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08.再会
その日の朝、俺は警察署の取調室で事情聴取を受けていた。俺の両親が惨殺された事件の容疑者として、まず死体の第一発見者である俺自身が疑われたのである。
警察を呼べばこうなることは予想していたので、俺は特に驚きもしなかった。あのときは他にどうすべきか思いつかなかったというのもあるが、こうして事情を説明しなければもっと面倒なことになっていたはずだ。
とはいえ取調べは思っていたほど厳しいものではなく、俺の扱いはあくまで重要参考人という感じだった。なにせ現場の状況があれだったので、警察も俺のような未成年が犯人だとは考えていないのかもしれない。
「ふむ……つまりきみが帰ってきたときには、すでに家の中はあの状態だったということだね?」
「はい」
五十歳ぐらいと思われるスーツ姿の警察官が、安っぽいボールペンで供述書に俺の証言を書きとめていく。
制服ではなく私服を着ているところを見るに、おそらくこの人は刑事なのだろう。こんな書類の作成まで部下に任せず自分でやろうとするあたり、かなり仕事熱心な人であることがうかがえる。
「しかし、きみはあんな時間までどこでなにをしていたのかね? きみが地下鉄の駅についたのは午後十一時ごろだったというが、それから家に帰るまでずいぶん間が空いているじゃないか」
「駅で外国人の女の子と知り合った後、なんていうか……その……いわゆるラブホでアレしてました。たぶんフロントの防犯カメラに出入りしたときの映像が残ってるはずですから、調べてもらえば俺のアリバイは立証できると思います」
「ふぅん……あまり感心しないねぇ。こんな言い方はしたくないが、未成年が知り合ったばかりの少女と、それもご両親があんなことになっているときに夜遊びとは……」
刑事が“まったく最近の若い者は”とでも言いたげな表情で、呆れたようにため息をつく。
そんなことを言われても、自分がいない間にあんなことが起きているなんて誰が想像できるというのだろう。それにもしマリーに出会うことなくいつもの時間に帰っていたら、きっと俺も両親と同じような形で殺されていたに違いない。
「し、失礼します!」
そのとき、いきなり取調室のドアが開いて若い警察官が入ってきた。なにやらえらく慌てているようで、その表情には明らかなあせりの色が見える。
「おい、ノックぐらいせんか」
「すいません警部、先ほど鑑識のほうから連絡があったんですが――」
若い警官が身をかがめ、椅子に座っていた刑事になにか耳打ちする。それを聞いた刑事の表情はみるみるうちに険しくなり、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「如月輝月くん、だったね? きみの容疑はたった今晴れたよ。ご両親の遺体を調べた結果、きみのものとはまるで違う型のDNAを持つ唾液が検出されたそうだ」
「唾液……ですか」
「うむ、遺体の一部に人間のものとは思えない歯形や爪痕が残されていたんでね。鑑識に調べてもらったんだが、やはり今回の事件は猛獣の仕業ということになりそうだ」
「猛獣って……じゃあ俺の親父や母さんは熊にでも襲われたってことですか?」
「そういうことになるな。だが、一つだけ妙なことがある」
「妙なこと?」
「きみのご両親の遺体はかなり損壊が激しかったんだが、どうも肉を喰らうために噛み裂いたという感じではないんだよ。ただクチャクチャと咀嚼して、血肉の味を楽しんでから吐き出したような……」
「…………!」
「実際のところ、現場の状況も二人の人間があんな形で殺されたにしては血痕が少なかった。もしもあの犯行が猛獣によるものだとするならば、熊やライオンが襲った人間の血だけを啜り、肉は吐き捨てるなんてことがあると思うかね?」
「確かに、そんなこと普通はまずありえませんね」
「ああ、これでますますわからなくなった。そもそもあんな住宅街のど真ん中に大型の猛獣が出没するとは考えにくいし、かといってきみが家の近くで見たという妙な格好の男が犯人だとすれば、逆に今度はあの歯形の説明がつかなくなる」
初老の刑事はそう言いながら白髪混じりの頭をわしわしと掻いていたが、むしろ俺は今の話を聞いて確信した。間違いない、俺の両親を殺したのはやはりあの狼男だ。
「警部、実はもう一つ報告すべきことがありまして……」
先ほど取調室に入ってきた制服姿の警官が、俺たち二人の会話が途切れるのを待っていたかのように別の話を切り出した。
この人はさっきからどうも落ち着かない様子だったので、きっと報告のメインはこっちなのだろう。
「なんだ?」
「実はこの事件について、例の組織から人が派遣されてきています。そちらの少年にも話を聞きたいということで、部屋の外でお待ちいただいているのですが……」
「馬鹿もん、それを早く言わんか!」
「も、申しわけありません! それではすぐに呼んでまいります!」
若い警察官は刑事に一喝され、弾かれたように部屋の外へと飛び出していった。
それにしても、『例の組織』ってのはなんのことだろう?
「うーん……」
残された刑事が腕を組み、口を真一文字に結んでうなっている。しかしその表情は先ほどまでのように険しいものではなく、どこか無気力な感じにも見えた。
「どうかしたんですか?」
「詳しいことは今からここに来る人に聞いてくれたまえ。最初は少し戸惑うかもしれないが、少なくとも我々よりはきみの力になってくれるはずだ」
刑事はそう言って椅子から立ち上がると、先ほどの若い警察官を追うように取調室から出ていってしまった。まるでこの事件はもう自分たちには関係ないとでも言わんばかりの態度だが、もしかするとさっき言ってた『組織』ってやつと関係があるのだろうか。
「失礼するわよ」
俺が開かれたままのドアを凝視して固まっていると、刑事と入れ替わるようにして誰かが取調室に入ってきた。
「あんたは……」
「あら?」
その人の姿を目にしたとき、俺は自分の目を疑った。そこに立っていたのは、なんと俺が昨日屍鬼に襲われそうになっていたところを助けてくれたアリシアさんだったのだ。
もう二度と会うことはない……と思っていたわけではないが、まさかこんなに早く再会することになるとは。
「奇遇……というべきなのかしら。まさか被害者の息子さんというのがあなただったなんてね」
「ああ、ほんと妙なめぐり合わせもあったもんだ。だけどあんたがここにいるってことは、やっぱりこの事件は吸血鬼がらみなのか?」
「ええ、おそらく十中八九はね。でもあなた、よほど不死の化け物に縁があるのね。もしもこの事件が本当に吸血鬼の仕業なんだとしたら、あなたが出会った吸血鬼は二人目ってことになるもの」
そう言われた瞬間、背中に氷柱でも押し当てられたのかと思うほど背筋がぞくりとした。
あの狼男以外に俺が出会った吸血鬼といえば、間違いなくマリーのことだ。ここでその話が出てくるということは、この人は俺があいつに出会ったことを知っているのか?
「ふ、二人目ってなんのことだよ?」
「もちろん一人目っていうのは昨日私が追ってた吸血鬼のことよ。あれから駅の中をくまなく探したんだけど、どうしても見つからなくてね。最後にダメ元であなたが歩いていったほうを調べてみたら、出口の近くにあるエレベーターの中が血まみれになってたわ」
「へ、へぇー、そんなところに隠れてたんだ」
「とぼけるのはやめなさい。あなた、あの吸血鬼に血を吸わせてやったでしょう。後で防犯カメラの映像を確認したら、あなたがあの女を抱き起こしてるところが映ってたわよ」
ヤバい、全部知られている。ということは、この人は俺が吸血鬼になってしまったことも知っている?
いや、そこまでバレているなら俺はすでに銃を向けられているだろう。この人がここにいるのはあくまで別件、瞳の色が赤くなったり牙を見られたりしない限りは大丈夫なはずだ。
「いやぁ、なんか俺そのへんの記憶が曖昧でさ。エレベーターのドアを開けて、気がついたら公園のベンチで寝てたんだよね。あ、警察に疑われたくないからそのあたりは適当にごまかしたんだけど、そこはナイショにしといてよ?」
「ふぅん……催眠術にでもかけられたのかしら。まあ、あのポール・アズナヴールの娘なら同じ能力を持っていてもおかしくはないわね」
苦しまぎれの口から出まかせではあったが、どうやらアリシアさんは今の嘘で納得してくれたようだった。マリーの血統がそういった能力を使えるというのは彼女たちの間でも知られていて、それが図らずも俺の言葉に真実味を持たせてくれたらしい。
「あの女がどうしてあなたを殺しもしないで解放したのかは気になるけど……まあいわ。それよりも、あなたが見たっていう不審な男の話を聞かせてちょうだい」
それまで俺を見下ろすように立っていたアリシアさんが、先ほどの刑事が座っていたのと同じ椅子に腰を下ろす。
よし、こうなったら逆にこの人からあの狼男の情報を引き出してやろう。下手なことを口走れば俺が吸血鬼であることを悟られてしまう可能性もあるが、上手くいけばやつの居場所ぐらいは知ることができるかもしれない。
彼女の長い脚がからみつくように組まれるのを眺めながら、俺は緊張感とスケベ心の入り混じった唾をごくりと飲み込んだ。
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