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 そんな忽蘭が年頃の娘になった頃、留まる事を知らぬ鉄木真の軍勢がメルキト部族にも侵略の手を伸ばしてきた。  鉄木真とメルキト部族との因縁は深い。実は鉄木真からボルテを拐った後、メルキトはその非人道的な行為から周囲の部族の非難の的となった。  その結果、メルキトは鉄木真と他部族との連合軍に攻撃され、男という男を皆殺しにされた。忽蘭の父ダイル・ウスンを始め、現在部族を率いているのは、それを逃れた極少数の男達である。  鉄木真は今度こそメルキト部族の男を根絶やしにする積もりに相違ない。  鉄木真の攻撃を防ぎ切れないと判断したダイル・ウスンは美しく成長した忽蘭を捕虜として献上し、鉄木真に降伏する事を決めた。気掛かりは娘の気性の激しさだったが、忽蘭とて、いつまでも子供ではない。女として為すべき事は心得ているようで、ただ一言、「諾」とだけ答えた後はむっつりと黙り込んだ。  ダイル・ウスンは直ちに鉄木真の陣営に伝令を飛ばし、合意を取り付けると、慌ただしく準備を行った。捕虜はいえ、メルキト部族長である自分の娘の婚礼である。相当の進物を用意した。  その上で、必要最低限の護衛と数人の女と老人を供に付けた。その中には勿論、アマラも入っていた。  メルキトの集落から鉄木真の陣営へは二十日程の道のりとなる。十頭のラクダに荷物を載せ、十頭の馬に各々跨り、三十頭の羊を連れて歩を進めた。馬のない者は徒歩(かち)で従う。  安全な道を選んだ所為か、危険な目に遭うこともなかった。忽蘭の一行は予定通りの日程で、鉄木真の臣下ナヤアの陣営に到着した。  取次の者の案内で、家具の殆どない粗末な包に通される。中には黒いゆったりとした服を着た、小柄で精悍な顔つきの男が待っていた。ナヤアである。  彩色のないフエルトの床に座り、忽蘭はナヤアと向かい合った。  ここから鉄木真が駐屯する陣営までは、早足で半日といった所。小休止を取った後、直ぐにでも出発する心算(こころづもり)だった忽蘭をナヤアがやんわりと留めた。 「いち早く鉄木真様の陣営に馳せ参ろうとする其方(そなた)の心掛けには感心する。  だが、今までに過ぎてきた土地と異なり、この地は安寧とは言えぬ。しかも其方の供は老人や女ばかり。更に皆、疲れておる。このまま向かえば、婚礼道具が掠奪されるのは火を見るよりも明らかであろう。  私が護衛する。鉄木真様の陣営まで送り届けよう」  ナヤアの親切を拒む理由はない。供の者共も賛成するので、忽蘭は素直に護衛を頼む事にした。謝意を伝えると、彼は武人らしからぬ穏やかな笑みを浮かべた。 「其方の為に一つ、供の者達の為に二つ、包を準備しよう」  その言葉と共に、側に控えていた女が一人、音も立てずに出て行った。それと入れ替わるように、馬乳酒と干し肉を持った女が入ってくる。 「まずは緩りと休むが良い」  包の中に発酵した乳の得も言われぬ良い香りが漂う。腹を減らしていた一行は貪るように干し肉を齧った。
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