大坂へ、そして暗中模索の日々

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 幼馴染みを救おうという二人の決心が揺らがぬように重太郎は声を励ましたが、重太郎自身、神仏が何がしか現実に力を働かせて、救いの手を差し伸べてくれる、と思っているわけではなかった。  旅の途中、かつて父や兄がそうしていたように、辻々の祠や地蔵に手を合わせはするが、別に現実的な見返りを期待してのことではない。兵法修業や旅から旅への生活で、この世を形づくり、運行していこうという何か偉大な意思のようなものを感じることはあるが、それが世の衆生にいちいち恩恵をもたらしてくれるものではないことは、身に染みていた。  そもそも神仏がこの世にいちいち介入するものなら、軍蔵たちを野放しにはしておかないであろうし、父や兄もむざむざ討たれはすまいと思うのである。 重太郎はすぐにも村人たちに申し出て、二人の力になってやりたかったが、村長の吉田又衛門の態度からは、重太郎に介入してほしくない意志が明らかに読み取れたし、元々この辺りの郷村を支配していたという吉田家を憚る態度が、村人からは感じられた。  これからも村で暮らし続ける二人のためにも、今、表だって動かずに、実際に娘を唐櫃に入れる明日の夜の儀式に備え、明朝、一旦発つふりをして吉田を安心させ、秘かに戻って二人に協力することとした。  明朝、重太郎は老夫婦に幾ばくかの銭を握らせ、宿と食事の礼をすると、朝になって用意してもらった握り飯を持って村を発つふりをした。ご丁寧に吉田又衛門まで見送りに来ている。 ―やはり俺は見張られておったようじゃ。  重太郎は吉田にも礼を言い、ゆるゆると塩尻方面へ南下する道を辿る。夜には水車小屋で吾作たちと落ち合い、唐櫃のはると入れ替わる算段である。梅雨時にしては好天が続いたため、重太郎は牛馬の糞が転がる埃っぽい街道を、村から離れすぎないよう、ゆっくり歩を進めた。  重太郎は暗くなるのを待ってから、なるべく道を使わず疎林の中に分け入って、水車小屋の所まで戻った。水車小屋には吾助がすでに来ており、はるを唐櫃に入れたあとに、この水車小屋に立ち寄って、重太郎と入れ替わる手筈を整えた。  唐櫃を住吉社の社に据えるのは丑三つ時であるという。吾助、太助の二人の他にもう二人の村の若者も合力し、力を貸してくれるという。元々、この儀式を不審に思っている者も多かったのだなと吾助に伝えると、吾助の答えは意外なものだった。 「いえ、岩見重太郎様が合力くださると言うので、迷っていた者も決心がついたんですよ」 「へぇ? えらく信用されたものだな。俺の名前を、この辺りで知っている者が居るとも思えないが……」 「そんなことはございませんよ! 岩見重太郎様は旅の者を襲う山賊や、村々を襲う野伏せりを退治してくださるって、行商の者や他の村の者から評判を聞いて、うちらも知っていたぐらいだから」 「……そうだったのか」  昨今、兵法者は行く先々で、可能な限り、高名な武芸者や道場に挑戦して名前を上げることに懸命になっている。だが重太郎の場合は、あくまで仇討ちのための探索行であるというところが、他の連中と毛色を異にしている。  別に旅先で兵法者たちと立ち合ったところで、重太郎には何の益もない。むしろそれで怪我を負ったり命を落としたりすれば、旅や修行そのものが全て無に帰してしまう。ために、道中剣を振るうとすれば、理不尽な暴力や圧迫を受けて困っている人々が居るときに限られており、そんな自分が人の噂に上っているとは思いもしなかった。  だが、村々に住む人々にとってみれば、自分の剣名を上げるために私闘を繰り広げる旅の兵法者より、重太郎の方がよほど自分たちの生活に結び付いた存在であったが故に、人々の口の端に上り、行商や芸人など旅する人々が話を伝え回るため、いつの間にやら、剣名は上がらずとも武名は高まっていることを知ったのであった。
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