うさぎやと電子の海を渡るもの

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うさぎやと電子の海を渡るもの

 お客様は神様です。  そんなことを誰が口にしたのだろうか。  ここは産右(うぶう)神社のおひざ元。甘味喫茶店・うさぎや。  うさぎやのコーヒーを求め、今日も神様が店を訪れる。  なお、『お客様は神様だ』なんていう文言はこの店に限っては比喩表現ではない。  本当にうさぎやには神様がお客様としてやってくるのだ。  その日も甘味喫茶・うさぎやは常連でにぎわっていた。 「慶一郎、今日のコーヒーと菓子も旨いのじゃ!」  中学生くらいの容姿をしていつもおいしそうに食べる朔は月の神様という。 「店主殿、新作の菓子もなかなかに良いな」 「大国主様。あまり食べすぎませんように」  大国主と呼ばれた中年の腹の出た男は出雲大社に祭られる神様で、そのおつきの小柄な男性もまた、少彦(すくなひこ)という名のれっきとした神である。  彼らをはじめ数多くの神様が入れ代わり立ち代わりやってくる。  最近はもしかしたら人間のお客さんより神様がご来店なさる方が多いかもしれない。 「お客様が神様とはよく言ったものだよな」  近所の神社の跡継ぎ息子の十夜はうさぎやの状況を面白そうに笑う。 「神様でも、人間でもいいんだけど」  割と性格のおおらかなうさぎやの店主、慶一郎はおかしそうに笑う。 「父さんが思い描いたものとは違うかもしれないけど、いいんじゃないかな?」  父親が思い描いていた夢を引き継ぐ形でこの店を始めて慶一郎である。  経営はとりあえずうまくいっている。たくさんの人が支えてくれている。店にも固定客がついている。アルバイトのハジメや妹が手伝ってくれているおかげで、甘味喫茶「うさぎや」は順調だ。  問題があるとすれば、お客様が本物の神様なので、人間の常識に外れるようなことをすることである。 「ハジメ君はどう思う?」 「俺が口を出すことじゃないだろう?」  ハジメはティーソーサーに描かれているバラの花を指の先で撫でている。彼は気に入った柄があると、たまにそんな風に指で撫でて楽しむ癖がある。 「でもこの店の紅茶はハジメ君に頼りきりだから」  慶一郎はハジメの腕前を認めている。だから、紅茶に関しては全面的にハジメに任せきりである。  だから、彼もまた、店を担うものとして意見するべきなのだと慶一郎は思う。  そんな慶一郎の思いに、ハジメは小さくため息をついてから答えた。 「問題があるとすれば、一部の客が賑やかしいことじゃないか」 「あはは」  その通りだ。あまりに的確過ぎる意見に慶一郎は声を出して笑ってしまう。 「むぅ、誰がやかましいのじゃ?」  皆の視線は一斉に朔に集まったのだが……。 「わしは大人しいからのう。なぁ」  話を振られ、大国主は非常に答えづらそうな顔をする。そこで口を開いたのは従者のように彼に寄り添う少彦だった。 「確かにあなた様はご兄弟に比べれば、伝承が少ないですからね」 「じゃろう?まったくあやつらと来たら……」  困ったもんじゃのう?と問われても、慶一郎はどう返していいかわからない。 「まったく人騒がせな兄弟だ」  まぁ、俺はもう二度とかかわりたくないものだが……とこぼしながら、大国主はコーヒーに口を付ける。 「関わりたくないでしょう?あなた弟の宮に一泡吹かせましたが、高天原を統べる者にはしてやられましたからね」 「ぶふっ」  大国主は危うくコーヒーを吹き出すところだった。  そんな和気あいあいとした、神様の世界に慶一郎は相手を知るためにきちんと古事記か日本書紀でも読んでおくかなぁとふんわり考えている。  そんなぎゃーぎゃーとした店内に来客を知らせるベルの音が鳴る。 「いらっしゃいませ」  反射的に言って、来客を見る。  それはまるでアニメに出てくる登場キャラのようだった。  ピンク色の髪を頭の頂部で二つに結び、かなり短めのセーラー服を着ている。  ただの女子高校生か、神様か。  あまりに人中では目立つであろう髪の色に、気をとられていると、少女は両手を頬にあてながら、愛らしい声を出す。 「わー、久しぶり!おじ様」  少女はそう言いながら、あろうことか、カウンターに座っている朔に抱きついた。  まだ十代前半くらいの少年の外見をしている朔を「おじ様」と呼んだのだから、ますます人間一同は驚いてしまう。 「おお、タキリ。来たか」 「やーん。おじ様。めっちゃ可愛いよ。え、人間のふり?上手ー」 「タキリも人のふりをしてきたのかのう?」 「うん」 「かわいいのじゃ」  なるほど人間のふりをしているらしい。にしても、参考にするところが間違っているのではないかと慶一郎でも思ってしまう。 「やれやれ、宗像の長女か。さすがにとんちきな一族だな」  大国主は知り合いらしい。豊かな腹をゆすって笑っている。 「ひっさー」 「気軽だな……」 「妹の旦那なんてそんなもんでしょ?」  割と耳を疑うような声が聞こえた気がするが……。 「まぁ、タキリ。紹介するからこっちに来るのじゃ」  そう、朔が隣の席を叩くと、タキリと呼ばれたピンク色の髪の少女は元気よく座る。  朔は慶一郎にコーヒーと抹茶パフェを注文してから、少女の紹介を始める。 「この子は多紀理姫。わしの姪に当たる娘じゃ」 「はっじめましてー」  とても元気な女の子だ。高くかわいらしい声に、話し方もきゃぴきゃぴしていて独特である。 「宗像神社の3姉妹。あたしはその長女になりまーす」  髪の毛の色も個性的だが、話し方もかなり個性的だ。  それも彼女曰く「人間のふり」なのだろうか。 「宗像?宗像って福岡にあるあの?」  慶一郎が聞き返すと、 「そーでーす。普段はそこで神様やってまーす」 「えっと……わざわざご足労いただきありがとうございます」  そもそも神様が人間の世界に遊びに来ること自体、かなりご足労なのかもしれないが……。慶一郎はそんな風に当たり障りのない返事しかできなかった。 「おじ様がいつも、面白い匂いをさせているから、調べてみたんだけどー。うちのお供えにコーヒーもアイスもないの」  不満を言う彼女だが、なかなかにコーヒーやアイスをお供物にする神社は少なかろうとは思う。 「で、興味持ってきちゃった」 「来てしまったか」 「うふふ」 「ふふっ」  伯父と姪だからなのか?朔ととても仲がいいように見える。 「けれど、その髪はいささか奇抜過ぎではないかのう?」 「そう?かわいく盛れてると思うんだけど?」  そう言いながら、タキリはピンクの髪をなでる。 「おじ様こそ外見もショタいのに、なんでしゃべり方は老人口調なの?キャラ立ち過ぎよ」  さすがは身内。  ここにいる皆が思っても口に出してこなかったことをズバッと言ってしまう。 「えっと、こういうのー。たしか、女の子がロリババアだから……ショタジジィ?」 「なんじゃ?それは?」 「キャラづくりの話?」 「むぅ、わしはただ人間のふりをしているだけじゃ。まぁ、少しばかり神でいる時と印象が違うかもしれないぬが?」 「ねぇ、妹の旦那。これって印象が違うとかいうレベル?」 「変な呼び方をするな。多紀理姫……」  頭が痛いと大国主は顔をゆがめる。 「そもそもお前の頭は何だ……?」 「えー、最近よくこんな子見るよ?これがスタンダードじゃないのぉ?」  彼女は不思議そうな顔で首をかしげる。 「いったいどこにいる?」  その大国主の質問に、彼女はウインクで答えてみせる。 「ネットよ?知らないの?」 「ネット?」  皆が一堂に聞き返す。 「そうよ。私は海の神を父に持つ、航海の無事を願う神様。電子の海だろうとそこが海ならば、私は渡ってみせるわ」  なるほど、インターネットが彼女の「人間」の情報源か。それを思うと、そのピンク色のツインテールも何となく、納得がいく。  しかし、彼女が神様をしているさまはなかなか想像ができない。 「ねぇ」  あまりに失礼なことを考えていたことがばれたのか。少女はビシッと慶一郎に向けて指をさす。 「あなたがおじ様が話していた神様御用達のお店の店主ね。おじ様もかなりのごひいきだと聞くわ」 「ありがとうございます」  とりあえず笑顔で繕い、手元だけはしっかりと動かして、コーヒーを淹れる。後ろのハジメはそのタイミングを見計らいながら、抹茶パフェを用意してくれる。 「この店かー。ふーん。なかなか悪くないわ。今度あたしのお友達を連れてこよっかなぁ……」 「よろしくお願いします」 「ま、それには噂だけでまだ知らない味を確かめなくっちゃ。電子の海では味や臭いまでは届かないんだから」  彼女の言うとおりだ。作り方や味の感想をネットで書きこむことはできる。けれど、味を堪能できるのは実際に店に足を運んだものだけ 「お待たせしました」  ならば店主として、味でもてなすことしかできない。  お客様が人間であれ、人であれ、それは何一つ変わらない。 「この店の自慢コーヒーです」  噂の飲み物はおいしかった。人の世界で人間のものを口にすることを嫌がる神もいるが、それはそれぞれの考え方だからまぁ仕方ないのだろう。  そういう意味では自分のおじに当たる月の神はずいぶんと人になりきって、楽しんでいるようにも見える。 「タキリ……タキリ……」  今日も声が聞こえる。 「どうしたの?」  タキリは年幼い少年に声をかける。 「今日の話を聞かせてよ」  外の世界を知らぬ少年はタキリを見上げて問う。  けれど、その目は死んでいる。  外の世界に出ないのではない。彼は外の世界に出られないのだ。 「今日あった面白いこと……」  少年を助けたのはタキリだった。  電子の海を漂っているときに、偶然その声を拾った。  助けてくれと命が終わりそうな少年は最後の叫び声をあげていた。  本来であればそれを見捨てるべきだったのだ。神様は簡単に人を助けてはいけない。この国を繁栄させるために崇め奉られてるのが神。だから、最終的に神は皆のためになるように人の運命を決めている。そうやって世界を動かしている。  だから、神様の個人的な感情などで助けてはいけなかった。  けれど、タキリは電子の海でおぼれかけている少年を助けてしまった。  ただ、目の前で助けを求めていた。  その程度の理由で。  むろん、本来死ぬはずだった少年が生き延びてしまったことに怒りの声をあげる神もいた。  けれど、叔父にあたる月の神が声をあげた。 「別に良いのでは?たかだか子供の命一つ。どうせあれでは、外の世界に出られぬ」  彼は神が集まる会議の場で低い声でそう告げる。 「ならば、人の世界に影響を与えるわけではない。一人で生き一人で死ぬ。その期間が長くなっただけ」  その冷たい言葉は神はもう彼にかかわらないことを意味していた。未来にあるべき縁のすべてを断ち切ることを意味していた。  それでも。いやだからこそ、彼女は少年を助けたことを否定したくなかった。  学校にも通えず、家族にすら忘れられそうな少年にただ画面越しで世界を教える。  それは電子の海を渡り見聞きしたもの。 「今日はとっておきのものを教えてあげる」  そして今日のは特別。彼を外の世界に連れ出すためにタキリ自身が足を運んだ場所の話。  言葉だけでは、写真だけでは決して伝わらぬ、味と香り。 「それはとあるところにある、とある神様御用達の甘味喫茶のお話よ」
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