第一章 マンハッタン

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第一章 マンハッタン

 夢にうなされるのは、いつものことだ。あの冷たくよごれた石畳と、煤けた空気を思い出す。もう…手の届かないところに逝ってしまったアイツが、いまさらなんだというのか。  許してくれなんて、思わないが、お前が生きていたとき、常に言っていた、『止まない雨はない(Rain stops without fail)』と、いったあの言葉のとおりなら、オレの心のなかの雨も、いつかは止んでくれるのだろうか? 「……タカシさん、大丈夫ですか?」  明け方近く、心配そうな顔をして覗きこむルカの気配で、タカシは目覚めた。全身に汗をびっしょりかいている。…いつもの、ことか。 「…平気だよ、ルカ。こんな時間に迷惑をかけたね…」 「何をいってるんですか?オレはタカシさんのためなら…なんでも…」  ルカは言いかけて口をつぐんだ。言葉ではなんとでも言える。けれど、自分は絶対に『彼』には勝てない気がした。…………ユキト。ルカはその存在が気にならないわけではなかった。毎晩、こうして夢にうなされ続けるタカシは、彼が科した十字架を背負って生きている。  日本の大学病院からNYへ移ったばかりの頃、ルカはERにオンコールされ、病院に駆けつけて初めてタカシと出会った。『He's a Japanese patient,Lukas!There is a laceration from the eyelid of the left eye. (患者は日本人、左目を瞼の上から裂傷だ、ルカ)』眼科医としてこちらに来ていた山口瑠歌は、新約聖書に出てくる医師のセイント、ルカ(Lukas)とニックネームで呼ばれていた。 『……お名前は言えますか?大丈夫ですよ、僕は日本人医師で、山口といいます…』  殴打された傷と鋭利なナイフで切り裂かれた左目。ダウンタウンで犠牲になったのだろうか。治安の悪い地域からアンビュランスで搬送されてきたという。
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