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キュッリッキの迷い
「アリサ…」
侍女のアリサが、そこに佇んでいた。
「皆様にお茶をお出ししようとしたら、お話が聞こえてきちゃいまして。飛び出したお嬢様を、追いかけてきました」
アリサは手にしていた膝掛けを、キュッリッキの膝にかけてやった。
「もうすっかり寒くなってきましたから、このような所にいると風邪を召しますよ」
身体を起こし、アリサはにっこりと微笑んだ。
「……生まれた来たことを、後悔するかもしれないよ」
ぽつりと呟くキュッリッキに、アリサは首を横に振る。
「お嬢様とメルヴィン様がいらっしゃるのに、後悔するなんてこと、絶対にありません」
「なんでそんな、言い切れるの?」
「どのようなお姿でお生まれになっても、お2人が愛情を注いでお育てになりますから。だから、後悔なんて絶対にしません」
「……」
キュッリッキはアリサを見上げ、そして俯き黙り込んだ。
アリサはキュッリッキの傍らに膝をつくと、冷え切っている手を取り優しく握る。
「私はごく普通の家庭に生まれたので、お嬢様の苦しみやお悩みは計り知れません。ですが、だからこそ、お子様をお産みになって、メルヴィン様と家族をお作りになって欲しいと思うのです」
硬い表情のままのキュッリッキに、アリサは辛抱強く語りかけた。
「私どもに、どうかお嬢様の家族のお世話をさせてくださいませ。どんなお子様でも、誠心誠意、愛情をもってお世話をさせていただきますから」
「でも…」
「先代の、ベルトルド様とアルカネット様は、ご結婚もされてなく、他所でお子様を作ってもいらっしゃらなかったので、私たち使用人は、それはもう退屈でございましたよ」
「退屈…」
「ええもう、それは退屈で退屈で。人の出入りもあまりなく、リュリュ様がいらっしゃるくらいでしたから。でも、お嬢様がいらして、急に楽しくなりましたよ。なにせ、お世話をする方が増えたんですから」
「アタシ、怪我したままきたもんね」
「痛々しくて、毎日どうお世話するか、メイドたちみんなで色々考えていたんですよ」
クスッと笑うアリサに、キュッリッキもつられて微笑んだ。
「お子様は、お生まれになってこないと、どんなお姿か判りません。そしてそれを恐れてはいけませんよ。たとえ、どんなお姿でも受け入れる。愛情を注いでお育てになる。辛い過去をお持ちのお嬢様だからこそ、それが出来るのでございますよ」
「自信、ないもの…」
「誰でもそうだと思います。でも、お嬢様にはメルヴィン様がいらっしゃいます。お2人で力を合わせて、お子様と共に成長していくんです」
考えば考えるほど、不安しか湧いてこない。けど、メルヴィンが一緒なら、頑張れるだろうか。
「アタシも、ちゃんと出来るかな?」
「もちろんですとも。私もついています」
「うん」
「失礼します、お嬢様」
そこへ、別のメイドがキュッリッキを呼びに来た。
「メルヴィン様からご伝言でございます」
「? なんだろう?」
「至急、ハーメンリンナの大病院へお越しくださるように、とのことです」
「え、メルヴィン怪我したの!?」
「いえ、そういうことは仰っておりませんでしたが」
「なんだろう、メルヴィンどうしたんだろう」
不安そうに顔を曇らせるキュッリッキに、アリサは力強く微笑んだ。
「私もご一緒しますから、急いでハーメンリンナへ向かいましょう」
アリサに促され、キュッリッキは椅子から立ち上がった。
ハーメンリンナの大病院前に自動車が着くと、にっこり笑顔のヴィヒトリが出迎えてくれた。
「いらっしゃい、キュッリッキちゃん」
「先生、メルヴィンどうしたの? 怪我したの?」
自動車から飛び出すように出てきたキュッリッキを、ヴィヒトリは慌てて抱きとめる。
「彼はナントモナイよ」
「じゃあ病気になったの!?」
青ざめるキュッリッキに、ヴィヒトリは腰を屈めて首を横に振った。
「ドコも悪くないから安心して。ただ、メルヴィンに頼まれてね。こっち、着いておいで」
そう言ってキュッリッキの小さな手を取ると、ヴィヒトリは病院に入っていった。
心配と不安で頭がぐるぐるしているのが見てとれる表情を浮かべるキュッリッキに、ヴィヒトリは可笑しそうに笑う。
「相変わらずキミは、顔に出やすいんだなあ、考えていることが」
「むぅ」
拗ねた顔を向けられ、ヴィヒトリは後ろを歩くアリサと共に声を立てて笑った。
広い病院の中を歩いていくと、産婦人科病棟に入った。
「メルヴィンあそこだヨ」
ヴィヒトリが指差すと、メルヴィンは壁を向いて立っていた。
「メルヴィン!」
キュッリッキが叫ぶと、メルヴィンはハッとして振り向いた。
「リッキー」
両手を広げると、駆けてきたキュッリッキが飛び込んできた。
「怪我したの? 大丈夫なの!?」
まくし立ててくるキュッリッキに、メルヴィンは優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。ただ、リッキーに見せたいものがあって、来てもらいました」
「見せたいもの?」
「はい。コレです」
メルヴィンが壁の向こう――ガラスの向こうを顎で示したそこには、たくさんの赤ん坊が並んで眠っていた。
「うわあ、あかちゃん!」
「可愛いでしょう。他人のあかちゃんだけど、見ているだけで愛おしくなってきてしまいます」
キュッリッキはガラスに手をついて、静かに眠る赤ん坊たちを見つめた。
2人は暫く黙って見つめていたが、正面に居る赤ん坊が、眠りながら小さな手を動かしたコトにキュッリッキが反応した。
「あのあかちゃん動いたよ、手を握って欲しいのかな、おなかすいたのかな」
そして別の赤ん坊が動くと、
「遊んで欲しいのかな、話しかけて欲しいのかな」
ガラスの前で、ワタワタと慌てだした。
その様子を見て、ヴィヒトリとアリサがクスクスと笑う。それに気づいたメルヴィンは、苦笑して2人に目配せをした。
ヴィヒトリとアリサは頷くと、何も言わずに、そっとその場を去っていった。
それにも気づかず、キュッリッキは挙動する赤ん坊に夢中になっていた。
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