49人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
弐 『鏡地獄』
「ねえハル、内面が全部鏡張りの球体の中に入ったら、なにが見えるかな」
私の隣で光る板と戯れている男に尋ねる。男の肩越しに画面を覗き込むと、なにやら黄色い電気ネズミのモンスターが出現しているところである。
「なにそれ、また思考実験?」
モンスターにボールをぶつけながら男は言った。男は哲学好きな私のために、よく思考実験に付き合ってくれる。
「思考実験ではないけど、今読んでる本に出てくるの。気になったから聞いてみた」
《Excellent!》と表示された画面を伏せて、男は暫し考え込む。私は多分、全く趣味の違うこのひとの、真剣に考え込む姿を好きになったのだと思う。
「──見えない」
彫像のような横顏に見とれていたら、男は一言短くそう言った。
「──そのこころは」
その答えに至る理由を考えてみたけれど、私にはわからなかった。男は自信に満ちた表情で答える。
「だって光源が無いわけでしょ? 完全な暗闇の中では何も見えない。終わり」
終わり。
彼はよく、答えの最後に《終わり》と言う。証明の最後にQ.E.D.と書くように。
「──なるほど理解、ぜったいそれだ。ハルすごい! さすが! てんさい!!」
なるほど理解。もともと彼の口癖だったこれが、気付いたら私にも移っていた。
「でしょ? 愛してる?」
きっと彼は、私がなんと答えるか知っている。
「愛してる愛してる。それはもう、殺してしまいたいくらいに」
心の底からの笑顔で言う。殺してしまいたいくらいに。
「あんまり死にたくないけど、あいになら殺されても本望。愛してる」
「あら嬉しい。でも──」
その続きを必死で留める。言ったら、虚しくなることはわかり切っているから。
「でもどうしたの?」
優しく問うてくれる彼に、首を振って微笑みかける。
「やっぱりなんでもない」
──でも、私を殺してはくれないのね。心の中で、そう呟いた。
最初のコメントを投稿しよう!