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ブロロロロ、ブロロロロ。
音程の低い連続音を聞きながら、振動が身体を伝わり続けていた。時折、激しく上下したり、何かに当たった衝撃を感じながら、それでもグリップを強く握って、アクセルを踏み続けていた。細かな塵が煙を作って、脚に当たる度に鳴る、パパパパパ、という半濁音が気持ち良かった。そういう快楽を鼻で歌っていたら、横からビュッと風が強く当たってきたから、体勢が崩れるところだった。強い風が度々吹くのは、いつものことだが、せっかくの鼻歌を邪魔されたとあっては、さすがに苛ついた。風は、向かいから流れていたはずなのに、いつの間にか横やりに変わっていたのだ。
「変わるなら、変わると言えよ。」
と、舌打ちをしたら、後ろからお腹に巻き付くようにしがみついていた妹が、その腕の力を強めた。
お腹が締め付けられて少し苦しいと感じたが、我慢できるくらいだったから、何も言わずに、黙ってほっといた。
じりじりと照る熱い空気も、風に当てられるたびに、氷のような冷たさになる。不安定だけれど、それが幻想的で美しかった。
熱さと、たびたび訪れる冷たさ、脚に当たる半濁音、鼻歌、そして音程の低い連続音を背景に、二人の乗る三輪バイクが広大な黄金色の砂漠の上をいつまでも、いつまでも走っていた。
燃料メーターが赤く点滅してきた。燃料切れの合図だ。そろそろ休憩をしなければいけないと思い、速度をゆるめた。
ブロロロロ、ブロ、ブロ、、、、ブロ
最後にぷしゅーという音が鳴って、三輪バイクは止まった。
「兄ちゃん、何で止まったの?」
後ろでしがみついていた弟が手を離して、バイクから降りながら言った。
「燃料切れだ。」
三輪バイクの後ろには円筒状の煙突のようなものがある。そこに地面に敷かれている黄金色の砂をすくって入れれば、少し待ってから、やがてそれが燃料になってくれる。
「ブロが動くようになるまで、休憩だな。」
大きな伸びした。じりじりと空気が熱かった。伸びきって、あくびをしようと口を開けた瞬間、ビュッと風が吹くから、氷のように冷たくて、思わず、あくびが引っ込んでしまった。
ブロとは、この三輪バイクのことだ。黄金色の砂漠地帯に入る前に旅していた、硝子と瓦礫の迷宮地帯で弟が埃まみれになりながら、見つけてきた。傷や凹みがところどころに見られるが、モーターやエンジンなど大切な部位は、きちんと正常に生きていた。「ブロロロロ。」というエンジン音を聞いて、妹はこの乗り物を『ブロ』と名付けたのだ。
地面に尻をつけたら熱かった。じりじりとしたその熱さを感じながら、バイクの機体に寄りかかって、目を閉じた。この旅はいつまで続くのだろうか、と思いながら、バイクから流れるコポコポした微かな燃料の音に耳を澄ました。
「あ!兄ちゃん、見て見て!変なのがあるよ。」
しばらく気持ちよくなっていたが、遠くから妹の声が聞こえたから、目を開いて、のそっと立ち上がった。目を擦りながら、弟の方へ向かう途中も、じりじりとした熱さが尻にまとわりついていた。
「見て見て!」
妹の指している方向には、大きなクレーターが広がっていた。きっと何億何千万年前かに宇宙から隕石が落ちてきて出来たのであろう。このクレーターは、どれほど残酷で幸せな歴史を辿ってきたのだろうか、と考えてみたら、果てしない感覚におそわれた。
落ちないように、大きなクレーターの縁に寝そべって、底の方をよく見てみた。底には、ところどころに棒ようなものが真っ直ぐと立っていて、先端には長方形の袋が、風も吹いていないのに、たなびいているのを発見した。
先ほどから妹はこれを指して、変なのがある、と主張していたのだ。
「あれは、なあに?」
「あれは、『コイノボリ』という生き物だ。」
「生きているの?」
「ああ、生きている。」
コイノボリの袋の口の側には大きな目があって、ギョロギョロとあちらこちらを眺めていた。
「ただ、彼らは生きていることを知らない。」
リュックに閉まっていた小型スコープを弟に渡した。
妹は、手で地面の砂をつまんで、さらさらと落とす仕草をしながら、あの生き物はこの砂とおんなじなんだね、と言ってから、小型スコープを覗いた。
この世界のものは、ほとんど全て生きている。この黄金色の砂も、硝子も、瓦礫も、ブロだって生きている。ただ、自分が生きていることを知らないだけ。
「コイノボリさんたちは、口を開けて何をやってるんだろう。」
小型スコープを覗きながら、弟が言った。
「きっと、『ジガ』が欲しいんだ。」
「『ジガ』ってなに?」
「『ジガ』が強ければ、強いほど、自分を実感できるんだ。」
それでも、このコイノボリたちは、目をギョロギョロさせていることから、きっと砂や瓦礫よりも高度なジガを持った生き物なのだろう。
うつ伏せなった状態だから、地面の熱さがじりじりと熱い。耐えきれなくなって、あぐらをかいた。すると、突然、風が吹いて、氷のような冷たさを感じ、苛ついた。
氷のように冷たい風に反応して、全部のコイノボリが風の方向に尾を向けた。
「あ、プックリフウセン!」
と、妹が驚いた。
風に乗せられながら、大きくて丸い、針でつついたら破裂してしまいそうな、ピンクの生き物が、どこからか、たくさん流れてきた。
クレーターの底まで流れ、コイノボリの上下左右を通過しているうちに、幾つかが、カポッという音とともにコイノボリの口の中へ入った。
するとコイノボリは瞬時に口を閉じて、ジュッという、焼けたような音を発してから、口をゆっくりと開いてのけた。プックリフウセンを食べたのだ。
でも、コイノボリは自分が他者を食したことも、殺したことも知らないのだろう。対して、プックリフウセンもまた、自分が他者に食べられたことも、殺されたことも知らないのだろう。
「あたしたちには、『ジガ』はあるの?」
「ああ、俺たちは『強いジガ』を持っている。」
妹は、小型スコープのピント調節ねじを回して遊んでいた。
「ただ、俺たちは生きていない。」
「兄ちゃん、あたしたちは生き物じゃないの?」
比較的高度なジガをもった、コイノボリとプックリフウセンがいるということを考えると、旅の方向はあっているはず、と確信した。
「ああ、俺たちは、どうやら『ロボット』というらしい。」
「あたしたちは、自分が生きていないことを実感できるんだね。」
妹のピント調節ねじに対する遊びが乱雑になってきたから、旅を始めようと思い、弟に休憩は終わりだと告げて、立ち上がった。風が吹いて、氷のような冷たさを感じ、苛ついた。
いつまで旅は続くのだろうか。
ブロがいるところに戻ると、そこには十匹ほどの紫色の毛を呈した、耳の長い小型の生き物が、ブロの煙突に蓄えてある燃料を食べていた。
「兄ちゃん、あれ、なに?」
「霧ウサギだ。あれは、自分が生きていることを実感している。強いジガを持った生き物だ!」
霧ウサギは、ピクッと長い耳をこちらへ向けてから、一瞬こちらを見つめて、それからぴょんぴょんと跳んで、黄金色の砂漠を走り去っていった。
「急げ!追いかけるぞ!」
妹の手を引いて、三輪バイクへ股がり、エンジンを入れた。
「兄ちゃん、燃料、食べられちゃったよ。」
妹が、後ろからお腹に巻き付くようにしがみついた。
お腹が締め付けられて少し苦しいと感じたが、それどころではなかった。
「追えるところまで、追うんだ!」
やっと見つけた強いジガを持った生き物、霧ウサギ。この機会を逃してはいけない。
旅はもうすぐ終わる。
きっといる。
何よりも強いジガを持った生き物、
『ニンゲン』が、きっと見つかるはずだ。
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