金色クジラ

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 自転車で夜を駆け抜けて、彼女は空を舞う金色のクジラを追いかけた。  月のない夜。星明りもまばらな夜空を、金色に輝くクジラが優しく照らしていく。そのクジラのもとへと彼女は自転車を走らせる。  速く。もっと速く。  ペダルを漕ぐ足は、じんじんと痛んで、もう立ち止まりたいと叫んでいる。それでも彼女は足の言葉を無視して、ペダルを力いっぱい漕ぐのだ。  速く。もっと速く。  彼に、会うために。  真っ白なシーツの敷かれたベッドの上で彼は言った。金色のクジラになって、君に会いに来ると。  金色クジラはあの世の使い。クジラはあの世とこの世を行き来して、人々の心を繋ぐのだという。  この街には、お盆の時期になるとかならず金色クジラが現れて、あの世にいる人々を送り届けてくれる。  でも、会えるのはほんの一瞬。金色クジラが、地上に降りる瞬間だけだ。  だから彼女は追いかける。金色クジラを追いかける。  速く。もっと速く。  辿り着かないと、金色クジラは行ってしまう。彼とはもう会えなくなる。  砂利の敷き詰められた急な坂を登って、町で一番高い丘に辿り着く。  彼女の体力は限界を超えて、ペダルはゆっくりと止まっていく。彼女の乗る自転車は、むなしく地面に転がった。 彼女は地面に投げ出される。体中が痛い。それでも立ちあがって、彼女は金色クジラを追う。  彼の名を叫んだ。それでもクジラは止まらない。 泣きながら、彼女は訴えた。  どうか私を連れて行ってと。  彼女にとって、彼がいない世界に生きる意味などないのだ。  クジラが止まる。空を泳いで彼女のもとへと降り立っていく。そのクジラから、金色の人影が飛び降りてきた。  彼だった。愛しい彼だった。  彼女は大きく眼を見開いて、そんな彼に駆け寄っていた。金色に輝く彼に抱きついて、彼女は泣く。彼は困ったように彼女を見下ろして、そっと彼女の頬をなでた。  彼女が大きく眼を見開く。涙のたまった眼に微笑みを浮かべ、彼女は彼と口づけを交わしていた。  丘の上で二人は踊る。  くるくるくるくる。輪舞を踊る。 闇に包まれた空は次第に明るさを取り戻して、朝の訪れを二人に告げていた。  行かなきゃと、彼が言う。行かないでと、彼女は言えない。連れて行ってとも彼女は言えない。  彼が、困るから。  だから、彼の体を放して彼女は笑顔でこう言った。  行ってらっしゃい。  そうして、金色クジラはまた空を飛ぶ。彼を乗せて、太陽の登る空へと帰っていく。彼女はいつまでも、そんなクジラを見つめていた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!