天橋立に、血の雨降り注ぐ秋

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 今一つ興味を引かれた話があった。  関ヶ原の合戦の後、それまで丹後を治めていた細川家が九州へ去り、変わって当地を治めることになった京極高知が、丹後の支配者になって以来、俄かに丹後では京流が栄え、藩主自ら武芸や軍学の教授を受けるのみならず、武士たちも上士下士問わず、城下に構えられた道場に通うようになっており、大層な隆盛ぶりであるという。  しかも、京流の中でも、父の修めた鞍馬流だというではないか。重太郎は嬉しくもあり、何故それほどまでに宮津藩で同流が流行しているのか、詳しく聞いてみたくなった。 「それは興味深いな。その、藩の指南役となっているという鞍馬流の使い手のこと、詳しく教えてもらえぬか?」  話好きな美濃屋は、我が意を得たりとばかりに、張り切って語りだした。 「よくぞ聞いてくださいました。当家の剣術師範を務めますのは、沢口新左衛門と申すお方でして、京極のお殿様がこの地に来られた直後に、お召し抱えになられたのでございますよ」 「ほう……戦が終わってから、召し抱えられた?」 「ええ、京極様は名流の大名でございますから、風雅を好むお方でございましてな。この地に入府されますと、岩見様もご存じでありましょう絶景の地である天橋立で、舟遊びをされたいと申されまして」 「うむ」 「折柄、海風が非常に強い日でありまして、土地の者たちは皆止めたのですが、御殿様はどうしても舟遊びをおやりになると言って聞かず、とうとう船を仕立てて、阿蘇海へ乗り出されたのでございます」 「うーむ。面倒な御仁だな。それでどうなった? やはり、転覆したのか」 「はい、しばらくすると、また一際強い突風が船の側舷に吹きつけましてな。船は転覆、御殿様や供の方々はじめ、皆様海に投げ出されまして、あわやというところだったのでございます」 「それでどうなった?」 「そこを通りかかったのが、沢口様ご一行でして。溺れる殿様方を海に飛び込んでお救いになり、九死に一生を得たお殿様から、命の恩人として、深く感謝された次第で。旅の武芸者とのことでしたので、即お召し抱えになられ、藩の兵法指南役となったのでございます」 「そのような経緯であったか。それでその沢田……」 「沢口新左衛門様?」 「そう、その沢口殿が京八流の一派、鞍馬流の使い手であると……」 「そうなんでございますよ。岩見様の御流儀も鞍馬流だと仰ってたんで、この話は興味がおありかと思った次第で」  美濃屋は手柄顔でにこにことしている。事実、重太郎は興味を引かれたことは確かだった。父の同門として、沢口なる人物の名を聞いたことはなかったが、漂泊の剣士である父の師・林崎甚助重信が、この国のあちこちで弟子を育てていることは、十分有り得ることである。  仇討ちが果たせず、このまま薄田家を継ぐことになるかもしれない。  だが一剣術家として、同門の成功者である沢口新左衛門という人物の知見を得ることは、自分のためにもなろうというものである。 「沢口殿ご本人は、こちらの藩の指南役であるからには、ご多忙で面会は難しかろうが、せめてご城下で開かれておるという道場に伺い、どのような稽古をしているかだけでも見てみたいものじゃ」 「それでしたらお安いこと。こちらから大手川沿いにお城の方へ歩いて行かれると、城の外郭の手前に、沢口様の道場はございます。すぐお分かりになるかと」
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