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「オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
突然。獣が吠えるような声が上がった。それがBの声だとわかったのは、Bの身体が痙攣するようにぶるぶると震え出し、Bに声をかけたAの身体ががくん、と崩れ落ちたからである。
「ぎ、ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
今度は、Aが絶叫した。さすがに楽天的だった俺とCも驚いて、どうした!?と叫び彼らに駆け寄っていく。
Aは腕を抑えて、痛い痛いと転がりまわっている。ぐるん、とBが身体ごとこちらを向いた。その目は白目を向いており、口元は血だらけになっている。そして。
その腹のあたりが、真っ赤に染まっていた。そして俺らが見ている前で、そこからデロンと何か肉の塊が飛び出してくるのが見えたのである。
それが、Bの内臓だと気づくのにはしばしの時間を要した。
「ひいっ……!?」
「お、おいB、どうしたんだよ!?どうしちまったんだよ!?」
ゆらゆらと身体を揺らしながら、こちらに近づいてくるB。その間にも、Aの痛い痛いと泣き叫ぶ声は継続している。
俺は見た。見てしまった。Aが抑える左の手首から、血が滝のように流れ出している様を。その赤の間からーー白い骨のようなものがちらりと見えている様子を。
そして、Bの真っ赤に染まった口元。――有り得ない、あっていいはずがない出来事が、一本の線で結ばれてしまう。
――まさか、Bが……Aの右手首を、食いちぎった……!?
だが、Bの方も腹の肉が抉れて中身が飛び出している。もう俺は、何がなんだかさっぱりわからなかった。薄情にも、Aを助けなければ、という気持ちよりも有り得ない事態が起きた恐怖の方が優ってしまっていた。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺とCは、一目散に逃げ出した。どたどたとBが追いかけてくる足音がする。あいつは元サッカー部だ。足はかなり速い。幸いにして俺も元陸上部のスプリンターなのでそうそう追いつけれる心配はないが、いかんせんこっちはかんぜんにテンパっている。
何より、俺はともかくCは生粋の帰宅部であったはずだ。俺よりもずっと体力がないことを知っている。
「ひい、ひいいいい!」
ただでさえ追いつかれそうだったCの足元がもつれた。それを逃さず、がばりとBがCに覆いかぶさる。腰に組み付かれ、ばたばたと暴れるC。
「た、助けてくれっ!」
だが、俺が足を止めて迷ったその瞬間、BがCの尻の肉に噛み付いていた。凄まじい絶叫が響き渡る。ばりばりばりばり、と肉が骨から剥がされるような酷い音がした。大量の血が噴き上がった。BがCの尻肉に噛み付きながら俺を見て、にいいいい、と醜悪な笑みを浮かべる。
『ヒャ、クマデ……ア、ト……』
最低と言いたければ言え。俺にはもう、善悪を論ずるだけの気力はなかった。
「いやだああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺は叫び、陸上部時代に培った足で全速力で走り始めた。お地蔵様の間を抜ける瞬間、現実逃避にも似た思考が一瞬だけ冷静さを取り戻す。
まさか、と思った。もしかしてこのお地蔵様達の顔が全部違うのは。みんな苦悶の顔を浮かべているのは――。
――嫌だ嫌だ嫌だ、死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!
俺は坂を駆け下り、トンネルの金網を抜け、ぬかるんだ地面を走り続けた。何かに取り憑かれてしまったとおぼしきBに追いつかれないよう、もうそれ以上のことは考えられなくなっていた。ぐっしょり濡れた地面で何度も転ぶ。そして顔にまで飛び散った雫が凄まじい血の臭いを放っていることに気づき、恥も外聞もなく泣き叫んでいた。
トンネルの中から呻き声がする。いくつも、いくつも声がするのだ。痛い、痛い、痛い、痛い、助けて、助けて、助けて、助けて――いつの間にか俺も同じことを呟いていた。自分の考えか、誰かの意思なのか、その境目ももうわからなくなりつつあったのである。
俺はトンネルと飛び出すと、そのまま徒歩でひたすら走り続けた。車はあったが、鍵はAが持ったまま。乗れるはずがない。
そしてひたすら走り続けた俺は、偶然通りかかったトラックの運転手に拾われて病院に担ぎ込まれたらしいのだが――残念ながら、そのあたりのことはもうよく覚えていないのだ。
ただ、今ならはっきりと言える。あそこは、絶対に生きた人間が踏み込んでいい場所ではなかったのだ、と。
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