変わりゆく景色の中で

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変わりゆく景色の中で

 視界の端に、映っていたのは――  まさかね。見覚えのあるその姿に、僕は、嬉しさよりも愛しさよりも何よりもまず先に「まさかね」そう思った。  成人したての春のこと。この街の雑踏の中、僕の視界の端に、貴女(キミ)は確かに、いたんだ。  景色が鮮やかだった。  余裕のない僕。  誰にでも優しい貴女。  週1のメールから始まり、背中合わせの通学バスを経て、あの夏、僕は、貴女しか見えなくなった。  景色が穏やかだった。  わがままな子供だった僕。  すべてを受け止めてくれる貴女。  受験の苦しさも、あらゆる辛さも、貴女と一緒に過ごせたから…… 「このままずっと一緒に居られるだろうな」  僕は楽観視しすぎていたのかな。でも、不思議と確信めいていた。  景色が揺らめいた。  福岡の大学に進んだ僕。  地元で勉強に励む貴女。  互いの生活環境が変わって、貴女は受験に集中するようになり、2ヶ月会えないこともあった。いつも傍にいた貴女が、いつの間にか、細い声だけになっていた。話題といえば僕の大学のことしかなくて。電話で楽しそうに大学について話す僕に、貴女は寂しいような悔しいような複雑な声で返していた。顔を見ることはできなかったけど、きっと声以上に暗い表情をしていたんだね。気づけなくて、ごめん。  そんな貴女をどうにかして支えようと、僕も寂しさを堪えながら……久しぶりに会えた時間をこれまで以上に大事にしたり、精一杯の想いを込めた手紙を出したり。等身大で、僕なりに手を差し出した。それでも、僕と貴女の間の不安定な「何か」は消えなかった。不安に塗りつぶされたんだ。  景色が滲んだ。  3度目の夏が来る頃、地元に呼び出された僕。なんとなく予感はしていた。貴女のことを想うなら、僕から言い出すべきだったんだ。分かっていた。でも勇気がなかった。 「別れよう」  僕はまだ貴女のことを、好きだから。言えなかった。いろんな辛さでぐちゃぐちゃなはずの貴女に言わせてしまった。 「勉強に集中したいの」  そう言われたら、僕には何も言えるはず、なかった。 「ずっと、応援してる」  擦り切れそうな声で、そう言うのがやっとだった。  景色が、見えなくなっていく。  貴女を支えたかった。僕のその想いは逆に働いて、貴女の重荷になった。辛さになった。  思いやりが足りなかった?安らげる場所になれなかった?  受験が終わったら、また一緒に過ごせるよね?今度は、細い声なんかじゃなくて、ちゃんと貴女を傍に……  別れても貴女を想い続けていた僕は、ときどき応援メールを送っていた。でも、1ヵ月後。「好きな人ができたの」  ついに、景色は、消えた。  勉強したいんじゃなかったの?受験が終わったら、戻ってきてくれるんじゃ……なかったの?……よく考えたら。彼女はそんなこと一言も言ってない。僕が勝手に思い違いしていただけ。でも、なぜだろう……。 「裏切られた」  その言葉が、ちくり、じわり。頭に広がっていった。僕は、その憎しみ、憤り、悲しみ、わけの分からなくなった負の感情を、とにかく貴女に叩きつけた。きっと、嫌われた。ものすごく。酷いことを言って突き放すほうが、貴女のためなのだと、無理やり自分に言い聞かせた。でも実は、僕自身が楽になりたかったのかもしれない。  あれから僕もいくつか恋をした。あの夏の、子供だった僕も、いくらか成長して、こう思うようになったんだよ。  また、貴女に会いたい。今会うと、どんな感じなんだろう?そんな、僕の強い想いが、もたらしてくれた"奇跡"。視界の端に、映っていたのは、確かに貴女だったから。  あの春の日、僕は、普段なら断らない友達の誘いを、断った。天神の雑踏の中にいたのも、偶然だった。 「まさかね」  そう思いながらも、気になって追いかけた。そんないくつものイレギュラーが、会いたいと願っていた貴女に引き合わせてくれた。だんだんと近づいていく、貴女の後姿。 「あっ」  貴女はあの日の、鮮やかで穏やかな笑顔を、僕に向けてくれた。  一度は消えた景色が、戻るのを感じた。  あの夏の日に二人で観ていた、鮮やかで、穏やかな景色。貴女と言葉を交わした数分間で、僕は、そのすべてを取り戻した。  今でも思うよ。貴女と再会できたこと、"奇跡"だったんだなって。 《終》
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