大坂へ、そして暗中模索の日々

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 やがて夜も更け、娘の入った唐櫃が水車小屋に到着したので、重太郎は他の村人たちに不審を抱かれないよう、素早く中の娘と入れ替わった。ちらと見たはるという娘は怯えを隠せない様子ではあったが、重太郎に深々と礼をして、小屋の中に消えた。年の頃は現在の辻と同じくらいであろう。丸顔で大柄な娘の見た目は妹・辻とは全く似てはいなかったが、重太郎としては重ね合わせずにはいられなかった。窮屈な唐櫃の中で身を縮こませながら、今回この役目を引き受けたことに改めて満足を覚えた。 ―なんにせよ、あの娘の命が助かるのなら……。まあ、今までの娘が死んでいるとも限らんが、いずれにせよ、このような悪習を断ち切ることができるなら幸いじゃ。  四人の若者たちに担がれた箱の中で、ごつごつと箱の木の板に身体を削られながら、重太郎は社殿へ据えられるその時を待った。  箱の中身が、娘から目方のある重太郎へ変わったため、四人の若者たちは山の斜面や石段を登り、社殿の中に唐櫃を据えるのを四苦八苦している様子であったが、何とか子の刻(午前零時)過ぎには運び込むことができた。  吾助は箱の蓋を少し開け、 「では、我々はこれにて引き返しますので、岩見様、よろしくお願い致します」 「うむ、お前たちも村長たちに気取られるなよ」 「はい。刻限まではまだ間がありますので、これをどうぞ」  と竹の水筒と竹の皮に包んだ握り飯を渡して、若者たちは去った。  重太郎は腹拵えを済ませ、箱から出て身体を伸ばした。これから何があるかは分からないが、いざというとき、身体の固さは命取りになりかねない。暗闇に目が慣れてきて、辺りを見回すと、社殿の中は唐櫃の他は供えられた酒や食物があるくらいで、正面奥にご神体らしき鏡が据えられているだけの、ただがらんと殺風景なつくりであった。 ―建物自体に不審なところはない。とすると、何者かがここを訪れるということか。恐らく、まずは箱の中身を確かめようとするであろうから、箱の中に潜んでおいて、そやつが開けると同時に一太刀浴びせて機先を制してやるか。  重太郎は腹を決めると、何者かがここを訪れたときにすぐに箱に潜り込めるよう、蓋をずらせて置いておき、すぐ傍で身体をほぐしたり、刀の目釘を検めたりして、ひたすらその時を待った。  自分で見当を付け、半刻ほど経ったと思われる頃には、唐櫃の中にしゃがんで待機した。  ただ待っているというのは焦れるものである。重太郎は父もよく行っていた調息を試みた。口から息を吐き、鼻から吸うをゆっくりと無理なく繰り返す。特別なことではないが、繰り返すうちに、緊張しがちな肩や背中からも余分な力が抜けていくのが解る。  やがて、社殿の外から地面や落ち葉を踏みしめる音が聞こえてくるのを、落ち着いた闘志を持って迎えることができた。
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