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懲役五年
俺は高校の卒業式の直後、警察署に出頭した。警察官の対応は想像していたより丁重だった。担当になった警察官は書類を書き終わると、笑みを浮かべながら言った。
「それではここに署名とマイナンバーを入力してください」
覚悟を決めていた俺は署名をし、テンキーでマイナンバーを入力した。その日のうちに検察庁に身柄を移され、再び若い検事から、同じことを繰り返された。警察官とは対照的だった。検事は、長い、と面倒そうに書類をまとめていた。
裁判までの間、拘置所に入る。そこでの待遇は先輩の話どおり良かった。自分の金で出前などもとれるが、金を使いたくなかった俺は、三食全て拘置所の給食ですませた。
拘置所で作業はなく、読書をして一日を過ごすのが日課になっていた。
しばらくしてやっと裁判だ。裁判所でバスで向かう。法廷に入ると、黒い法衣を着た二十台ぐらいの裁判長がいた。
まあ、俺みたいなケースは、ベテラン裁判官を使う必要などないのだろう。
「被告人を懲役5年に処する。なお異議のある場合は六月十四日までに、高等裁判所に申し出てください。これにて閉廷とします」
異議など俺にはなかった。さっさと刑務所に行きたかったが、手続きの関係でその後、一週間ぐらいは拘置所にいたと思う。他の連中と一緒に地元の刑務所に移送された。刑務所に着き、兄貴と同世代の刑務官が。口角を吊り上げていた。
「ようこそ、○○刑務所へ」
他の連中と一緒に、服を脱がされ身体検査をされた。刑務官の説明では、受刑者を脱走させるために来たヤツが、過去にいたかからだそうだ。全く迷惑な話だ。体中を調べられ不快だった。
すぐに俺は五人部屋に入れられた。自己紹介をしたが、他の連中の刑期は全員が、俺より短かかった。部屋で一番先輩のヤツが言った言葉は、今でも覚えている。
「懲役五年ですか、長いですね」
悪気はなかったのだろうが、俺にとっては、皮肉に聞こえた。部屋で最初の一週間は、お客さん扱いなのが慣わしだ。刑務所内のルールや布団の敷き方、一日のスケジュールなどをやけに丁重に教えてくれたのには、感謝している。所内での生活は規則正しい。朝六時に起床して点呼。その後、朝食を食べ、作業に向う。俺の作業は第一希望が叶った。電子印刷作業だ。
刑務所内の印刷所では、国家試験の問題などを印刷していた。午前の作業が終わると昼食をはさんで夕方まで単調な作業が続く。立ちっぱなしなので、最初の一カ月は体が慣れず、足の裏が痛かったのを覚えている。
夜も毎日単調だった。他の連中と交代で風呂に入り、夕食を部屋で摂取する。それも毎日同じ顔ぶれとだ。協調性は嫌でも身に付いたと思う。
唯一の楽しみは週に数回、夜に開かれるサークルだった。これがなければ、俺はこの単調な生活に耐えられなかっただろう。読書が好きな俺は、小説サークルに入った。
わざわざ刑務所まで小説家が来て、丁寧に書き方を教えてくれる。しかも書いた作品に目を通し、的確な批評をくれた。いつも消灯時間まで小説を書いていた。同じ部屋の連中から今の時代、小説好きは、少数派と言われたが、不思議と気にはならなかった。
そして、いつの間にか入所して、数年がたっていた。俺は所内の教習所で車の運転免許を自費で取得した。先輩や同期連中たちも次々と出所した。
あっという間に俺が一番先輩だ。新たに入って来た連中は数日か、せいぜい三カ月程度の刑期だった。
俺は先輩としていろいろと面倒を見てやった。なかには数日の刑期のヤツもいる。シャバに家があり、すぐに出所だ。俺のことを変わり者扱いをするヤツもいたが、俺は笑って聞き流した。
刑務所に入って五年がたった。毎日行われている、退所式に俺も参加する。
その日の退所者で、一番長く刑務所に入っていたのが俺だった。退所者代表に選ばれ、みんなを代表して、所長から刑期カードを受け取った。刑務所長が穏やかな口調で言い放った言葉は、今でも覚えている。
「皆さまなら、二度と刑務所へ来るはずがない、と信じています。ですから言わせてください、さようなら」
あばよ、出かかった言葉を呑む。俺もこんなところは、二度と御免だ。刑務所の正門前のバス停から、バスに乗り帰路につく。
親は俺のことをうっとうしがり、一日でも早く就職して、家から出て行くのを強く望んでいた。
次の日、インターネットで求人検索すると、地元の新聞社で電子印刷工を募集していた。すぐに面接の予約を入れた。面接の当日、新聞社の人事担当者から質問をされた。
「五年も刑務所にいたそうですが、そこで学んだことを教えてください」
「はい、作業は電子印刷を選び、多くの技術を学びました。新人の刑務官さまから、アドバイスを求められたことも度々ありました。また集団生活でコミュニケーションスキルも身に付きました。先輩には必ず敬意を払い……」
しばらくして採用通知が来た。俺は地元の新聞社で社員となれたのだ!
初日の仕事が終り、新人である俺の歓迎会が居酒屋で行われた。二次会でカラオケにも行き、すっかり酔っ払ってしまった。
歓迎会が終り、新たに借りた一人暮らしのアパートへ歩く。鼻歌混じりで、ひとけのない夜道を歩いていた。
徐々にもよおしてきた。はめをはずし、飲みすぎたせいだろうか。
新聞社の近くに借りたアパートまでの道のりに、不慣れだった。
スマートフォンのマップで、近くの公衆トイレを探す。必死に道路を駆ける。我慢ができそうにない。
街灯がアルファルトの道を明るく照している。曲がり角で暗い小道に入る。左右を見ている余裕などない。
雑草を掻き分けながら、草むらに入り、やっと小用を足した。
ズボンのジッパーを上げる。道路へ戻り、スラックスを手で払い、軽い足取りで歩き出した。
すると、背後から声をかけられた。振り向くと、暗視ゴーグルした警察官が立っていた。
「こんばんは、今、そこの草むらで何をしていましたか?」
「――立ち○ョンです」
「立ち○ョンは、軽犯罪法違反です」
「この前、刑務所を出たばかりなんです。どうか見逃してください」
額の冷や汗をぬぐいながら、懇願した。見逃せない、と警察官は首を横に振る。
「刑期カードを渡してください」
俺は財布から刑期カードを出す。刑期カードを受け取った警察官が、警察専用の携帯端末で読み取っている。俺は手を洗ってない。遠慮がちに、携帯端末の液晶画面を触れた。モニターに映る数字を人差し指で押し、マイナンバーを入力した。
「すみませんね、手を洗ってなくて」
「あ、気にしないでください」
警察官はすでに、暗視ゴーグルを額に上げていた。穏やかな瞳をしている方だ。
「刑期カードを持っていない方ですと、六日間刑務所に入るところでした。私も警察に就職する前に、刑務所は済ましておきましたよ。満五年分ありますね、そこから六日分のポイントを引きます。ご確認ください」
社会人初日なのに、運が悪いとしか言いようがない。昔は罰金刑というモノがあったそうだが、現在は軽微な法律違反でも、刑務所行きだ。一日から数日、刑務所に行かなければならない。
その都度、わざわざ仕事を休まなければならないのだ。
その不便を解消するため、無犯罪の人間でも、任意で刑務所に入る『任意懲役制度』ができた。
刑務所に行くためにに、一々仕事を休みたくない。社会人になる前に、先に刑務所へ入っておいた。
まだ、刑期カードには、四年と三百五十九日分のポイントは残っている。
俺はもう二度と刑務所に戻ることは、ないだろう。(完)
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