疎外感

1/1
65人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ

疎外感

 ゆっくり朝食が済むと、3人は道場へと向かった。  ちょうど朝の訓練が終わったところで、広い道場の片隅に集まり、皆手ぬぐいで汗を拭いていた。 「あなた、2人を連れてきたわよ」 「うむ」  木刀を弟子に手渡すと、アリスターは弟子達を振り返った。 「15年ぶりに我が家を思い出した愚息と、その伴侶となる女性を皆に紹介したい」  オオ! と道場がどよめいた。  皆の前に押し出されるように、メルヴィンとキュッリッキは並んで立った。 「あのメルヴィン様!」 「ご尊顔を拝すことができるなんて」 「ハワドウレ皇国で五指に入るほどの実力者で有名な!」 「アリスター様を超えるという噂だぞ」  道場の弟子たちの興味と関心は、メルヴィン只ひとりに注がれている。キュッリッキへは誰も目もくれない。 (うわあ…、メルヴィン人気者だあ)  キュッリッキはメルヴィンの後ろで、ビックリしながらその様子を見ていた。自分に対して無関心なのは、とくに気にならなかった。むしろ、メルヴィンの人気が自分のことのように嬉しく感じている。 「困ったな…」  あまりにも興奮したような弟子たちに、メルヴィンは苦笑しながら、照れ隠しに頭を掻いている。 「メルヴィン兄さまのことは、この道場だけじゃなく、あちこちの用心棒達の間でも有名なのよ」  そこへエルシーがエプロンをたたみながら道場へ入ってきた。 「どんな有名扱いなのか、ちょっと怖いな」 「あら、もちろん強いってことよ。ハワドウレ皇国で名が上がれば、惑星中に広がるんだもの」 「そっかあ、そういうことは、あんまり意識したことなかったから」 「ふふ、兄さまらしいわ」  そう言いながら、エルシーはメルヴィンの腕にしがみついた。そして親しげに顔を腕に押し付け見上げる。 「みんなの朝食の用意ができたわ。兄さまも一緒に、みんなの話に付き合ってよ」 「え、いや」 「お願いします、御子息さま!」 「是非、メルヴィン様!」  弟子たちからも乞われ返事もそこそこに、メルヴィンはエルシーに腕を引かれて道場を出て行ってしまった。  相手にされることもなく、その場にたった一人ぽつんと取り残されたキュッリッキは、唖然と出口を見ていた。 「メルヴィン……、行っちゃったの…」 「なーんかサー、あからさまでイヤな女ダナー」  キュッリッキの影からスルッと姿を現したフローズヴィトニルは、小さな尻尾を軽く揺らした。 「メルヴィンも情けないな」  同じように姿を現したフェンリルは、不愉快そうにフンッと鼻を鳴らす。  キュッリッキは落ち込んだ顔を俯かせた。 「昔よく感じた壁を、思い出しちゃった…」  メルヴィンとその家族、そして弟子たち。見えない壁のようなものが、キュッリッキの前に立ち塞がった。  自分は他人なんだと言わんばかりに、その壁が中に入れないように邪魔をしてくる。  見えないその壁を突き破り、自分から中に入っていくことがキュッリッキにはまだ出来ない。  ベルトルド、アルカネット、ライオン傭兵団、彼らはずっと手を差し伸べてくれて、キュッリッキはその手に引っ張ってもらうだけで良かった。  しかし今はもう、ベルトルドもアルカネットもいない。ライオン傭兵団も辞めた。  今度は自分から勇気を出して、見えない壁を突き破らなくてはならない。  いつまでも甘えてばかりの子供ではいられないのだ。そう頭では判っている。それなのに、一歩が踏み出せないでいた。 「やっぱ、アタシには無理…」  泣きそうな声でそうぽつりと呟くと、キュッリッキは駆け出した。  昨日通った小さな門を抜け、敷地の外へと飛び出す。背後で門番をしている弟子が呼び止める声がしたが、気づかないフリをして立ち止まらなかった。そして知らない街の中へ駆け出した。  キュッリッキの後ろをフェンリルとフローズヴィトニルが、小さな脚をいっぱいに動かし着いていく。 「何処へ行くのだ、キュッリッキ!」 「判んないもん!」  拗ねたようにキュッリッキは言って、くねくねとした路地裏をひたすら走った。  やがて小さな水路のようなところに出る。  水路の両脇には柳が植えられ、人気もなく喧騒とは無縁の静かなところだった。  キュッリッキはしゃがみこむと、落ちていた柳の葉をつまんで、ポイッと水路に投げ込んだ。 「アタシ、ああいうのって苦手…」  馴染みのない人々の輪の中へ入ることは、キュッリッキが最も苦手としていることだ。  修道院での幼少期、同じ境遇の孤児たちの中で、キュッリッキは常に仲間はずれにされてきた。  輪に加わろうとしても弾き出され、残酷なまでに追い払われる。  仲間になりたくて、一生懸命足を進めても、その一線を超えさせてはくれなかった。そんな不幸な経験のせいで、キュッリッキは他人の輪の中へ、どう入っていけばいいか判らなくなっていた。  とくに今回はエルシーの妨害もあるし、弟子たちの関心がメルヴィンのみに集中していたため、キュッリッキにとってハードルが高いものとなってしまっている。 (あの男は、本当に鋭いのか鈍いのか、判らないところがある…)  フェンリルは内心、憮然としたため息をついていた。  メルヴィンがほんのちょっとでも、あの場でキュッリッキに気を回していれば、今頃こんな知らない場所で、柳の葉に八つ当たりしていなくてよかったのだ。  大人にならなければ、というのはキュッリッキにもちゃんと判っている。今回のことを自分から乗り切ることができれば、あとはもう大丈夫だろう。  こうして逃げ出してきてしまったが、逃げたことをもう後悔している。キュッリッキの表情は、自己嫌悪でどっぷり染まっていた。 「ぬ?」  何やら気配を感じ、フェンリルはキュッリッキに向けていた顔を、細い路地の方へと向ける。  さっき駆けてきたその細い路地から、人相の悪い男たちがガヤガヤと姿を現した。 「オイオイオイ、な、上玉だろ」 「あの容姿はアイオン族じゃねーのかな」 「色気に欠ける体型してるが、顔はもう文句のつけようもねえ」  男たちの声に、キュッリッキは立ち上がる。 「人身売買専門のハイエナたちね…」  ムスっとした表情はそのままに、キュッリッキは警戒心を帯びた声を出した。  昔何度か人身売買をするブローカーたちと、仕事でやりあったことがある。あの男たちは誘拐担当のようだ。 「生意気な口をきくようだが、まあ顔は傷つけんなよ、値が下がる」 「少し遊んでから売りにだそうぜ」 「あんなのに勃つのかよ、節操ねーな」 「幼児体型も中々イイモンだぜ」  下卑た笑い声をあげる男達に、キュッリッキはひたと視線を固定させた。  アルケラから召喚しようとした、その時。 「アリスター様の大切なお客人だ、下がっておけ、下郎ども」  その場に低くよく通る声が割って入った。 「何! アリスターだと!?」  突如男たちが怯えたようにどよめいた。 「判ったら失せろ!」  一喝された男たちはさっきまでの威勢はどこへやら、蜘蛛の子を散らす勢いでその場から逃げ去ってしまった。 「アリスター様の名前はどんな武器にも勝るな。――大丈夫ですか? お怪我等ありませんか」 「えと…」  誰だろう、とキュッリッキが首をかしげていると、目の前に立ったその男は、にっこりと優しい笑みを浮かべた。 「申し遅れました。拙はイライアスと申します。メルヴィンの父、アリスター様の甥です」 「え、メルヴィンの…、従兄弟?」 「はい」  キュッリッキは目をぱちくりとさせた。  まっすぐ背中まで伸びた黒髪はストレートで、墨でひいたように流麗な眉に切れ長の目。端整だが男らしい凛々しさが匂い立つ顔、長身でしっかりと鍛えられた身体はメルヴィンとよく似ている。 「エルシーがあなたに意地悪をしていましたね。心配でついてきたのですが、無事で良かった」  キュッリッキは咄嗟に顔を赤くすると、恥ずかしげに俯いた。  よく判らないが、イライアスには全てお見通しのようだ。 「この街は女性の一人歩きには不向きです。一緒に戻りましょう」  イライアスに優しく促され、キュッリッキは素直に頷いた。
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!