第五話 男ふたりのファミレス飲み

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第五話 男ふたりのファミレス飲み

一  谷口とは、昼の十二時に池袋で会うことになった。  互いの自宅最寄り駅を考慮して、真ん中あたりの繁華街を選んだのだ。  待ち合わせ場所は、定番のいけふくろう。  改札を出て少し歩く。あの、シンプルなのにどこかリアルな石造りのふくろうを視界に入れると、同時に谷口の後ろ姿も目に飛び込んできた。  まだ約束の十五分前なのだが――そういえば前に谷口のバイト先の駅で待ち合わせをしたとき、やたらと早く到着してしまったのは俺のほうだった。  あの時は互いの連絡先も知らなかったから、待ち合わせに失敗したらどうしようという不安が行動を逸らせた。  俺は仕事の待ち合わせでもなければ約束の時間ぴったり到着で問題ない派だけれど、谷口は楽しみな用事であるほど気が急く派なのかもしれない。  仕事でもないのに十五分前に到着した俺が言えることではないのだが。  なんだかんだ俺も、プライベートモードの谷口と会うのを楽しみにしているのだろう。 「谷口。悪い待たせた」  谷口の死角になる場所からそっと歩み寄って、肩を叩く。  ぱっと振り返った谷口の表情は、やけに明るかった。 「千島! お疲れ」 「おー」  思わず口角がぐにゃりと上がりそうになってしまい、ぐっと耐える。  相づちだけでも軽い響きになるよう努めたが、上手くできただろうか。  しかし――まさかの事態だ。谷口の顔を見ただけで頬がゆるんでしまうとは。  これはひどく楽しそうな谷口にあてられたせいなのか、単純に俺が今日という日を楽しみにし過ぎていたせいなのか。それとも――  ――谷口とちゃんと仲直りできて、休日に会うような友人になれて嬉しいから、か。  小学生も顔負けの純粋な気持ちが、まさか自分の中に残っていたとは。素直に驚きだ。  気持ちは小学生男子。とはいえ、俺の身体となけなしのプライドは社会人である。  社会人男性として、友人としてリスタートを切ったばかりのこの男相手に、奇妙なにやけ顔を晒したくはない。  俺が表情筋を叱咤しているとも知らず、谷口は「お昼まだだよね?」などと小首を傾げている。その親しげな仕草をやめてくれ。おともだちと仲直りできて嬉しい俺の中の小学生をこれ以上喜ばせるな。 「あー、っと……昼飯、俺もまだなんだけど。何食う?」  時計を見るふりをして谷口から視線を外し、仕切り直し。 「うーん……和食ではない」 「ざっくりか」 「でもお腹は空いてるかな。朝食べてないんだよね」 「あ、それは俺も。つか起きたのがついさっき」 「俺も!」  顔を見合わせ、だよなあと互いに頷く。  せっかくの休日、ぎりぎりまで寝たいのは会社勤めもフリーターも同じなのだ。  さて――そんな貴重な休日に、友人とのんびり昼飯を食うならば。 「俺、池袋ってあんま来ないんだよな。谷口、お勧めの店とかある?」  そう問うと、谷口は困ったように視線を彷徨わせた。 「なくはないけど、そこ俺のバイト先なんだよね」 「それはナシだな。休みの日まで職場とか萎えるわ」 「理解が早くて助かります」 「いえいえどうも」  業務用の会釈をしてやると、谷口からもわざとらしい一礼が返ってくる。  顔を上げた谷口は、期待に満ちた目で俺を見て言った。 「今日は千島の行きたい店がいいな。いっつも俺が勝手に店決めてるようなもんだし」 「俺の? そーだなあ……」  谷口と一緒に行くなら、どんな店がいいだろう。  考えながら、谷口をそっと盗み見る。  今日の谷口は黒のパンツに、白のゆるいカットソー。その上に濃緑のカーディガン。  前に水道橋で待ち合わせたときのパリッとした服装とは、雰囲気が違っていた。あれはきっと、バイトの制服を兼ねていたのだろう。  ――なら今日の服装は、完全オフモードってやつか。  どうせなら、谷口もバイトのことを忘れて楽しめる店を選びたい。  谷口の好きなもの――赤ワイン?  こいつと昼から飲むのは楽しそうだけど、詳しいやつを連れていけるようなワインの店なんて知らない。歩きながらレビューサイトでも見るか? いや、ながら見で店の良し悪しを判断できる気がしない。圧倒的経験不足。  もんもんと考えていると、谷口と目が合った。  盗み見ていた気まずさをごまかすように小さく笑うと、谷口もにへらと笑う。  その顔を見ていたら、なんだか気が抜けてしまった。  ――男ふたりで飯食うのに、店選びで延々悩む必要あるか? デートじゃあるまいし。 「なあ谷口、ファミレスでバイトとかしてないよな?」  ここは、俺のフィールドに持ち込ませてもらおう 二 「二名様ですね。この時間は禁煙席のみとなりますがよろしいですか? はい、では二名様ご案内いたしまーす」  なめらかに舌の回る店員さんの背中を追って、席に着く。  昼時なのにタイミングがよかったのか、壁ぎわ4人掛けのテーブル席に案内された。 「俺、このファミレスすっごく久しぶりだよ」  正面でうきうきとメニューを開く谷口を見て、俺は自分の選択の正しさを確信した。  どうせだらだら話すだけなんだから、こういうのでいいんだよ。こういうので。  谷口が開いたメニューを横向きにして見せてくれたので、身体を軽くひねって覗き込む。  サラダにドリンクバー。パスタ、ドリア、ピザにハンバーグなどなど。  ファミレスによくあるメニューをひとまずスルーして―― 「とりあえず、これいっとく?」  にやりと笑ってアルコールのページを指させば、谷口もにまっと相好を崩した。  最近のファミレスは凄いのだ。 安くてうまい。  しかも俺たちが選んだこのファミレスは、イタリアンやスペイン風料理に特化している。 程よいワインが安く飲めるのだ。  しかし―― 「まず生?」  〈好きな酒は赤ワイン〉なんてSNSで公言する男が、こういうところの安いワインを飲んだりするものだろうか?  そう思って念のために提示したワイン以外の選択肢は、「え?」と顔を上げた谷口に、きっぱり一蹴された。 「せっかく安いんだから最初からワインでよくない? あとドリンクバー」 「俺、お前とめっちゃ友達になれる気がするわ」  ぽすんと固いソファに背中を預ける。  谷口は小さく口をとがらせて頬杖をついていた。 「今更? てか今まではなんだったのさ」 「ワインのうんちくとか語る可能性のあった男」 「言ってなかったけど、俺がバイトしてるバーってワインバーなんだよね」 「まじか」 「うんちく、ご所望なら語ろうか?」 「ぜっ、て――――やだ!」 「あはは!」  谷口の笑い声をBGMに、もそもそと身体を起こす。  そうと決まれば、さっさと注文してしまおう。俺もこいつも、思いっきり腹が減っているのだ。  谷口が、ワインのメニューを指して言った。 「千島は赤と白、どっちが好き?」 「……赤」 「俺も!」 三  先に注文した赤ワインで乾杯し、改めてふたりでメニューを覗き込む。 「俺、サラミ盛り合わせ食べたい。千島は?」 「チョリソー。あと辛旨チキン」 「肉ばっかじゃん!」 「腹減ってんだよ。あー、あとピザ食いたい。サラミピザ」 「また肉! でもピザいいな。チーズのやつ」 「ひとり一枚……いける、か?」 「いけるいける。自分を信じよう」 「だな。俺たちの胃はまだ若い」 「あ! カルボナーラも頼んでいい?」 「攻めるなあ、谷口」  俺もわりと食うほうだけれど、こいつもなかなかだ。  酒を飲みながらの会話は楽しくて、まだ何も食べていないのにワインがすすんでしまう。  注文を終えると、谷口はグラスに口を付けてながらこちらを見た。 「そういえばさ、千島って仕事とプライベートでめがね変えてたりする?」 「え? お、おう。変えてるけど」 「あ、やっぱり。今日のはお休みモードのめがねでしょ。こないだ会社帰りに店来てくれたときは、もっとシンプルなやつだったもんね」 「よく見てんな……」  さすがコミュニケーション強者、と胸のうちだけで呟く。  こういう細やかな観察眼が、柔軟な働き方をキープする秘訣なのだろうか。  素直に感心していると、谷口は何か言いたげな顔をする。  しかし、それをごまかすようにワインを飲み干した。 「いや、見てるっていうか……仕事用のもいいけど、今日のやつのほうが千島っぽい」 「そうか? まあ、仕事用のが似合ってるって言われても微妙だけどな」 「……仕事、嫌いなの?」  おずおずと聞いてくる谷口の顔には、「しまった」と書いてある。  軽く笑って、空になった谷口のグラスにワインを注ぐ。 「嫌いってわけじゃねーよ。ただ……」  仕事に対する虚無感を、どう伝えたものか。  言いあぐねていた、そのとき。 「お待たせいたしましたー」  運ばれてきた料理に、俺の関心は一気に持っていかれてしまった。  残り少なくなったワインのデカンタに目をやって、同じものをもう一つ注文する。  このペースで飲むのは危険だぞ、と脳内で警鐘が鳴ったけれど――明日も休み、という強力な事実の前では、そんなもの耳に入らなかった。 四  最初に出てきたのはサラミの盛り合わせと辛旨チキン、カルボナーラだ。  カルボナーラは谷口の手によって綺麗に二等分され、取り分けられる。  流れるような動作は俺に手を出す隙を与えず、俺はただ「どうぞ」と渡された皿をありがたく頂戴した。  そのスマートさに、感嘆の声が漏れる。 「おお、女子力」 「せめて飲み会力って言ってくれる?」  むくれた口調だけれど、くるくるとフォークを回す谷口の顔は笑っているようだ。  せっかく取り分けてもらったのだ。俺もカルボナーラから食べることにした。  ひと口ぶんのパスタを巻き取って、口に放り込む。  すきっ腹に、こってりとしたクリームと卵黄の風味が染みた。  ぶ厚くカットされたベーコンはしっとりしていて、白い脂身が赤ワインによく合う。  もちもちと咀嚼し、赤ワインで流す。  それを繰り返しているうちに、先に食べ終わった谷口がサラミに手を出した。  サラミは子供の手のひら程の直径で、ロースハムよろしく薄くカットされている。 「……え、なにこれ」  サラミを食べた谷口が、目を見開いて口元を押さえた。 「どした?」  カルボナーラの最後のひと口を飲み込んで尋ねれば、 「すっごく、おいしい」  ――とのこと。  谷口に急かされて、俺もサラミを口にする。 「あ、旨いな。赤ワインのつまみって感じ」 「だよね。しかもファミレスらしからぬ高級な味がする」 「わかる。ちょっとお高い味がするよな。スモークっぽいというか」 「そうそれ。これ当たりだなー」  そんなことを話しながらサラミをつつき、赤ワインを飲む。  ひと息ついて、改めて谷口の顔を眺めていると―― 「……なんか、不思議だよな」  自然と、そう口から零れていた。 「不思議って、何が?」 「谷口と俺が、こんなふうにファミレスで酒飲んでるのが」 「まあ、確かにね」 「喧嘩別れしてから十年後に仲直りって、ほんとにあるんだな」 「千島が俺のバイト先にご飯食べに来たのも、すごい偶然だったよね」 「そうなんだよ。俺、会社早退したの五年ぶりでさ。あの時間にあの店の前通りかかったの、まじですごい偶然だった」  やたらと感慨深く思えてしまうのは、少し酔っているからだろうか。  谷口が辛旨チキンをかじり始めたので、俺も倣う。  素揚げした小ぶりの手羽元が、甘辛いたれでコーティングされている。  サラミほどの感動はないが、安心感のある旨さだ。当たり前のようにワインに合った。  もくもくと二本食べて、ワインを飲んで、また呟く。 「高校生んときだって、わざわざ学校無い日に会ったりしなかったのにな」 「なんていうか……高校生のときよりうんと仲良くなっちゃったよね。いきなり」 「だよな。いきなりだよな」  たれでベタついた指をペロリと舐めると、谷口がペーパーナプキンを差し出してくる。 「女子力だなあ……」 「またそれ」 「気が利くなあくらいのニュアンスで捉えてくれ」  谷口の溜息は聞こえないふりをして、ナプキンはありがたく使わせてもらった。  綺麗になった指で谷口のグラスにワインを注ぎ足し、自分のグラスに残りを注ぐと、デカンタは空になってしまう。  谷口に目で問いかけると、無言で頷かれる。  俺も頷き返して、チョリソーとピザ二枚を持ってきてくれた店員さんに追加のデカンタを注文した。 「谷口、けっこう飲めるのな」 「千島もね」 「いや俺はけっこう酔ってる」 「え、大丈夫?」 「大丈夫、楽しいから」 「そっか……俺も、楽しいよ」  谷口の表情が、ほわりと緩む。  俺も酔っているせいだろうか、その顔を見ていたら――不覚にも泣きそうになって、慌ててチョリソーを口に入れた。 「今更だけどさ、チョリソーと辛旨チキンって味の雰囲気被ったよな」  ごまかすための話題だったけれど、谷口は笑みを崩さない。 「ほんとに今更だね」 「気付いてたなら止めろよ」 「そんなこと言ったらサラミピザとチーズのピザも被ってるし……それに、メニュー選んでる千島、はしゃいでて可愛かったから」 「んぐ」  場違いな単語に、喉が詰まる。  同じ年の男に可愛いとか、バカか――と茶化すタイミングを、完璧に失ってしまった。  酔った頭の動きは遅く、適切な反応できない。  俺の狼狽をよそに、谷口はなおも言葉を続けた。 「あ、なんか声に出したらほんとに千島が可愛く見えてきた」 「お……落ち着け、血迷うな。お前とタメの男だぞ? お前、自分が可愛いって言われたらどうだよ」 「えー? だって俺と千島は違うでしょ」 「どこが!」 「顔とか、名前とか……あ! 前から思ってたんだけど、千島正春って名前、響きがいいよね。可愛くない?」 「かわ……? いやいや可愛くはねーよ」 「えー、可愛いよー」 「谷口……さてはお前、酔っても顔にでないタイプだな?」 「あはは」  谷口は椅子に座ったまま、ふらふらと身体を左右に揺らす。  これは確実に酔っ払いだ。  わかった途端、真面目にうろたえていた自分が馬鹿らしくなった。  そのとき――  店員さんが、最後に注文したワインのデカンタを持ってきてくれた。  谷口に呆れる気持ちを流すように、手酌でワインを注いでぐっとあおる。 「まあ、いいや……それよりピザ食お。冷める前に」 「はーい!」  無駄にいい返事をして、谷口がチーズのピザを切り分け始める。  俺も、サラミのピザに目をやった――あれ? 「なあ、ピザに乗ってるサラミ、さっき頼んだサラミ盛り合わせと同じやつか?」 「あ、ほんとだ! すっごくおいしいやつじゃん! やったね!!」 「声がでかい!」 「やったね!」 「あー、酔っ払い困る……」  ちらりと時計に目をやると、時刻は十六時だった。  昼飯食うだけのつもりがもう十六時と取るべきか、これだけ酔っているのにまだ十六時と取るべきか。  俺が時計を見ている間に、谷口はピザ二枚分を切り分け終わっていた。  酔っていても、こいつの気遣いは正常に機能するらしい。  身体に染み付いているのだろうか。  ピザをぱくつく谷口を見て――ふと、思った。  さっきは中途半端に終わってしまった、仕事が嫌いではないが、大好きでもない理由。  少しズルいかもしれないが、今の酔っぱらった谷口になら、言葉を飾らず正直に伝えてしまっていいかもしれない。  ワインで口を湿らせて、減った分だけ自分のグラスにワインを注ぎ足して――  そして、言葉を紡ぐ。 「俺の、今の仕事さ」 「うん」 「嫌いじゃないんだけど、別に好きでもないんだよ」 「うん」  谷口がまっすぐ俺を見ている。  酔って目が座っているだけかもしれないけれど、その視線が妙に心地よかった。 「今の会社、一番最初に内定が出たから入っただけなんだ。最初は営業部で、そのあと人事部に移動になって……うちは、いわゆるブラック企業じゃないけど、黒寄りのダークグレーって感じで」 「忙しいの?」 「忙しい。残業当たり前なのに、それに文句を言う暇も……気力も、俺にはないんだよな。文句、言えばいいのにな」 「それは……」 「難しいんだよ。でも、本当に今の仕事や会社が好きなら言えるような気がするんだ。俺はけっきょく、今の仕事に対して愛着がないんだよな。五年もやってるのにさ。まあ、先着順で適当に選んだんだから当たり前なんだけど」  言い切って、ワインを飲む。  長々と喋ったせいか、一気に酔いが回った気がした。  谷口は黙って、ピザをかじっている。  その姿を見て――鞄に入れてきた、一眼デジカメのことを思い出した。  前にうどん屋で酒を飲んだときは、会社帰りだったからカメラを持っていなかったのだ。  俺の話を聞きながら、冷めかけたピザを静かに食べる谷口は――なぜだか、俺がどこかに落としてしまった人間らしい部分、そのもののように見えた。  谷口がもそもそとピザを咀嚼している間に、カメラを構えてシャッターを切る。  カシャ、という電子音につられて、ピザを見つめていた谷口がこちらを向いた。  少し驚きつつピザをくわえたその顔を、もう一度写真に収める。 「え? なんで撮ったの?」 「……なんとなく」 「なんとなくじゃないでしょ。許可のない撮影は盗撮ですよ」 「許可取ればいいのか?」 「へ? あ」 「谷口がおいしいもの食ってる写真がほしい」 「え、え……え? なんで?」 「なんとなく」 「そこを知りたいんだよなー!」  頭を抱える谷口が、無性におかしい。  ――ああ、こんな愉快な気持ちで酒を飲むなんて、いつぶりだろう。 「俺はさ、谷口の素直なとことか、ちゃんと自分で選んだ道を生きてるとことか、すげーって思ってるから。すげーって思ってる谷口が、おいしいもの食べてる写真って……すごくないか? 俺はそれがほしい」  言いながら、俺も頭がくらくらしてきた。  カメラだけは壊さないように、丁寧に鞄に仕舞う。  ワインを飲んで、また注いで、ようやくピザに取り掛かった。  飲んで、食べて、また飲んで。谷口が何か言っていて――  そこから記憶がない。
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