天橋立に、血の雨降り注ぐ秋

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 重太郎をだしに、冗談とも本気ともつかない軽口を叩き出したので、重太郎自身は一瞬、勘付かれたかと身構えたが、単に重太郎を若輩と見て、侮っただけのことであったようだ。 「来るものは即ち迎え、去る者は即ち送る、対するものは即ち和する、一九の十、二八の十、五五の十、大は方処を絶ち、細は微塵に入る、而して活殺自在」  軍蔵は得意顔で解説を加えている。 「敵が来れば先んじて迎え撃って滅ぼし、敵逃げるときはどこまでも追い打ちして滅ぼし、敵と出会い頭に遭遇したときは和解するかのように偽って、後日討ち取る。一の力の敵は九の力で圧倒し……」  重太郎は腹が煮えくり返る思いである。やはり父・重左衛門の講義を言葉のうえでは丸覚えしているようではあるが、解釈については全くの出鱈目であった。  ―こんなものを……こんな路傍の牛馬の糞以下の代物が京八流、鞍馬流だと? 言うに事欠いて兵法軍学師範だと?  重太郎はこれ以上は自制が効かなくなりそうで、もう聞いてはおれなかった。 「気分が悪くなり申した。これにて御免」  座を立つと、そそくさと外に飛び出してしまった。  一座の者や軍蔵は一瞬呆気に取られていたが、 「まだ、あの者には難しすぎる話であったようじゃ。知恵熱でも出したに違いない」  と軍蔵が言うと、一同はどっと笑った。  重太郎は一同の笑い声を背に、もう旅籠に駆け出している。 旅籠に戻った重太郎は、美濃屋に鳴尾と大川の変名も確かめ、一晩かけて渾身の筆を振るい、添え状をしたためた。その後、翌朝、奉行所が開くと同時に、小早川隆景より出された仇討ち免状と共に、町奉行・仲村惣左衛門に差し出したのである。  これまでの経緯が委細記された添え状と、仇討ち免状を受け取った仲村は事の大事に仰天し、ただちに国主・京極高知に報告を行った。 高知とて、仰天したのは同様である。小早川隆景の出したと見られる仇討ち免状は、花押などから見ても、どう見ても本物であった。  かつ、溺れて死にかけたところを救われて、自らの藩に仕官させた兵法指南役・沢口新左衛門と師範代の村口仙右衛門、村崎小兵太が、それぞれ元小早川家の家人であった広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川八左衛門であるという。     とにかくも、事の真偽を確かめねばなるまいと、高知は三人を御前に呼び出し、確かめることとした。
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