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【入道雲、童話】
お話を始める前に
このお話のお題は「入道雲、童話」です。なので作者の中で「童話」風に書いたつもりなのですが、読み返してみるとてんでそんな感じがしません。お題とは少しずれたものになってしまったのですが、それでもよければ読み進めてください。
作者より
ーーー
八月も終わりに迫ったある日、晩夏のコンクリート街を長身の男が一人忙しなく歩いて行きます。
きちっと固められた黒髮の七三分けに黒縁の四角いメガネ、会社員のような着慣れたスーツ。少しお堅い印象を受けます。
残暑も厳しく気温も高いのですが、ワイシャツを第一ボタンまで閉めた彼は少しも汗をかいていません。
男の名前は入道雲。彼はもちろん人間ではありません。汗を全くかかない人間がいてたまるものですか。では、彼はナニなのでしょうか?実は彼は夏空にあるアノ入道雲なのです。
彼は汗はかいていませんが暑さのせいかスーツから覗く指先が少し雲に戻っています。通り過ぎたOLがギョッとこちらを振り返りました。
そんな事には気にも止めず彼は約束した場所へと忙しく進んでいきます。彼は今からいわし雲に業務の引き継ぎに行く予定なのです。
業務の引き継ぎとは何かと思う方もいるでしょう。
簡単に説明しましょう。さっきわかった通り、彼の名前は入道雲です。でも、彼ら(彼以外にもいる)はただ単に雲の名前を持っているわけでないのです。彼らの仕事、それはみなさんが毎日のように見る雲を作ることなのです。
名前の通り、彼は入道雲、今から会うのはいわし雲を作っています。雲の会社は季節別にシフトを組む健全なホワイト企業なのです。
企業とは別に、彼らを生み出した神がいますが、それはこの話にはそこまでは関係ありません。
彼は歩みを速めます。でも、歩みを速めながらも頭の中ではこれからの予定を考えています。
(業務の引き継ぎが終わったら報告書書いて、有給を取りましょう。そして南の島へとバカンスにでも行きましょうか。早く引き継ぎを終わらせたいですね。いわし雲の担当は……まさかアイツでしょうか)
彼はおちゃらけた同期を思い出しました。金髪、色付きサングラスに赤いアロハシャツの典型的な派手な人。ただ派手なだけではなく、努力もしていないのに自分よりできるやつだから余計に腹が立ちます。
アイツに会わなくちゃいけないのかと思い少しげんなりとした憂鬱な気持ちになりました。歩みのスピードも自然と遅くなります。
そこからしばらく歩くと約束した蕎麦屋に到着しました。入道雲もよく食べに行く美味しいお店です。
(引き継ぎ終えたら私も天そば食べましょう)
よだれを袖で拭きながら入道雲はそう考えました。
来店した客に対し声をかけようとする店員を躱し、引き継ぎ相手を探します。
店内をぐるりと見渡しました。昼にするには微妙な時間で、ほとんど客がいない店内は探すのにうってつけです。すると、奥まった座敷にそれらしき人を見つけることができました。蕎麦はもう食べたらしく、空の器二つとともにいわし雲は眠そうに座っていました。
でもなんだか様子がおかしいのです。座敷にいたのはいつもの金髪ではなかったのでした。
この人ではあるまいと思い金髪が来るのを十分くらい待ちましたが、誰も来ることはありませんでした。入道雲は心を決して声をかけました。
「いわし雲ですか?」
いわし雲は同時にコクリと頷きました。人違いかと思いましたがあっていたようです。
変更したいわし雲は一見小学生二人組にしか見えませんでした。雲の学校を出るにしたってもう少し年の大きな人が来るはずです。
「おかしいですね、例年のはどこへ行ったのですか?」
心の声が漏れたような言葉が彼の口から出ました。
二人はしばし顔を見合わせました。そして、先に男の子が話し始めました。
「うーんとね……」
話そうとする男の子を遮るように女の子が喋ります。
「私知ってるよ!お兄ちゃんはねー偉いおじさんとお姉さんに連れていかれたの」
誇らしげにふふんと鼻を鳴らします。男の子の方は悔しそうに地団駄を踏みました。
その言葉を聞き入道雲は腕を組み考えます。
(彼の知り合いのおじさん……)
「ひどいよ、俺が言おうとしてたのに」
男の子が掴みかかり始まったけんかも気にしません。
すぐには心当たりが無かったので多分クビを切られたか出世かの二択でしょう。そう彼は考えました。なのでとりあえずけんかをしている二人を掴んで止めて質問をしました。
「なるほど、それで代理ですか?」
いや、そんな訳はあるまいとたかをくくって質問をしました。でも彼の上司であればもしかしたら……という思いもあります。
「うん」
どうやら上司は入道雲の期待を裏切らないようです。頭を抱えるのはこっちなのに、上司にも困ったものです。
それに第一こんな子供達にいわし雲の仕事は務まらないでしょう、と入道雲は考えました。
「すいません、天そば一つください」
とりあえず天そばを頼み、水で胃薬を飲んで話を続けます。
「何かもらってきてないですか?」
彼が営業スマイルのまま問いかけると、いわし雲はポーチの内側からくしゃくしゃになった手紙を取り出しました。白地に青の押印は会社からの公式な手紙だということを表しています。
それを受け取り封を切りました。
手紙の内容は、一日体験をさせて夕方に指定の場所に届けて欲しいとのことでした。
トップと上司のサインも書いてあります。
(トップまでサインしてますね)
ということは、どうせこの子供達はお偉いさんの子供なのでしょう。
断ってもついてくるでしょう、仕方ない、とお会計をして外に出ようとした入道雲にいわし雲が裾を引き言いました。
「おじさん。私たちパフェというものが食べたい」
お財布事情を考えるとパーラーなどのパフェは厳しそうです。彼らは近場のファミレスに入りました。
「それじゃあ、食べ終わったらおじさんの仕事場に行きましょう」
「「うん」」
大ぶりのいちごが乗ったパフェとチョコレートの乗ったパフェを食べていた二人は口の周りにクリームをたっぷりつけて返事をしました。
二人はたっぷり三十分ほどかけて二つのパフェにプラスしてパンケーキも食べ終わりました。その小さい体のどこにそんなに入るのでしょうか?不思議なことです。
お会計を済ませて入道雲は二人をお供に仕事場へ向かいます。二人も子供だというのにスタスタとついて行きます、さすが雲。彼らはどこから取り出したのか歩きながら飴を食べていました。
ファミレスから七分ほど歩くと職場であるビルに辿り着きました。外観としてはどこにでもあるような普通のビルです。
エレベーターに乗って八階にある会社にむかいます。入道雲がカードをかざして中に入りました。後からいわし雲もついてきます。
「あれ?」
いわし雲たちが揃って首を傾げました。無理もありません。広いフロアには家具もパソコンも何も無くてただただ空間があるだけなのです。
なぜなのでしょうか?それは仕事内容をバラさないためです。いくら信じてもらえないだろうといえど、仕事内容をみすみす他人に渡すわけにはいかないのです。
その点、ここのように八、九、十と三フロア持っていれば真ん中で仕事をしても聞こえたり見えたりしないでしょう。そして、八階からしか入れないようにすれば防犯も完璧です。
いわし雲にどこが仕事場なのかということを聞かれる前に入道雲はフロアの奥にある階段を登り、九階へ行きます。いわし雲は遅れないように後をついて行きました。
階段を登った先にある九階は八階に比べいくらか生活感がありました。古ぼけたソファに弁当、栄養ドリンク。積まれたコーヒーの缶を見ていわし雲が言います。
「おじさん、健康に悪いよ」
たしかに健康的とは言い難い内容です。
入道雲はその言葉を無視しました。そして、窓辺に行って仕事内容を話し始めます。
「雲の仕事内容は大きく分けて二つあります。一つは担当の雲を作ることーーこれは学校でも一番最初に習うのでやり方は知っていますよね?」
いわし雲は頷きました。
「もう一つは作った雲の監視をすることーー案外知られていないのですが、作った雲は大抵思い通りには動かないのです。なので、暴れたり閉じこもったりしたら直接会って解決します」
彼は話しかけたり殴ったりのジェスチャーをします。空気がビュンと音を立てました。
「ここまでOKですか?」
いわし雲たちはこくりと頷きました。
二人に何をさせようか、と入道雲は腕を組んだ。
(ここには遊ぶものはないし……)
多分雲を作らせれば喜ぶだろう、そんな浅はかな考えでソファに寝転ぶいわし雲に声をかけた。
二人は嬉しそうに返事しました。
「うん」
雲の作り方はこうです。雲の名前の人は息として雲を吐きます。なので、その雲を必要な分まで吐き出し形を整えれば出来上がりです。
ちなみに入道雲はかなりの肺活量、いわし雲は雲をキープする精神力が必要とされます。なのでどちらも花形の雲です。
「せーの」
掛け声に合わせて二人はふーっと息を出しました。
二人の口から白と灰色の混じった雲がもくもくと吹き上がって行きます。程よい大きさになったところで二人を止めさせました。
「上手にできましたね」
少し褒めると嬉しそうにこちらを見ました。そして、そのまま二人で遊び始めました。
迎えのが来るまでここで遊ばせればいいだろという彼の思惑はいきなり失敗しました。
「おじさんもやってよ」
「ねぇおじさん、猫作って、猫」
左右からいわし雲たちに揺さぶられました。振りほどこうとしますが、思ったより力が強く振りほどくことができません。
(何で子供って揺さぶるのでしょう)
彼は諦めました。大きく息を吸い込みます。
ふうーっと大きな息と共に雲が猫の形を取って行きます。一見簡単そうに見えますが、その実雲の固定が必要なので中々難しいのです。
「猫だ!」
子供はきゃっきゃと笑いますが、こちらは息も絶え絶えです。
「……ん?」
いつもと違う風が頬をなぞりました。どうやらこの近くで入道雲が暴れているようです。
『入道雲の受難』
慌てて出ようとしたところで二人がいることを思い出しました。この子たちを連れて行くのは難しいので置いて行くことにしましょう。
「おじさんは仕事に行ってきますので、ここで大人しく待っていてください」
(急がなければ町に着いてしまいますね)
彼は一言告げて、何か聞かれる前に慌ただしくビルを出ました。後にはいわし雲たちだけが残されます。何処から取り出したのか今度は金平糖を食べていました。
ーーー
「行っちゃったね」
「うん、行っちゃったね」
入道雲が出て行くと二人は顔を見合わせました。そっくりな目がパチパチと瞬きをします。
「つまらないね」
肘をついてだらしなく床に寝そべります。持っていた金平糖がバラバラと広がりました。
しばらくの沈黙を破り、男の子の方が起き上がり、聞きます。
「やりたいことも終わったし、もうそろそろ帰ろうか?」
女の子の方も同意します。
「そうしよう、早くしないと爺やがくる」
彼女がいうや否や彼らの姿が変わっていきます。変わり終わりました。見た目こそ変わりませんでしたが、背中に光り輝く輪を持っています。
実は彼らはいわし雲ではなかったのです。彼らはいわゆる神というものの卵です。学びばかりの生活がつまらなくて下界に遊びに来ていたのです。ずっと食べ物を食べていたのは、変身し続けるためのエネルギーを食べて手に入れるためだったのでした。
二人は書置きを残し、ドアを開けて立ち去りました。
ーーー
一方入道雲です。
彼は慌てて出て行った後、結局暴れていた雲とは会話で解決できず、一発殴って止めることになりました。
理由を聞くと、特になくむしゃくしゃしてやったとのことでした。はた迷惑なことです。
一仕事終え、入道雲は帰ってきました。
「……ん?」
出かけるときは確かにいたいわし雲たちが消えています。
「どっか行ったのでしょうか?」
(全く世話をかけさせてくれる)
室内を探し回った彼は床に溢れていた金平糖の近くにあるいわし雲が置いていった書置きに目が止まります。
書置きには、
「楽しかったよ。また機会があれば、会えるといいね」
とだけ書かれていました。
(結局何だったのでしょうか)
ーー
彼らが再会するのはもう少し後のお話です。
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