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―この者は誰か?
どうでも良い。
―この者は自分の力量を上回っている。
どうでも良い。現に自分はまだ生きている。
―死にたくない。生きて帰り、子供たちに会わなくては……。
どうでも良い。どの途、今この瞬間の難所を切り抜けなければ、その願いも永遠に叶わない。
―唯、速やかに倒す。眼前の影を葬る。
コレヲムクロニスル。
地表を転げ回って、難を避け続けていた重左衛門の動きに、寸秒を経て滑らかさが出ていた。「滑り」といってもいいだろう。あるいは、それは黒装束だけが感じ得るものだったかもしれない。
ざりっ! と音を立て、重左衛門の躱した刃先が地面の石でも噛んだのか、僅かに流れたその刹那。
ごっ! と重左衛門の蹴り上げが、黒装束の顎を捉えた。「ぐむっ」と初めて声を出した影は、そのまま後方へたたらを踏んだ。
重左衛門は蹴り足を戻して、下肢を回旋させ、素早く起き上がると、続けての二撃、三撃を加えるため、間髪入れず間合いを詰めた。
「待て、待て、待て、待て!」
出し抜けに大声が響いた。
その声を聞いてなお、重左衛門の身体は黒装束の小太刀の側面に入り込み、自分の体側をぶつけて肘を折ろうとする動きを続けていた。しかし、声によって常態に戻りつつあったのか、動きそのものは緩やかに終息していった。
「儂だ! 甚助だ! 重左衛門」
「む?」
いまだ油断なく即応の構えを解かない重左衛門に対し、黒装束は得物の小太刀や鉄甲を地面に抛り捨てた。
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