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一風 僕とアスカと好きな人
風が僕のローブをはためかせる。金と銀の双眸にレモンの汁がしみるようだ。
「やめて欲しいな。僕は、これからドレスに着替えるんだから」
「おや、どうしてです? シフェーン」
丘の上の城壁が霞む。城の切っ先が垂れ込める暗雲を突き破る。その尖塔にこれから参るというのに。
「仔馬も許されずに、こうして歩むしかない。せめて、アスカには留守を頼みたかった」
「私は、大丈夫だと申し上げております」
ダンデの花も揺れる。小さいながら力強い花だ。
僕の心残りを分かっているのだろう。友情執事は要らないんだけど。碧眼がアスカの姉さんそっくりだな。
「もう、今頃はアスカの姉さんが初々しい花嫁となっているだろうよ」
アスカ・マホロバの姉さんと僕が結婚する筈だった。優しく美しいスシュンから、朝市でレモンばかりを買った。僕の気持ちは地道に伝えていたんだからな。なのに、僕が王に召されるとは、どこで三叉路を誤ったのだろうか。
お腹が空いて、どんなにいい香りの祝宴となっても、嫁として口にしないぞ。妃だなんてごめんだ。
「シフェーン・ダイナイナ。キミは心を決めて隣国との懸け橋となるのです」
「ああ、そうさ。虹の花嫁にしては、質素過ぎだな」
それは、道中金品目当ての盗賊を恐れていることでもあろう。それとも支度金をケチったか? 氷刃国の王よ。我が陽国の城下町はもっと人があたたかいぞ。
「くっ。城に向かうほどに、風塵も頬を打つ。殆ど見えないが、道から外れていないよな」
「私の手に掴まってください。シフェーン」
僕は、手を振り払った。風は一層の渦を巻き、その場を凍らせた。
「やめろよ! 男同士だろ、アスカ」
僕達の間に血のように色づいた川が流れた。しまったと思ったよ。アスカに悪気はないんだ。
「――アスカ。ごめん。傷付けてしまったよな」
「私の片想いなのです。これくらいは覚悟の上ですよ」
おいおい、僕は女の子が好きなの。
「友情執事もここまでにして、この坂を登り切ったところで別れよう。さあ、アスカは帰るんだ」
「何故です? スシュン姉さんのことで、こんな羽目になったというのにですよ?」
何としてもあの氷刃の国への婚姻など、大切なアスカを巻き添えにできない。
「僕からの、告白を受けてくれるか?」
「いつでもどうぞ」
僕は、風に向かって腕を伸ばす。レモンの飛沫も遠慮なく舞っている。風圧が最高潮に達した。今、言の葉を飛ばせ!
「――さあ、我がダイナイナ家系譜より継承しシシジュの精霊よ! ここに集い、アスカ・マホロバを風巻にて故郷クナガイへ!」
周囲の草も巻き込み、綺麗に咲いていた黄色のダンデも散り散りになる。
「アスカ。ここで本当にお別れだな……」
僕は、風が巻いている内にと、故郷へ向いていた踵を返した。嫁ぐ為にこれからは一人だ。シシジュの呪文は、アスカを案じてのことだ。
「さあて、心の荷物が軽くなると侘しいものもあるな」
一歩踏み出したときだ。
「……です?」
「え?」
後ろから聞いた声がする。砂が、風を無視して落ちる。
「大丈夫なんです?」
「ア、アスカ? どうして、シシジュの精霊に従わない」
アスカは、長い銀髪をまとめ直した。その碧眼に映るのは、スシュンが見る故郷だった。
「クナガイが燃えている! 知っていたのか?」
スシュンは怯えて動けなくなっている。助けなくては。ところで、夫はどこにいるんだ?
「今、知りました。私の心は一瞬故郷へ帰ったのです」
何故、僕達の去った国が燃えた? もしや、僕が嫁ぐことになったから?
「アスカの家族は無事か? 確かめたのか!」
ゆっくりと頭を左右に振る。
「僕が氷刃国へ嫁ぐ意味はないな。何が同盟だ。何が人質だ。こんな交換条件は、今を持って失ったよ」
僕が握り拳を振りかざそうとしたとき、アスカの碧眼が訴えた。
「ここは、氷刃の国でも我が国でもない細道。私に策があります」
僕の耳をくすぐるように、憎悪の念で拵えた作戦をよこした。
「それが可能ならば……」
「そんな弱気でどうするのです。不可能では恨みを拭えません」
とうとう、僕は、アスカの策を実らせることになった。
◇◇◇
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