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疎外感
ゆっくり朝食が済むと、3人は道場へと向かった。
ちょうど朝の訓練が終わったところで、広い道場の片隅に集まり、皆手ぬぐいで汗を拭いていた。
「あなた、2人を連れてきたわよ」
「うむ」
木刀を弟子に手渡すと、アリスターは弟子達を振り返った。
「15年ぶりに我が家を思い出した愚息と、その伴侶となる女性を皆に紹介したい」
オオ! と道場がどよめいた。
皆の前に押し出されるように、メルヴィンとキュッリッキは並んで立った。
「あのメルヴィン様!」
「ご尊顔を拝すことができるなんて」
「ハワドウレ皇国で五指に入るほどの実力者で有名な!」
「アリスター様を超えるという噂だぞ」
道場の弟子たちの興味と関心は、メルヴィン只ひとりに注がれている。キュッリッキへは誰も目もくれない。
(うわあ…、メルヴィン人気者だあ)
キュッリッキはメルヴィンの後ろで、ビックリしながらその様子を見ていた。自分に対して無関心なのは、とくに気にならなかった。むしろ、メルヴィンの人気が自分のことのように嬉しく感じている。
「困ったな…」
あまりにも興奮したような弟子たちに、メルヴィンは苦笑しながら、照れ隠しに頭を掻いている。
「メルヴィン兄さまのことは、この道場だけじゃなく、あちこちの用心棒達の間でも有名なのよ」
そこへエルシーがエプロンをたたみながら道場へ入ってきた。
「どんな有名扱いなのか、ちょっと怖いな」
「あら、もちろん強いってことよ。ハワドウレ皇国で名が上がれば、惑星中に広がるんだもの」
「そっかあ、そういうことは、あんまり意識したことなかったから」
「ふふ、兄さまらしいわ」
そう言いながら、エルシーはメルヴィンの腕にしがみついた。そして親しげに顔を腕に押し付け見上げる。
「みんなの朝食の用意ができたわ。兄さまも一緒に、みんなの話に付き合ってよ」
「え、いや」
「お願いします、御子息さま!」
「是非、メルヴィン様!」
弟子たちからも乞われ返事もそこそこに、メルヴィンはエルシーに腕を引かれて道場を出て行ってしまった。
相手にされることもなく、その場にたった一人ぽつんと取り残されたキュッリッキは、唖然と出口を見ていた。
「メルヴィン……、行っちゃったの…」
「なーんかサー、あからさまでイヤな女ダナー」
キュッリッキの影からスルッと姿を現したフローズヴィトニルは、小さな尻尾を軽く揺らした。
「メルヴィンも情けないな」
同じように姿を現したフェンリルは、不愉快そうにフンッと鼻を鳴らす。
キュッリッキは落ち込んだ顔を俯かせた。
「昔よく感じた壁を、思い出しちゃった…」
メルヴィンとその家族、そして弟子たち。見えない壁のようなものが、キュッリッキの前に立ち塞がった。
自分は他人なんだと言わんばかりに、その壁が中に入れないように邪魔をしてくる。
見えないその壁を突き破り、自分から中に入っていくことがキュッリッキにはまだ出来ない。
ベルトルド、アルカネット、ライオン傭兵団、彼らはずっと手を差し伸べてくれて、キュッリッキはその手に引っ張ってもらうだけで良かった。
しかし今はもう、ベルトルドもアルカネットもいない。ライオン傭兵団も辞めた。
今度は自分から勇気を出して、見えない壁を突き破らなくてはならない。
いつまでも甘えてばかりの子供ではいられないのだ。そう頭では判っている。それなのに、一歩が踏み出せないでいた。
「やっぱ、アタシには無理…」
泣きそうな声でそうぽつりと呟くと、キュッリッキは駆け出した。
昨日通った小さな門を抜け、敷地の外へと飛び出す。背後で門番をしている弟子が呼び止める声がしたが、気づかないフリをして立ち止まらなかった。そして知らない街の中へ駆け出した。
キュッリッキの後ろをフェンリルとフローズヴィトニルが、小さな脚をいっぱいに動かし着いていく。
「何処へ行くのだ、キュッリッキ!」
「判んないもん!」
拗ねたようにキュッリッキは言って、くねくねとした路地裏をひたすら走った。
やがて小さな水路のようなところに出る。
水路の両脇には柳が植えられ、人気もなく喧騒とは無縁の静かなところだった。
キュッリッキはしゃがみこむと、落ちていた柳の葉をつまんで、ポイッと水路に投げ込んだ。
「アタシ、ああいうのって苦手…」
馴染みのない人々の輪の中へ入ることは、キュッリッキが最も苦手としていることだ。
修道院での幼少期、同じ境遇の孤児たちの中で、キュッリッキは常に仲間はずれにされてきた。
輪に加わろうとしても弾き出され、残酷なまでに追い払われる。
仲間になりたくて、一生懸命足を進めても、その一線を超えさせてはくれなかった。そんな不幸な経験のせいで、キュッリッキは他人の輪の中へ、どう入っていけばいいか判らなくなっていた。
とくに今回はエルシーの妨害もあるし、弟子たちの関心がメルヴィンのみに集中していたため、キュッリッキにとってハードルが高いものとなってしまっている。
(あの男は、本当に鋭いのか鈍いのか、判らないところがある…)
フェンリルは内心、憮然としたため息をついていた。
メルヴィンがほんのちょっとでも、あの場でキュッリッキに気を回していれば、今頃こんな知らない場所で、柳の葉に八つ当たりしていなくてよかったのだ。
大人にならなければ、というのはキュッリッキにもちゃんと判っている。今回のことを自分から乗り切ることができれば、あとはもう大丈夫だろう。
こうして逃げ出してきてしまったが、逃げたことをもう後悔している。キュッリッキの表情は、自己嫌悪でどっぷり染まっていた。
「ぬ?」
何やら気配を感じ、フェンリルはキュッリッキに向けていた顔を、細い路地の方へと向ける。
さっき駆けてきたその細い路地から、人相の悪い男たちがガヤガヤと姿を現した。
「オイオイオイ、な、上玉だろ」
「あの容姿はアイオン族じゃねーのかな」
「色気に欠ける体型してるが、顔はもう文句のつけようもねえ」
男たちの声に、キュッリッキは立ち上がる。
「人身売買専門のハイエナたちね…」
ムスっとした表情はそのままに、キュッリッキは警戒心を帯びた声を出した。
昔何度か人身売買をするブローカーたちと、仕事でやりあったことがある。あの男たちは誘拐担当のようだ。
「生意気な口をきくようだが、まあ顔は傷つけんなよ、値が下がる」
「少し遊んでから売りにだそうぜ」
「あんなのに勃つのかよ、節操ねーな」
「幼児体型も中々イイモンだぜ」
下卑た笑い声をあげる男達に、キュッリッキはひたと視線を固定させた。
アルケラから召喚しようとした、その時。
「アリスター様の大切なお客人だ、下がっておけ、下郎ども」
その場に低くよく通る声が割って入った。
「何! アリスターだと!?」
突如男たちが怯えたようにどよめいた。
「判ったら失せろ!」
一喝された男たちはさっきまでの威勢はどこへやら、蜘蛛の子を散らす勢いでその場から逃げ去ってしまった。
「アリスター様の名前はどんな武器にも勝るな。――大丈夫ですか? お怪我等ありませんか」
「えと…」
誰だろう、とキュッリッキが首をかしげていると、目の前に立ったその男は、にっこりと優しい笑みを浮かべた。
「申し遅れました。拙はイライアスと申します。メルヴィンの父、アリスター様の甥です」
「え、メルヴィンの…、従兄弟?」
「はい」
キュッリッキは目をぱちくりとさせた。
まっすぐ背中まで伸びた黒髪はストレートで、墨でひいたように流麗な眉に切れ長の目。端整だが男らしい凛々しさが匂い立つ顔、長身でしっかりと鍛えられた身体はメルヴィンとよく似ている。
「エルシーがあなたに意地悪をしていましたね。心配でついてきたのですが、無事で良かった」
キュッリッキは咄嗟に顔を赤くすると、恥ずかしげに俯いた。
よく判らないが、イライアスには全てお見通しのようだ。
「この街は女性の一人歩きには不向きです。一緒に戻りましょう」
イライアスに優しく促され、キュッリッキは素直に頷いた。
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