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「……陛下のご病気につきましては、このゼキ、まことにお気の毒なことと存じます」  ライベルク王家の人間は、武神ヘイムスクリングラと智神エッダの末裔と言い伝わる。  その神聖な血を守るため、王家ではかねてから近親結婚が繰り返されてきた。皮肉にもその結果、肉体や精神に欠陥を持って生まれる王族が跡を絶たなくなってしまった。アウレリアもそのひとりである。  彼女の熱病には特殊な引き金が設定されていた。人の体液(・・・・)だ。アウレリアにとって、それは恐るべき猛毒であった。  幼いころ、菓子を食べて倒れたことがあった。彼女の兄が口をつけていたものを、そうとわからずに食べてしまったせいだった。笛を吹いて具合が悪くなったこともあった。職人が笛を作りながら試し吹きした際の痕跡が、ほんの僅かに残っていたためだった。  こういう都度に死にかけるほどの発作に見舞われる彼女は、いつしか影で「永遠の処女」と揶揄されるようになった。  無論、彼女がいずれ伴侶を得るとか、子供を産むとか――あるいはもっと短絡的で下世話な想像をしてやってから、ああ、この美しい少女が女としての悦びを知ることは永遠にないのだな、と憐れんでそう呼ぶのだった。 「ゼキ……」  純潔であることを神に強いられた国王は、もっとも愛しく大切に思う騎士の名を口にした。  少女の身体を組み敷いた男は、力の差からしても体格の差からしても圧倒的な優位にあるはずなのに、それ以上動かず、指一本さえも触れようとはしない。そして、まるでとめどなく血を流す敗者のように苦しげな顔をしていた。  なにかを言いかけた刹那からずっと、なにも言うまいと固く歯を噛み締め続けている。深緑の瞳のなかをのぞけば、燃える情愛が忠誠という名の檻に閉じこめられて身悶える様子が見えてくるようだった。彼は苦しげで、寂しげで、どこまでも悲しそうだった。 「本当に情けなく困ったことだ。でも、なんと狂おしく愛おしいのだろう。これだからそなたは大きな仔犬だというのだ」  アウレリアはため息をついて両腕をのばした。世界でもっとも不憫かもしれない勇者の頭をつかまえ、引き寄せて、やわらかな胸のなかで強く抱きしめた。 「からかってすまなかった。安心しておくれ、わたしはまだ純潔だよ。こたび病を得たのは、どうやらスープのせいだったらしい」 「……スープ?」 「うん。厨房に異国から来た新しい料理人が入ったのだ。さっそく美味なスープを出してくれたのだが、まだこちらの言葉に不自由であったから、わたしの持病のことがうまく伝わっていなかったらしい。それで、味見に使った大匙でそのまま鍋をかき回してしまった、というわけだ。ああちなみに、その料理人は女だぞ」 「……わかりました。わかりましたから、陛下、そろそろお手を引いては下さいませぬか」  アウレリアの双丘に埋もれながら、ゼキは情けない声で懇願した。だめだ、仔犬は乳を吸うのだ。いたずらっぽく言って、アウレリアはさらに強くゼキを抱きしめる。 「だが、そうだな、約束をするのならば離してやってもよいぞ。今度……いや明日だ。明日、わたしと一緒にそのスープを食すこと」 「……もしやその料理人、まだ王宮にとどめておられるのですか」 「誰が追放などするか。本当に腕のよい料理人なのだぞ? トマトを使った甘味のある赤いスープならばライベルクにもあるが、あれは香辛料が効いていて、少し辛いスープなのだ。珍しいしおもしろい。他の料理も楽しみだ」  自分を害した料理人を許せ、と、アウレリアはゼキに頼んでいるのだった。ためらった末、不承不承うなずこうとしたゼキは、少女の身体がすこし震え始めていることに気がついた。 「陛下?」  後頭部を押さえこんでいた腕も脱力したため、ゼキは半身を起こしてアウレリアの顔をのぞきこんだ。 「震えておられます。またお加減が悪くなられたのでは?」 「そうか? いや、疲れてはいるが、熱っぽくはないぞ」 「お寒くはありませんか」 「そういえばちょっと寒いな。そろそろ夜だからだろう」  確かにアウレリアは薄着だが、気になるほど気温が下がった感じはしない。これは熱が上がる予兆だな、と悟ったゼキは、「医師を呼んで参ります」と告げ、すぐさまベッドから降りようとした。しかしアウレリアが鋭く制止する。 「待てゼキ、まだ魔女にもらった解熱薬が余っている。よく効く薬だ。人を呼ぶ必要はない」 「ですが」 「わからぬやつだな。わたしは見飽きた医師の顔などよりも、五十日ぶりのそなたの顔をずっと見ていたいと言っているつもりなのだが。それに、そなたとてもったいないとは思わないか? 五十日もわたし抜きでよくがんばったのだから、それなりのご褒美が欲しいだろう?」 「……ともかくその調子では、まだまだ辛いスープなど口にされるべきではこざいませぬな。刺激物は弱ったお身体によろしくありません」  急に別のことを口走ったかと思うと、ゼキはうなだれてベッドの縁に腰かけた。  顔を見せろというのに背を向けたままでいるので、可憐な国王は抗議の声を上げる。ぼろぼろの外套と自分の紋章ばかり見ていてもおもしろくはない、と。 「なんということを……。この外套はわたしにとって一番大切なものです」 「そなたこそなんというひどいことを。一番大切なのはこのアウレリアだと正直に言ってほしいものだ」 「騎士として分をわきまえぬ発言はなかなか致しかねます」 「やれやれ、まったく手のかかる仔犬だな。せっかくのふたりきり、しかもこの状況だというのに、そなたは本当に悪いことを考えつかぬ男らしい」 「悪いこと……?」 「教えてあげようか」  アウレリアは身を起こし、膝立ちになってゼキへ近づいていく。  大きな背中に流れる外套を少し引っ張ると、ようやくゼキは振り返った。もう熱が出てきたのか、アウレリアはかなり赤面しており、琥珀色の瞳も潤んでいる。その眼を泳がせつつぼそぼそと言った。 「つまりだな、ゼキ、わたしをものにするなら今こそ好機だぞ。あえて元気なときのわたしに触れて病に突き落とすのは、そなたとしてはしのびないであろうが……。逆に、すでにこうして元気のないわたし相手であれば、もう少しくらい具合が悪くなったとしても罪は浅い。そうは思えぬものかな?」 「……わたしはこうも騎士としてしか生きられぬというのに、あなた様は時々、御心が玉座から離れておられるように思えます」 「それはそなたが悪い……。心はそんなにもわたしに捧げているくせに、どうしても体ごと近づいてこようとはせぬゼキが悪い」 「そうですね……わたしは悪いのです。すべてを陛下のお立場とご病気のせいにして逃げまわっているだけなのかもしれませぬ。……そう、まさにそのしっぺ返しなのでしょうが、今日は大変悔しい思いを致しました」 「悔しい思い?」 「思い出されませ、陛下が御覧になったという夢の話でございます。夢の中のゼキは愚かにも、鳥になられた陛下に最後まで気づくことができなかったとのこと……。されど本当のわたしならば、たとえ陛下がいかようなお姿となられようとも、必ずすぐに見つけ出せる自信がございます。ですが、そのような自信は所詮独りよがりなもの。陛下への想いを秘めてばかりいるのではなく、普段からもっとお伝えしておれば、どれほど離れたところにいようとも、きっと寂しい夢などお見せせずに済んだものを」 「……驚いた。珍しく馬鹿に甘い台詞を言ってくれたものだ」 「いや、お耳汚しを致しました。慣れぬことゆえ、なかなかうまくいかぬものです」  騎士は恐縮してまた下を向いた。アウレリアはそのとき初めて、彼が手のなかになにかを持っていることを知った。  それは野に咲く花を数本まとめただけの、あまりにも素朴でささやかな花束だった。アウレリアが見とれていることに気がつくと、ゼキは微笑してそれを差し出した。 「綺麗だな。ゼキ、どうしたのだこれは? わたしにくれるのか」 「差し上げます。かわりに陛下のお許しを頂きたく」 「ほう? なにが望みだ」 「わたしは愚鈍な犬ゆえ、もはや正直に申し上げます。実に五十日ぶりにお顔を拝し、ゼキの尻尾は引きちぎれんばかりに振られております。分をわきまえぬ願いではございますが、今日はもう少しだけ、あなた様と同じ時を過ごさせて頂きたいのです」 「ああ? なんだ、そんなことか」  アウレリアは不満げににやついた。 「もっともっと正直に言えば良いではないか。もう少しと言わず、今宵はずっとこのアウレリアのそばにいればよい」 「はい」 「一晩も共にいればいずれそなたの気も変わり、わたしを押し倒して熱烈に顔でも舐めてくるかもしれぬしな」 「それはどうでしょうな」 「意気地無しの騎士め。愛しているぞ」  騎士は不思議な光景を見た。ライベルクという広大な王国のすべてを統治する存在が、小さな花束を宝物のように抱きしめて笑っている。ゼキはその姿を、うつくしい、と思った。 「ふふっ、五十日も離れていた甲斐があった。ゼキがわたしとともに過ごしたいと言ってくれた。それで良い。そなたはいつも難しがっているが、欲しいものは欲しいと、そう言えば良いのだぞ。わたしはいつでも待っているから……」  言い終えたとき、またアウレリアは寒さに身震いした。下賜の外套が大きく口をひらく。彼女はあっという間に力強い腕で抱き寄せられ、あたたかい外套の中に閉じこめられてしまった。
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