無名の剣客、九州の地に立つ

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重太郎は当時まだ十にも満たぬ齢であったが、御前試合の様子を現在でも鮮明に思い出すことができた。否、まだ十にも満たぬ齢だったからこそ、その瞼の裏にしっかりと焼き付けられた、というべきであろうか。  勝ち抜きで行った御前試合の決勝で相対したのが、家中の兵法者など不要派の急先鋒であった広瀬軍蔵である。軍蔵は、小早川家の主筋である毛利家が行った中国地方争覇の戦いに足軽時分から付き従い、朋輩の鳴尾権三、大川八左衛門と共に、常時戦陣にあって立ち働き、物頭にまでなった男であった。 元々が膂力、体格に優れていたうえ、戦場での切った張ったで、経験的に身に着けた戦術を己のものとしていた。常に相手より先に仕掛け、より長く重量のある得物で、相手の息の根を止めるまで連続で打ち込むという、単純ではあるが、非常に効果的でもある幾つかの骨(こつ)といったものを、この男なりに身に着けている。  また豊富な戦働きから、乱戦になった折は、常に鳴尾、大川といった朋輩たちと共に孤立した敵に当たることを旨としている。このような、後世忠臣蔵の折りに採用された山鹿流兵法もどきの経験則も、自分なりに得ていたようだ。ただ、この男、当時はそれらを語るべき論理的な言葉を持っていなかっただけである。  事実、決勝に勝ち上がるまでは、無敵であった。
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