参してもらいたかったが、失敗したか。 「だがこのままでは負けてしまう。何か手はないか!」 なんだかデパートの屋上でやってるヒーローショーみたいな台詞を言っていてなんだか。うぅん、ちょっと恥ずかしくなってきた。そんなやりとりが何度か続いた後で業を煮やしたあたしは右手に抱えたボールを潤に向けて投げた。が、結果は潤にボールをキャッチされることとなり相手に反撃のチャンスを与える運びになった。全国津々浦々の小学校のドッジ事情を知っているわけではないが大体どこもボールをキャッチすればアウトにはならないルールは一緒だと思う。ここでもそこは同じ。胸で勢いを殺し受け止めたボールをそのまま両手で抱えて投げるためのモーションに入る。 「よし、取った。だが無策で投げてもこの敵の数の前では意味がない。く、ここまでだというのか!」 なんか、うん。恥ずかしくないのかな。 「朝霧ー、こっちこっち!」 「おお太一、お前がいた。それならそっちから任せたぞ!」 金子太一。あたしたちと家が近所の幼稚園からの知っている男子の一人だ。そうか向こうにはやつがいたか。 「太一!任せたぞ」 「了解!」 敵陣から投げられたボールはあたしの頭上を綺麗な弧を描いてそのまま外野にいる太一の手に収められた。まずいな。太一も潤に負けず劣らずに運動ができるやつだ。しかも立っている位置があたしのちょうど後方になるので意表を突かれた形になる。こっちのチームはあたし以外ドッジボールが得意なやつがいないこともありあたしが先頭に立って敵を蹴散らしていた。なので必然的にそれ以外のメンバーはコートの後ろ側に固まっている。 「よし、反撃開始だ!」 「しまった!」 結果から言えば潤たちのチームの逆転勝ちということになる。結局あの後コート後方を陣取っていたあたし以外のチームはほぼ壊滅しあたしも他の人間に投げられたボールをキャッチしようとしてミスしアウトになった。アタッカーのいなくなったチームは瓦解しそのまま形勢を変えないうちにゲームセット、一人残らず駆逐されてしまった。 そしてあっという間に放課後 「ふふ、お疲れさま小夜ちゃん」 あたしはというと疲れて机に突っ伏してもう燃え尽きたようにに頭から煙を出している。いやほんとに煙を出してはいないけれど。潤とみさの二人で談笑は進められていく。 「でもみさだって結構いい動きしてたじゃないか、避けるのは」 「ふふ、二人みたいにうまくボール取れる自信ないよ。正面からくるボールってえもいわれぬ恐さがない?」 「気持ちはわかるけどな。私も昔は取れなかったけど小夜に負けるのが癪でな」 「ふふふ、そんな理由だったんだ」 「そ、小夜ってば小1のときに…」 雑談にますます花が咲いていく。教室の窓には夕色の西陽。あたしを囲む形に黒板側と右側机にそれぞれ腰掛けて談笑する二人の美少女。少なくとも伏せた顔を少しあげたあたしの視界からはそう映る。あたしと違い今はバンドのギターとベースという肩書を持つ友人達。自分が何者なのかを迷わず証明できうる要素を持ったかけがえない仲間だ。あたしは、なんだろ。ダメだ、またウジウジした纏まらない感じが思考に絡みついてきて何度叩き出しても同じ場所から這い出してくる。体を動かしていれば無心になれるかと思ってつい加減せず騒いでしまった。それで疲れて伏せて結局傷心しているのでは我ながら世話無いというか始末に負えないというか。 「あ、そう言えば」 「ん?どうしたみさ」 「さっき体育の授業のとき思いついたことがあるんだけど。二人ともこの後時間大丈夫かな」 「私と小夜は特に予定はないけど、一体何を思いついたって」 「正確には授業の終わるときなんだけれど。ふふ、とりあえずついてきて」 あたしと潤はその場で顔を見合わせ言われた通りにランドセルを背負い教室を出て行ったみさについて行った。何がどうしたというのだろう。廊下に出たあたしたちはみさに手招きされるまま他の教室を通り過ぎ職員室用務員室と抜けて行った。下駄箱でそれぞれの靴を上履きから外履き用に替え夕闇まで秒読みを始めて少し空気が肌寒くなってきた校舎の外まで一気にかけた。そしてみさは「こっちこっち」となおも手招きしている。なんだか昔話の怪談じみた言動に少し気味わるさを覚えるがここはフィクションでなく現実だ。少し、ほんとに少しだけ立ち止まってしまったがすぐにみさの後を追っていくと連れてかれたのは体育館の裏も裏、夕もまだ暮れはしないというのに校舎と体育館それからなんだかよくわからない棟、3つの背の高い建物の影になってその場所はかなり暗く目が馴れていないと何があるかわからない。だがこの場所自体は知っている。昼間には普通に明るいから何があるかも大体はわかっている。 「ここだよ二人とも」 暗闇の先からみさの声がする。なんだか本当に悪いものに取り憑かれているんじゃ…いやそんな筈はない。 「おい小夜、みさの奴大丈夫かな。なんか変じゃないか?なんで体育倉庫になんか」 そうここには体育の授業で使うマットや平均台跳び箱などをしまっておくいわゆる体育倉庫がある。なぜよく知っているのかと言えばあたしがクラスの体育係だからだ。あたしがこの場所に来るならまだしもみさはその限りじゃない筈で一体全体どうしてこんなところに彼女が来たのかわからない。傾いた陽から隠れるように完全な闇へと溶け込んだ体育倉庫の前でいつもの微笑みのままこっちに来いこっちに来いと片手を上下に動かしている。なんか…えっとなんと言いうか。うん。ちょっと疲れてるのかな、全身から汗が。これは今日は帰って早めに寝たほうがよさそうだ。あたしは体を素早く180度回転させて全力ダッシュしていますぐダイナミック帰宅をかましてやりたい衝動に駆られて構えをとる。が、それは潤に肩を掴まれることで阻止された。 「ま、待て…どこへ行く、小夜…」 見てみると潤も顔が半分引きつっている。こいつもか。 「い、いやあ今日は体育で疲れたからそろそろ帰ろうかと…」 「ぐぐ…私だけでは死なんぞ。お前も道ずれだ」 なんで死ぬことになってるのかというツッコミも喉をついてこないほど今のあたしたちは動揺していた。こうしているうちにも闇は刻一刻と迫っている。クラウチングのポーズを取ろうとしたまま潤の鬼神の如き握力で肩をホールドされているあたし。見る人が見たらなんとも珍妙なパントマイムのような様子の二人の小学生女子にみさが困ったような面持ちで声をかけてくる。 「ええと、どうしたの?二人とも。顔すごいことになってるけど」 「「え、いやっなんでもないよよよ」」 二人して同時にしかも全く同じ噛みかたをしてしまった。 「えっとね私今日体育が終わったあと先生に倉庫の戸締りお願いされててその時ちょっと思いついたの」 「何を?」 「うふふ」 なんだか含みを感じる悪〜い笑いかた。なかなか見ないみさの表情だが悪意は毛ほども感じないところから悪さをするってよりもどちらかと言えばいたずらっぽいと言った方がしっくりくるかもしれない。だが不思議と意外な気がしていない。いつものなんの邪気のない聖人の如き微笑みよりもこちらの方が素だと感じてしまうのはあたしの気のせいだろうか。出会ってまだ1週間の相手に何を勝手なことを考えているのかとも思うが。次々みさのことを新しく知っていくたびにあたしの中に微妙な違和感が少しずつ残って堆積いくような気がするのだ。いつも通りのみさと今現在物音を立てないように、だが楽しそうに体育倉庫の扉を開いているみさ。どちらもやはりみさには違いないが、なんというのか…ううん。どうも言葉にできない。あえて言葉にする必要もないのだろうが。先日とはまた別のモヤモヤがあたしを悩ませる。 鉄扉なのでどうしてもガラガラガラと鳴ってしまう音をそれでも最小限に抑えながらゆっくりと開いていく。光量不足の視界にも少し慣れてきたようであたしの目には開かれた倉庫の扉の奥が意外なほどしっかり捉えることができた。そこには当然しまわれているべき通常体育で使われるものがやっぱり当然にあった。マットやハードルそれから今日ドッジで使ったボール、跳び箱平均台他クラブ活動用各種道具さらにはライン引き用石灰など注意してみると思ったよりも様々なものがあった。 「ていうかなんで開くんだよ。鍵とかついてなかったっけ?」 「さっき授業終わりに開けたままにしておいたの。あとで二人を連れて来ようと思って」 「?どうゆうことだ」 みさに案内されて中に入る。中の様子はいたって普通で今朝体育で使ったもの以外の器物はその時みたままの状態であった。だいたい人が1人2人通れる程度のスペースを置いてハードルだのテニス用ネットだのが割と適当に、なんというか「なんとなくこの位置にあったんじゃね」的な感覚で置かれていった結果定位置に収まっていったような物体たちがある種の貫禄を見せて佇んでいる。しかしみさはこんなただの倉庫の中の雑然とした様子を見せたかったのかといえばそうではないらしく、先に倉庫の中に入っていたあたしと潤は入り口で相変わらず楽しそうにしている人に振り返り何がしたいのかと問おうとしたら当人のみささん、なんと倉庫の頑丈かつ堅牢な鉄製の扉を内側から閉めているではありませんか。 「「ちょっちょちょちょちゅちょっちょっと!!!!」」 慌てて二人でみさを止めようとするがもう遅い。重い両開きの扉はその手によって完全に閉じられてしまった。ちょっやばい。まじやばい。何がやばいって暗い。まだ完全な闇じゃなく僅かながら庫の壁の上にある換気窓から外の光が射して来ているがこれがもう少し日が傾いてくるとなると。やばいまじやばい。 「ちょっとみさどういうつもりだ!はっまさかこのまま私達を謎の研究所まで連行して悪の手先に改造するつもりか!くそうまさかみさが闇の神官ダイ・アクマーンに操られていたなんて!!!くっだが私は負けんぞ!かかってこい私が正気に戻してやる!どうした私は友人に技をかけるのに躊躇はしない!てかみさどこだよなんとか言え〜」 潤の声が聞こえる。いったい彼女の中でどんなストーリーが展開されているのかさっぱりわからない。最後の方は震えて涙声になっているし。あたしも震えはしないが若干、若干ね。 「ふふっごめんごめん驚いた?」 カチッと音がした方を見るとみさがランプを両手で胸元に掲げて立っていた。ランプといっても本物の火で明るくするタイプのものではなくキャンプする時などに使う乾電池式の電灯だ。あたしたちは尚もニコニコ顔のみさに途中足元の何かわからないものにつまずきながらなんとかそばまで詰め寄った。 「おいおいなんだよみさどういうイタズラなんだこれは」 「えっとね、なんていうかその」 ライトに照らされているみさの顔は楽しそうなのは変わらずだがなんとなく恥ずかしさが混じっている。さっぱり状況が飲み込めない。二人の人間を監禁した当人はその二人を前にもじもじと照れた笑い顔を崩さないでいる。 「うぅんとね、えっと。実はね」 「「?」」 「単刀直入にいうと、ワクワクしない?」 「「…………………へ?」」 「実は二人と一緒に何か楽しい遊びできないかなと思って考えてたら今日倉庫番になってその時思いついたの。この倉庫使って何かできないかなって。」 「何かってなんだよ」 「うーん、肝試しとか?」 「「却下」」 「えーなんでー?」 「第一学校の建物でそんなことして見つかったらタダじゃ済まないだろ」 「そーだそーだ」 「大丈夫!人が来ない時間を狙えば!」 「いやいやいやリスクの方が高すぎるって」 「そーだそーだ」 「実はここ夜遅くに用務員さんが通るまで誰も近くに来ないんだ。見回り担当の人がものすごく怖がりさんでずっと巡回するのをサボタージュしてるんだって。念を押すとちゃんとした情報源だよ」 「だからってなぁ」 「もちろん大きな物音は出さないように気をつけるよ。とにかく二人と何かしたいんだよ」 「うーんん…」 「ねーお願い小夜ちゃん潤ちゃん」 「えぇと要するにみさは秘密基地ごっこがしたいってことか?」 「そうそれ!秘密基地!」 そういうことか。やっと納得がいった。つまりみさの言いたいことはあたしたちだけで誰もいない倉庫を使った簡単な秘密クラブ的な企て遊びをしたいということか。今更だがなかなかデンジャーなこと考えるやつだな。それになんとわかりづらい。あたしでもそこまでのことは思いつかんぞ。しかしどうしたものか。ここまで話を聞いて得心はしたもののあまり首を縦に振るのにはやはり若干の抵抗がある。あたしが暗いのが怖いとかそういうのではなく、ほら潤もさっきからあたしの後ろで涙目で「そーだそーだ」しか言わないマシーンになってるし。それに実際問題先生にバレた時のリスクがバカ高いのは事実だ。今こうしているのだって誰かがここに入って来た瞬間速攻親に連絡行きだろう。 「いつ先生にバレるかわからないスリルとドキドキ感!そしていつもの学校生活とは一味違ったプライベートスペース!素敵だと思わない?」 「うーんん」 言いたいことはわかる。気持ちも。だがやっぱり…んんんんむむむ。 「そういえば奥にあるもう使われてない古い跳び箱があるんだけど、そうあれ。あれに隠せば楽器も学校でこっそり練習できるかもよ。ううんできるよ!私と潤ちゃんのパートはお互いの楽器だから集まった時にしか練習できないけれどこれで練習時間も問題なし!」 「よしわかった。なるほど秘密基地か。いい響きじゃないか」 おい、あっさり寝返るな音楽バカ。音楽とつけるのがダメならベースバカ。物につられて簡単に思考停止してんじゃない。さっきの正義の味方然とした振る舞いは影も形も無い素早い転身に思わずツッコミを入れたがこれで2対1。ものの一瞬であたしの方が圧倒的不利な形勢になった。あたしの方は別に特別反対したいと思っているわけではないのだが、どちらかというと心配しているのはあたしたち全員の見つかった時の対応とかどこか別の場所でうっかり口を滑らせないかとかのことなのだが。まあ本人たちがいいならいいか。どうせまだ小学校生活もまだ折り返しだ。ここで何かあってもまだ人生が一気に終焉まで転ぶわけじゃない。それに少々の火遊びはあたしも望むところだ。あたしのパートはまだ決まってないけれど残りの3年間で多分どうにかなるだろうし。そうなればあたしをここ数日悩ませてくるこのモヤモヤともおさらばだ。諦めなければ、前を向いていればきっと光は見えてくるはず。あたしは二人に賛成の意を伝えるとそれじゃあ明日早速家から楽器とその他好きに持ち寄るということになって今日のところは帰ろうという話の運びになった。3人でゆっくりと扉を開けやっと外に出られた時には外はもう日が暮れる寸前だった。暗闇になれた目には夕の僅かな光でも眩しく感じたがなんとか急いで暗くなりきる前に家に着くことができた。部屋のベッドに就くと昨日の今日でまたもや疲れがどっと押し寄せ、期せずしてあたしはいつもより少し早く眠りに就くことができた。 みさに出会ってからというもの潤と二人で遊んでいるだけじゃわからなかったようなことがいっぱいあった。今日のようなめまぐるしい出来事がこれからもあるのかもしれない。楽しい出来事もびっくりすることも怖いことも。だとしたら覚悟はしといた方がいいのかもしれない。俗に時間は忙しいほど、楽しいほど早く進むというらしい。父親が以前言っていたことを思い出す。そしてこうも言っていた。6年間なんてあっという間だ。後悔しないように過ごすんだぞと。そのときあたしは確かいやいや小学校は6年間もあるんだぞと笑い飛ばしていたと思う。そしてあれよあれよといううちにあたしたち3人は小学校4年生になっていた。 あたしはまだ自分の鞘を見出せないでいる。
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