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あかちゃんなんて産まないもん!
「何してるの?」
書斎の机に向かい、何やら書き物をしているメルヴィンに、キュッリッキは首をかしげて駆け寄った。
「リッキーと帰りますよって、両親に手紙を書いているんです。オレ一人なら、いきなり帰っても差し支えないんですが、リッキーと一緒なので、食事と寝床の用意くらいはしておいてもらわないと」
「なんか、ドキドキしちゃう」
「緊張することなんてナイですよ。リッキーにとっても、実家となる場所なんですから」
自分の実家になる、ということは、キュッリッキにとって違和感のあることだ。生まれた場所はあっても、故郷と呼べるものは何一つない。忌まわしい思い出があるだけだ。
ベルトルドと皇王によって、キュッリッキはハワドウレ皇国の住人となっているが、まだ違和感しかないのだった。
「ねえ、メルヴィン」
「はい?」
「あのね……、ホントに、アタシのコト、好きになってくれるかな」
「大丈夫ですよ」
「でも…」
実の両親にすら嫌われた自分が、メルヴィンの両親に好かれるだろうか。それを暗に言っていて、メルヴィンはキュッリッキの心の傷を再認識した。
「絶対好きになってくれると、オレが保証します。それに、今のオレにとっての一番はリッキーだから、オレを信じてください」
見ている者を安心させる優しい笑顔に、キュッリッキは小さく頷いた。
「素敵なレディを婚約者にできたんだと、早く両親に自慢したいです」
午後のお茶の時間には、エルダー街に行っていたカーティスも戻ってきて、スモーキングルームにみんな集まった。
「メルヴィンの実家には、何時行くの?」
ランドンに問われて「来週です」とメルヴィンは答えた。
「いよいよキューリちゃんも嫁デビューかあ」
「三つ指揃えて、ふつつかな嫁ですが、とかやるんだよね」
「お義母様、そんなのわたくしがやりますわ、とか言って、家事全部押し付けられるとか」
「アラ、ほこりが…とか言われて、掃除の粗探しされるんだよな」
「包丁の持ち方がなってないわね」
「近頃の嫁は…とか」
「そんなことされませんっ!」
メルヴィンが慌てて否定するが、キュッリッキは青ざめた顔で、不安そうにスカートの裾を掴んでいた。
「真に受けないでくださいリッキー」
「でもアタシ、お料理なんてマトモにできないよう」
「しなくても大丈夫ですから」
完全に真に受けてしまっていた。
「面白がって不安を煽らないでください!」
マジギレしたメルヴィンに怒鳴られ、みんな首をすくめて反省した。
「まあ冗談は置いといて、メルヴィン今30歳でしょ、孫の話は凄い言われそうだよね」
ルーファスに言われて「だいぶ前からもう…」とメルヴィンは頭をカシカシ掻いた。
「道場を継ぐのはオレでもオレの子供でもないんですが、孫を抱かせろとは言われ続けてます」
「今から頑張れば、来年には抱かせてあげられるんじゃない?」
「それ、デキ婚になっちまわね?」
「婚約しちゃってるから。あかちゃんも一緒に結婚式とか」
「いえいえ、まずは式を挙げてから、あかちゃんの順番です」
「真面目すぎ…」
みんなが盛り上がる中、キュッリッキだけはキョトンとした顔をしていた。
「あかちゃん?」
ぽつりとした呟きに、
「ええ、オレたちの子供です」
と言うメルヴィンの顔をジッと見て、キュッリッキは俯いた。
「リッキー?」
「そんなの……産まない」
「え?」
「アタシ、産まないよ」
「どうしたの?」
ただならぬキュッリッキの様子に、ルーファスが首をかしげる。
キュッリッキは俯いたまま立ち上がると、
「なにみんな勝手なことばかり言ってるの、アタシ、あかちゃんなんて産まないもん!」
腹の底から絞り出すように叫ぶと、キュッリッキは身を翻してスモーキングルームから出て行ってしまった。
「リ、リッキー!」
驚いたメルヴィンはすぐさまキュッリッキを追おうとしたが、ルーファスに手を掴まれ止められてしまう。
「ルーファスさん」
「2人揃ってそんなエキサイトした気持ちじゃ、喧嘩にしかならないよ」
「しかし」
「ダメダメ。キューリちゃんの気持ちを理解するのが先!」
「え?」
キュッリッキは中庭に出て、四阿まで駆けていった。
よく手入れされている庭だが、木々は紅葉し、四阿周りはすっかり秋色に塗り変わっていた。
何時誰が来てもいいように、四阿の中は掃き清められ、テーブルも椅子も綺麗に整えられている。
大きな籐の椅子に、キュッリッキは膝を抱えて座り込んだ。
「キュッリッキ」
影からするりと抜け出すように、仔犬姿のフェンリルが現れた。
「あかちゃんなんて、産みたくない」
ムスっとした声音に、フェンリルは眉間を寄せる。
「何れ、産む時が来る」
「どうしてみんな、あかちゃん欲しがるの? アタシ、別に欲しくないもん」
「メルヴィンは欲しがっている」
「じゃあ、どっかで作ってくればいいんだよ」
「ほほう。なら、メルヴィンがほかの女を抱いてもいいんだな?」
「それはダメ!!」
バッと顔を上げてキュッリッキは叫ぶ。
「しかし、どこかで作って来いと言うなら、そうなるぞ」
「……そんなのダメだもん」
フェンリルを恨みがましく睨んで、キュッリッキはテーブルに視線を落とした。
「アタシみたいに、片翼で生まれてきたらどうするの?」
あまりにも辛いその声に、やはりか、とフェンリルは首を横に振った。
「アタシみたいに片翼で生まれてきちゃったら、一番辛いのあかちゃんなんだよ。アタシは捨てたりなんかしないし、蔑んだり虐めたりしない。メルヴィンもしないと思う。でも他の人は? 蔑んだり辛く当たったり、絶対されないって保証はないもん」
キュッリッキが片翼で生まれてきたのは、神々の意図が働いたからだ。しかし今は、もう両翼になった。まだ翼の大きさが不揃いだが、そのうち同じ大きさに育つ。そう遠いことではない。
遺伝ではないのだ。
「嫌われ者になって、毎日悲しくて苦しくて、そんな思いを味わうことになったら可哀想すぎる。それなら、産まないほうがいいんだから」
「確かにそうかもしれませんが、でもきっと、まだ見ぬお子様は、お2人の元へ生まれてきたいと、そう願っていると思います」
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