大坂へ、そして暗中模索の日々

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明くる早朝、まだ夜明け前といっても良い刻限、旅装を整え、草鞋を履いた重太郎の姿が、薄田家の屋敷前にあった。 「本当に、もう行ってしまうのか? せめて辻の祝言でも見届けてやったらどうじゃ?」  伯父・七左衛門は、できれば引き留めたい。というよりも、この七左衛門自身、軍蔵一味など、とうににどこかで横死しているのではないかと最近は思っているし、時々重太郎にもそれとなくそう伝えている。 「本当ですよ。辻に知らせもせず、本当に冷たい兄上だこと」  七左衛門の妻・鈴もご立腹である。  それも、ごもっともではあろうと思う。今回の旅立ちは、辻にも告げていない。七左衛門に、堀田一継との婚儀に反対しない旨、言付けただけである。冷たい兄と言われれば返す言葉もないが、重太郎にも考えるところはあった。  この夫婦には、一方ならぬ好意を受け取っている。重太郎がこの数年、旅の草鞋を履いている間、妹・辻を我が子同然に、というより我が子以上に可愛がり、婚儀が持ちあがれば、薄田家の養女として輿入れさせてくれるという。  重太郎に対しても、軍蔵らは行く方知れずということで、ここいらで一端けりをつけ、薄田家を継いでくれないか、と今回はっきりと切り出してきた。  重太郎とて、伯父夫婦には言葉にし尽せないほどの感謝の念を持っているが、彼らの温情に、ついついほだされそうになる自分が許せなかった。  確かに、どこかの大名に陣借りし朝鮮の役にでも参加して、軍蔵たちも誰かしら死んでいる可能性は大いにあるだろう。だが、経験豊富な戦場往来の古強者というのは、機を見るに敏なものである。三人まとめて横死している、といった可能性は低いように思われた。  勿論、乗っている船でも沈められていれば、その限りではないが、誰か一人でも、この世に大手を振って生きながらえている可能性があるならば、それを放置することはできない。  三人を見つけられる可能性は、多くはないだろう。しかし、この国の隅々津々浦々まで探し尽くし、結果見つからなかったと父や兄の墓前に胸張って報告する自信は、まだない。  未探索の地、西国がある。中国地方、四国、九州などは、自分はまだ探索の足を伸ばしてはいない。それであるのに、ついこの大坂の地に、辻と共に安住したくなる気持ちが兆す自分に辟易した。 ―色々なものを打ち捨てて、俺は行かねばならん。今、目前の安寧を得れば、俺は一生後悔するであろう。 「伯父上、伯母上、これまでのご厚情、誠に有り難く存じますが、今一たび、旅に出ることをお許しくだされ。今次の旅にて必ず決着をつける所存。万が一、天佑なく、軍蔵らを見つけ損なったとしても、そのときは……もう心を後に残さず、薄田の家に入るとお約束致します」 「そこまで言うなら、致し方なしじゃ。重太郎、必ず生きて帰るのじゃぞ」 「もう一度、辻の顔を見に帰ることがなければ、私が祟りますよ、重太郎殿」  門出に当たっての伯母の不吉な物言いに、叔父は顔を顰めたが、重太郎はその言いざまがかえって嬉しかった。 「必ずや本願叶え戻ります故、辻のこと、重ね重ねお願い致しまする」  慶長二年(一五九七)秋の深まる頃、重太郎は決意の探索行に再び出発した。
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