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 君に出会って、僕は人になれた。  冗談ではない。比喩的表現でもない。この字面(じづら)そのままに受け取ってもらいたい。だって、それは、本当の事なのだから。 「は?」  今思い返せば、それはそれは失礼極まりない態度だ。  初対面の人間に、しかも相手はそれはそれは丁寧な態度だったのに。  しかし、思わず僕がそう言ってしまったのだって態とではない。その位突然で、突拍子もない申し出だったのだ。  そして、それを申し出てきたのが、学園の中で有名な二学年下の彼で・・・邪な恋慕を抱いていたものだから、声を掛けられた時の驚きは、未だに人生のTOP1に輝いている。  自慢ではないが、自分もそこそこ有名であった自覚はある。  学科内では常にトップだったし、教授からも卒業したらこのまま残るか、もっといい大学に紹介してやるとかしょっちゅう言われていた。  今思えば勿体無い気もするが、当時の俺は遊ぶ方・・・もちろん、セクシーな方の意味でだ・・・に夢中で、鼻にもかけなかった。毎日毎日、誰かと交尾した。依存症の様に。それこそ獣の様に。けれど、満足する事なんてなくて、逆にどんどんと乾いていく自分に心底呆れていた。しかし、一時(いっとき)でも乾きを癒す為に、老若男女構わずまぐわった。  学園には数万単位の人間がいて、学科も100以上もあってそこから更に細かく分かれているから、同じ学科内でも顔を合わせない人間はざらにいた。  そもそも彼は学科が違った。その上、講義室は学園の端と端に位置していて、一つの都市ばりにでかい敷地でたまたま遭遇するなんて、交通事故に遭う位の確率。  三年だし、取りたい単位もないしで、今年になって敷地に足を踏み入れたのは、両手の指で足りるかもしれない。そんな中での彼との出会いだった。  ちなみに彼が有名だったのは、東洋人の風貌に180センチ以上の長身で細くてしなやかな身体である事。その上、誰もが思わず振り返ってしまう美貌と優しく響くテノールの声に、その物腰は柔らかい・・・ときたら、噂にならないわけがない。新入生代表だったのも一役買っているのは間違いない。  その彼が、僕に、声を掛けてきたのだ。僕だと分かった上で。 「あなたが、チャーリーさん?」  名前を呼ばれた瞬間、どこかくすんで見えていた視覚が明るくなったのを感じた。悪意が籠もっている様にしか聞こえなかった聴覚が、天使の囀(さえず)りを感じた。  その他、僕に備わっている感覚という感覚が、今までとまるで正反対の反応をした。 「・・・あ、うん・・・そうだけど・・・」  あまりにセンセーショナルな感覚に、ぶっきらぼうな返事しか返せなかった。そして、嬉しそうに笑った顔がキュートで辺りに花が咲いた様に見えた自分に驚く。 「突然申し訳ありません。どうしても直接会って話がしたくて・・・」  そういって胸に手を当て軽く深呼吸すると、姿勢を正し僕を真っ直ぐでなんの曇りもない瞳で見つめてきた。  黒くて、光の加減で青く光るその瞳があまりにも真っ直ぐで、眩しくて・・・僕は目が焼けただれる思いで見つめ返す。 「僕のパートナーになって頂けませんか?」 「・・・は?」  ざわりと辺りの空気が蠢いた。  そりゃそうだ。彼は今、僕のテリトリーにいる。そこでパートナーになってくれと言ったのだ。  イコール恋人、もしくはセフレになってと言っているのと同義語であり、目の前にいる彼も僕と同類と思われる訳で・・・気がつくと、彼の手を取り走っていた。とにかく自分の痕跡の無い所に行きたくて、がむしゃらに移動する。人にぶつかったって気にしない。いや、気にする余裕すら無かった。  どの位走っていたのか、不意に繋いだ手がぐいと引かれた。足を止め振り返ると自由な片手を膝に置き、苦しそうに肩で息をしている彼。  ゼーゼーという息遣いの合間に、長めの前髪の隙間から見える細い顎先から、汗がぽたりぽたりと地面に落ちた。  彼ほどでもないけど僕も息が荒く、額に汗が滲んでいて、つうっとこめかみの辺りから滴がこぼれる。  自分が何故走り出したのか理解できない僕は、足を止めた彼に掛ける言葉が見つからず、ただただ後頭部を見つめた。  陽光にさらされて、きらきらと輝く彼の髪には綺麗な天使の輪が出来ていて・・・もしかしたら僕を真っ当な道に引き戻す為に遣わされた天使なのではないか・・・と、柄にもない事を考えてしまう。  思わずきゅっと手に力が入ると、彼はちょっとだけ顔を上げて微笑んだ。  心臓が波を打つ。  血液の流れが速くなる。  鳩尾辺りがきゅうっとして切ない気持ちになる。しかしそれは嫌なものではなく、身体を重ねても乾いていった心が、静かに満たされていくのを感じた。  再び手に力を加えた。今度は自らの意志で。するとそれに応えるように握り返してきた。今度は顔を伏せたままなので表情は見えないけれど、嫌がっている様子はない。  それがなんだか嬉しくて、子供の様に飽きずに繰り返す。それに律儀にも応えてくれる彼が愛しい。 (本当に神様が授けてくれたのかも・・・)  頬が緩むのを感じると、漸く彼は折り畳んでいた身体を持ち上げた。  俺よりかなり上にある目線。しかし、身長差による圧力は全くない。それよりも包み込まれるような優しさ・・・そんなのを感じて・・・彼の全てに好意しか感じない自分に戸惑う。 「急に走り出すんだもん、びっくりしたぁ」  ふはっと表情を崩した彼に驚く。見た目の印象からかけ離れた、その幼い笑顔と言葉に。  俺が目を丸くしたのを見て、「あ」という表情をすると、漫画のように握った拳を口元に当て、こほんと咳払いをした。  頬が少しだけ上気している。 (可愛い・・・)  ふふと微笑んでやるとさらに赤くなって・・・抱きしめてぐりぐりと頭を撫でくり回したくなる。  再び咳払いをした彼は、手を下ろし真っ直ぐな表情に戻ると、先ほどの言葉を繰り返した。 「それ、どういう意味で言ってんの?」  僕の問いに、不思議そうに小首を傾げる。 (やばい、お持ち帰りして、甘やかしたい・・・)  俺より頭一個分は高く、肩幅も広く声も低く男前な彼に、小動物・・・しかも生まれたての・・・に対して抱くような感情が、何故湧いてくるのかはわからない。しかし、庇護欲というのがこれであるなら、僕は彼を守るべき対象として認識したらしい。  にやにや笑いからくすくすと声を出し笑い始めた僕に、彼は一層不思議そうな顔をした。  あー、これ、本当にわかってないわ。 「俺とセフレになりたいのか、それとも別の意味があるのかってこと」 「・・・え」  ぱあっと顔全体が赤くなった。  きゅっと手が握られ、まだ手を繋いだままだった事に気付く。  名残惜しいけれど手を離し、そのまま腕組みをした。  彼は赤い顔のまま俺の行動を目で追うが、その先に続きがないとわかると再び視線を交合わせる。 (真っ直ぐだ)  気付いた頃には斜に構える事しか出来なくなっていた僕には、彼が真っ直ぐでいられる理由が見当もつかない。飛び級したとか聞いたことが無いから、三歳位しか違わないはずなのに。  進んでいる道が正反対な筈の僕に、君は歩み寄ってくれた。  それなら、僕も君に歩み寄ろう。そして、君の進むべき道に寄り添おう。そう心に決めた瞬間、彫刻の様に美しい顔で彼は言った。 「俺のビジネスパートナーになって下さい」
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