07.ウェスタン・ウェアウルフ

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07.ウェスタン・ウェアウルフ

 マリーと別れてホテルを出た後、俺はどうやって親に気づかれず家に入るかを考えながら歩いていた。  いくらなんでもこんな時間まで家に帰らなかったのはさすがにマズい。下手をすると心配した親が予備校に問い合わせの電話をして、サボりのほうまでバレている可能性もある。  こうなったら両親が寝ているうちにこっそりと自分の部屋に戻り、朝になったら“え、日付(ひづけ)が変わる前には帰って寝てましたけど?”みたいな顔をしてとぼけるしかない。予備校をサボったことに関しては、バレていないことを神に祈ろう。 (うーん、これならそんなに急いで出てくる必要もなかったかな? よく考えたらまだ五月なんだから、夜明けはせいぜい五時を過ぎてからだし。まさか(うち)まで歩いて三十分もかからないとは思わなかったよ)  意外にも、俺が担ぎ込まれていたのは家からそう遠くない場所にあるラブホテルだった。高速のインターチェンジを下りてすぐの、幹線道路から裏通りに入ったところ――地方ならその手のホテルがよく建っている場所だ。  外に出てまず驚いたのは、まだ午前四時にもかかわらず街の景色がやたらとよく見えることだった。元々明るい街灯の下はもちろん、空き地の茂みや家同士の隙間など、今までなら見えなかったはずの暗がりまでが昼間のようにはっきりと見える。 (もしかして、これも吸血鬼の能力なのか? まるで赤外線暗視装置(ノクトビジョンゴーグル)でも着けてるみたいだ)  真夜中なのにこんなに明るいと、逆に日中は(まぶ)しくて目を開けていられないんじゃないだろうか。夜が明けたときのことが少し心配になるが、とりあえず今は足元に気をつけなくてもいいのがありがたい。  そうして俺が家まであと百メートルほどのところまで帰ってきたとき、 (――ん?)  俺の歩いている道の先に、丁字路をゆっくりとした足取りで横切っていく男がいた。  こんな夜中に住宅街を歩いている人間は少ないので、自分以外に人がいれば目を引かれるのはごく自然なことだろう。しかし俺がその男に対して妙な違和感を覚えたのは、そいつの風体があまりにも異様だったからである。  なによりもまず、背の高さが尋常ではなかった。百八十センチ近くある俺よりもまだ頭一つ分は大きく、おそらく二メートルを超えているに違いない。  さらに異様なのは西部劇に出てくるガンマンのような帽子にポンチョ、そして足には拍車つきのウェスタンブーツという格好だ。おまけに口元を黒いマフラーで隠していて、あれではパトロール中の警官に出くわした時点で職質は免れないだろう。 (なんだあのおっさん……。なんかのコスプレか、それともちょっと頭がアレなのか?)  そのとき、男がふと立ち止まってこちらに視線を向けてきた。正直かかわりたくないので目を()らそうかとも思ったが、この手のやつは熊やライオンなどの猛獣と同じで、逆にそうするほうが危ないような気もする。  俺がその男からしばらく目を離せずにいると、突然そいつの体がふわりと宙に浮き上がった。地面からほんの二十センチほどではあるものの、全くのノーモーションだったので本当に浮いたのかと思ったほどだ。  そして次の瞬間、男のいるほうから  ―― ぼんっ ――  という、車が壁にバンパーをぶつけたような音が聞こえてきた。  周囲に響き渡るほど大きくはないが、重くて低い音だ。 (――あれっ?)  奇妙な服装をした男の姿は、俺がその音に気をとられた一瞬のうちに見えなくなっていた。  あのまま道を横切っていった可能性もあるにはあるが、それにしても消え方が唐突すぎる。あのおかしな格好といい、もしかすると今のは幽霊か幻の(たぐい)だったのだろうか。  そう思った俺が目を(こす)り、首をかしげていると―― 「なんだぁ? ようやく若いやつの肉で口直しができるかと思ったら、同族かよ」 「なっ!?」  いきなり後ろから声がして、俺は思わず後ずさりしながら振り向いた。すると今しがた消えたはずの大男が、いつの間にかすぐ目の前にいる。  さっきこいつがいた場所からここまでは、少なくとも三十メートルはあったはずだ。それなのにこの男はそれだけの距離を一瞬で詰めてきて、あまつさえ俺の後ろに回り込んだっていうのか? 「ふぅん……その匂い、まだ転化したての新生者(ニューボーン)ってところか」  男がそう言いながら、口元を隠していた黒いマフラーをぐいと下げる。  その下から現れたものを目にしたとたん、俺は驚きのあまり腰を抜かしそうになった。 「…………っっ!」  男の顔は、目から下の部分が異常なほど前に突き出していた。耳の近くまで裂けた口元からはずらりと並んだ牙がわずかに見えていて、小さな黒トリュフのような鼻はじんわりと濡れている。これではまるで狼男だが、顔の上半分は人間のままなので、むしろそれよりも気持ち悪い。  俺のことを同族、そして新生者(ニューボーン)と呼んだことから考えると、おそらくこいつも吸血鬼なのだろうが……。 「もしかして、あんたも吸血鬼なのか? その……なんつーか、俺とはちょっと違うみたいだけど」 「ふん、まあな。いいか小僧、俺は今日からしばらくこの町を狩場にすることにした。別にナワバリを主張しようってわけじゃねえが、俺の食餌(しょくじ)の邪魔をするなら容赦はしねえから肝に銘じとけ」  こっちの声が若干震えているのに気づいたのか、男はぞっとするような笑顔を浮かべながら一方的にそう告げると、再び口元をマフラーで隠して俺の前から去っていった。  ほんの一分足らずの邂逅(かいこう)ではあったが、その間に二~三年ほど寿命が縮んだような気がする。いや、今の俺は不老不死なんだからそんなはずはないんだが。 (あー、ビビったぜ。それにしても、この町はいったいどうなっちまったんだ? まさか二日も続けて吸血鬼なんてもんに出くわすなんて……)  そう、昨日からなにかがおかしい。  これまでの俺の人生は、多少嫌なことはあれどおおむね平凡なものだったのに。あの地下鉄の駅でマリーが転化させた屍鬼(グール)遭遇(そうぐう)してからというもの、常識では考えられないようなことばかり起こっている。  おかしくなってしまったのはこの町のほうなのか、それとも俺の運命そのものなのか。まだ判断はつかないが、これ以上ヤバそうなことに巻き込まれるのは勘弁してほしいところだ。 (まあいいや、とりあえず今はこっちが大事だ)  俺は自分の家の前まで帰ってきて、まずは玄関のカギを開けることにした。とにもかくにも、この第一関門を突破しないことには話が始まらない。 (んん?)  家のキーを差し込んでゆっくりと回したところで、俺は妙なことに気がついた。ロックを外す方向にキーを回したはずなのに、なんの抵抗もなくシリンダーが回りきってしまったのだ。  試しにキーを逆方向に回してみると、今度はカチャリと音を立ててロックがかかる感触があった。つまり、カギは最初からかかっていなかったのである。 (おかしいな……いくら俺が帰ってないからって、母さん夜中にカギを開けっぱなしにするような人じゃないはずなんだけど。かといって、こんな時間にまだ起きてるわけもないし……)  もう一度カギを開けて家に入ってみると、中は当然のように真っ暗だった。だが吸血鬼になってしまった今の俺には、電気を点けなくても部屋の様子がよく見える。 (な、なんだこりゃ!?)  玄関から入ってすぐのリビングには、なにか生々しいものがいくつも散乱していた。  ぐちゃぐちゃになった肉の(かたまり)のようなものや、落として壊れた陶器のような骨の欠片(かけら)。そしてわずかに白いものが混じった、人間のものと思われる毛髪――  それらがかつて『人間だったもの』の残骸だと気づいたとき、俺の脳裏に先ほど出くわした狼男の姿が思い浮かんだ。 (まさか……!)  その先は考えたくはなかった。  今、目の前にあるものが自分の両親の成れの果てだとは、どうしても認めたくはなかった。  しかしどれだけ頭の中で否定しようと、状況から考えてそれ以外にはありえない。この世のありとあらゆる不幸がそうであるように、動かしがたい現実というやつは自分がどんなに嫌だと(わめ)いても変わらないのだ。  そしてその事実を認識した瞬間、俺は今まで上げたことのないような声で――――叫んだ。
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