第1話

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第1話

 笑え。楽しければそれでいい。  ──少しでも楽しいと思えなければ、何事も上手く行かないのだ。 「お取込み中失礼致します」  空青学園特区の中でも優秀者が入学を許可される飛翼学園の高等部校舎の裏に突如、高く柔らかい声が響き渡る。  ホールの裏口に横づけされた車には花の絵と店名が描かれており、荷台から降ろされるのもまた活けられた美しい彩りの花々だ。明日の入学式の為に発注されたものを運び込んでいるらしい作業着を着た男たちは四名。突如聞こえた声に一瞬動きを止め、見えない姿を探したものの、女生徒の声だろうとあたりをつけ、どうしましたか、と一人が比較的穏やかに返事をしたのだが。 「飛翼校則第十条三項により飛翼警備騎士隊がこれよりこの場を取り締まりさせて頂きますね」  声をかけた少女が、続けて明るく流れるように言い放った言葉に、ぞわり、と男たちの肌が粟立った。一拍おいて、くそ、やばい、逃げろ、殺せなど場が瞬時に混沌としたが、次々に響き渡った打撃音と破裂音……いや、発砲音に怒号はすぐさまうめき声となり、間もなく悪態を吐くこともできず転がる男たちの中に姿を見せたのは、真新しい高等部の制服に身を包む少女と少年の二人だった。 「く、そ……学生警備隊ごときが、なんでここに」 「やだ、その"ごとき"に負けたんでしょう?」 「こら、煽るな」  少女がにっと口角を持ち上げほほ笑みながら言い返すと、少年の方がそれを諫めるように袖を引く。はぁい、とこの状況で不敵な笑みを浮かべたままの……いや、獲物を前に舌なめずりするような凶悪さをにじませた笑みの少女の異常さが目につく。それを冷静かつ無表情な少年が上手くコントロールしているようにも見えた。  だが次の瞬間少女の一歩前に出た少年は、なんの躊躇いもなく地面に転がる男の一人に銃を向けたかと思うと、発砲した。まるで閃光のように、弾道は青白い光となって空間を裂く。少年は、ほんの一瞬、男の手が不自然に懐にもぐろうとしたのを見逃さなかったのだ。 「ぐぁ、あ、ああああっ」  男の身体に撃ち込まれたのは、"能力持ち"が扱う呪砲銃による呪術弾。それも放たれたあの特殊な色は正式契約者による"本物"だろう。被弾した者は痛みだけではなく身体の自由を奪われる為、非常に危険かつ扱いの難しい、所持するにあたって厳しい制限のある希少な武器である。それを当然のように所有し発砲する少年を前に、作業着を着た男の一人がぎりりと唇を噛み締めた。  たかが学生警備隊……ではないと、男は今更気が付いた。あの銃の携帯が正式に許されているのは、この特区に認められた精鋭部隊員のみである。思えば男の仲間とて荒れくれ者の中でも腕に覚えがある者たちばかりであったというのに、少女に至っては武器すら持たず己より大きな体格の男を一瞬で沈めたのだ。  痛みに呻きながらもなんとか歯を噛み締め、一人の男が、せめて仲間たちと自分を行動不能にした者の顔を目に焼き付けようと頭を持ち上げたが、逆光で翳るその人影からは慈悲もなく冷たい言葉が放たれる。 「死にたくなかったら諦めろ」  恐ろしい程平坦な声音と銃口を再度向けられた男は、自業自得と言えど己の未来を察してそのまま意識を手放したのだった。  空青総合学園特区とは。  日の区と天の区を跨ぐ森林の奥に設立された幼稚園から大学までの数校の学園を中心に、そこに通い学ぶ生徒たちが他都市に近い形で生活出来るよう一通りの施設、環境を整えた、珍しくも区を跨ぎながら一つの都市として栄えている特別区域のことである。  そこで生活する為に最重要であるのは、日の区、天の区に住む者であること。法、そして条例、学園に在籍するものは校則を守ること。これは絶対であり、違反者に対しては特区独自の警備騎士隊が出動し、決められた規約の中で対応に当たる。それは日の区、天の区で定められた法をより厳しくしたものであるが、転入希望者は後を絶たない。それには学園が高い教育水準を誇るという理由だけではなく、様々な事情があるが……何より、『特殊能力を持つ者を含め』、区同士の争いから遠いところで子を育てることができる環境にあるのかもしれない。  日、天、地、水、炎、風。六つの区は拒絶と無関心、断絶を表向きにし裏で小競り合いを続けながらも、それぞれが有するひとつの学園区だけは不可侵条約を結んでいる。それがこの国の、気まぐれな神の定めた決まりだった。日と天は願いを同じくするとして数百年も前から互いに協力関係にあり、学園区は二区で一つのみの保有であるが、他区との数百年続くこの冷戦は今もなお影ながら火花を散らし、そして知られざるところで何かが変わろうとしていたのだった。  すべては神の気まぐれが始まりであった。忌諱すべき赤く染まる空から齎されるのは恵みか混沌か。降り注ぐ種はとうに根付いてしまったのだ。
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