弐 『鏡地獄』

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弐 『鏡地獄』

 「ねえハル、内面が全部鏡張りの球体の中に入ったら、なにが見えるかな」  私の隣で光る板(スマホ)と戯れている男に尋ねる。男の肩越しに画面を覗き込むと、なにやら黄色い電気ネズミのモンスターが出現しているところである。 「なにそれ、また思考実験?」  モンスターにボールをぶつけながら男は言った。男は哲学好きな私のために、よく思考実験に付き合ってくれる。 「思考実験ではないけど、今読んでる本に出てくるの。気になったから聞いてみた」  《Excellent!》と表示された画面を伏せて、男は暫し考え込む。私は多分、全く趣味の違うこのひとの、真剣に考え込む姿を好きになったのだと思う。 「──見えない」  彫像のような横顏に見とれていたら、男は一言短くそう言った。 「──そのこころは」  その答えに至る理由を考えてみたけれど、私にはわからなかった。男は自信に満ちた表情で答える。 「だって光源が無いわけでしょ? 完全な暗闇の中では何も見えない。終わり」  終わり。  彼はよく、答えの最後に《終わり》と言う。証明の最後にQ.E.D.と書くように。 「──なるほど理解、ぜったいそれだ。ハルすごい! さすが! てんさい!!」  なるほど理解。もともと彼の口癖だったこれが、気付いたら私にも移っていた。 「でしょ? 愛してる?」  きっと彼は、私がなんと答えるか知っている。 「愛してる愛してる。それはもう、殺してしまいたいくらいに」  心の底からの笑顔で言う。殺してしまいたいくらいに。 「あんまり死にたくないけど、あいになら殺されても本望。愛してる」 「あら嬉しい。でも──」  その続きを必死で留める。言ったら、虚しくなることはわかり切っているから。 「でもどうしたの?」  優しく問うてくれる彼に、首を振って微笑みかける。 「やっぱりなんでもない」  ──でも、私を殺してはくれないのね。心の中で、そう呟いた。
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