天橋立に、血の雨降り注ぐ秋

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 丁度身体も回復しつつあることでもあるし、散歩がてら道場でも覗いてみるか、と重太郎は脇差のみ差すと、軽く身支度を整え、旅籠からぶらりと外へ出た。  宮津の町並みは、大坂や江戸といった大都市と比べると賑やかなものではなかったが、細川、京極といった名流大名の統治が続いたせいか、小京都といった風情の上品な趣があった。 ―何やら住民までが雅て見えるのは、不思議なものよ……。   などと思いながら歩を進めていくと、やがて宮津城が遠景に姿を現してきた。  大手川を上手く城の外堀に利用しており、天守からは東の海側に、天橋立が一望できるはずであった。その海岸線を利用した縄張りは、重太郎に否応なしに、筑前の名島城を思い起こさせずにはおかない。  片や無骨な海上要塞、片や雅な景勝の城郭で、趣としては全く異なるものであったが、脳裏に父や家族の思い出が突如溢れ出してくるのを、抑えることはできなかった。御前試合や名島城下の屋敷で家族と過ごした日々、父や兄の突然の死……。  しかしながら、遂に宿願も果たさぬまま、時間ばかりが過ぎてしまった。懐中にある仇討ち免状を書いた主・小早川隆景も疾うに亡くなり、それどころか江戸には幕府ができてしまっている、という世の変わりようである。 ―俺とて、もう廿代半ばになろうかという齢になってしまった。最早、軍蔵らの手がかりも得られぬままの探索行も、潮時なのかもしれん。  重太郎は、父や兄に対し顔向けできないという忸怩たる思いを抱きつつも、足はいつの間にか、道場らしき門構えの建物に差しかかっていた。 藩の肝入りがあったのであろうか、冠木門と一般に呼称される門構えは、いわゆる町道場とは異なった風格がある。入り口脇に掲げられた看板には、京流兵法指南沢口道場と黒々と墨書してある。
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