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自転車で夜を駆け抜けて、彼女は空を舞う金色のクジラを追いかけた。
月のない夜。星明りもまばらな夜空を、金色に輝くクジラが優しく照らしていく。そのクジラのもとへと彼女は自転車を走らせる。
速く。もっと速く。
ペダルを漕ぐ足は、じんじんと痛んで、もう立ち止まりたいと叫んでいる。それでも彼女は足の言葉を無視して、ペダルを力いっぱい漕ぐのだ。
速く。もっと速く。
彼に、会うために。
真っ白なシーツの敷かれたベッドの上で彼は言った。金色のクジラになって、君に会いに来ると。
金色クジラはあの世の使い。クジラはあの世とこの世を行き来して、人々の心を繋ぐのだという。
この街には、お盆の時期になるとかならず金色クジラが現れて、あの世にいる人々を送り届けてくれる。
でも、会えるのはほんの一瞬。金色クジラが、地上に降りる瞬間だけだ。
だから彼女は追いかける。金色クジラを追いかける。
速く。もっと速く。
辿り着かないと、金色クジラは行ってしまう。彼とはもう会えなくなる。
砂利の敷き詰められた急な坂を登って、町で一番高い丘に辿り着く。
彼女の体力は限界を超えて、ペダルはゆっくりと止まっていく。彼女の乗る自転車は、むなしく地面に転がった。
彼女は地面に投げ出される。体中が痛い。それでも立ちあがって、彼女は金色クジラを追う。
彼の名を叫んだ。それでもクジラは止まらない。
泣きながら、彼女は訴えた。
どうか私を連れて行ってと。
彼女にとって、彼がいない世界に生きる意味などないのだ。
クジラが止まる。空を泳いで彼女のもとへと降り立っていく。そのクジラから、金色の人影が飛び降りてきた。
彼だった。愛しい彼だった。
彼女は大きく眼を見開いて、そんな彼に駆け寄っていた。金色に輝く彼に抱きついて、彼女は泣く。彼は困ったように彼女を見下ろして、そっと彼女の頬をなでた。
彼女が大きく眼を見開く。涙のたまった眼に微笑みを浮かべ、彼女は彼と口づけを交わしていた。
丘の上で二人は踊る。
くるくるくるくる。輪舞を踊る。
闇に包まれた空は次第に明るさを取り戻して、朝の訪れを二人に告げていた。
行かなきゃと、彼が言う。行かないでと、彼女は言えない。連れて行ってとも彼女は言えない。
彼が、困るから。
だから、彼の体を放して彼女は笑顔でこう言った。
行ってらっしゃい。
そうして、金色クジラはまた空を飛ぶ。彼を乗せて、太陽の登る空へと帰っていく。彼女はいつまでも、そんなクジラを見つめていた。
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