02.銀の弾丸

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02.銀の弾丸

「ガフッ……!」  地獄の亡者みたいな顔をした老人が、口から血を吐きながら床にひざまずく。  少し遅れて、花火の煙を吸い込んだときのような臭いが俺の鼻をついた。今の大きな音は、どうやらアリシアさんが持っていた銃の発砲音だったらしい。  彼女が放った弾丸は、ものの見事に老人の胸を貫いていた。ちょうど体の中心から向かって少し右寄りの、胸骨を避けて心臓に達する位置だ。 「すげぇ……」  人が人を銃で撃つという衝撃的な光景を目にしたにもかかわらず、俺はそのことよりもアリシアさんの腕前に驚嘆(きょうたん)していた。  わずか十メートル足らずの距離だったとはいえ、ライフリングもないマスケット銃であれほど正確に心臓を撃ち抜くなんて、実際かなり難しい芸当のはずだ。  あの老人と同じような服装をしていることといい、この人はいったい何者なんだろうか? 「ウ……かかっ……ぐカカカカカカカ…………!」 「な、なんだ?」    俺がアリシアさんの後ろ姿に見とれていると、うずくまっていた老人が突然奇妙な声を上げ、ガクガクと震えだした。 「ご……ガガっ……! ウごぁぁぁぁぁぁ!」  老人は白目を剥いて、まるで何かの発作を起こしたみたいに床の上で跳ね回っている。  そのうち、老人の顔や手足から白い煙が上がりはじめた。さらにその体が乾いた土塊(つちくれ)のようになって、ボロボロと崩れていく。 「なんなんだよ、あれは……」 「あれが屍鬼(グール)になった人間の末路よ」 「屍鬼(グール)?」 「吸血鬼に血を吸い尽くされて死んだ者は自我を失い、血肉を求めて無差別に人を襲うようになるの。彼らには太陽の光を浴びて灰になるか、我々のような不死者狩(アンデッドハンター)りに銀の弾丸を撃ち込まれてああなるか、二つに一つしかないのよ」  アリシアさんは初めて俺の問いに答えてくれたが、その内容はとても信じられないものだった。  吸血鬼にせよ、それを狩る人間にせよ、今の時代にそんなものがいたらネットで噂にならないはずがない。つまり、どう考えたってありえないのだ。 「吸血鬼って……ファンタジー小説や映画じゃあるまいし。人間観察バラエティの撮影か何か知らないけど、そりゃいくらなんでも設定が突飛すぎるんじゃない?」 「あなた、目の前で屍鬼(グール)が灰になる瞬間を見ておいてそれを言うの?」 「た、確かにそうだけど……」 「ふん、まあいいわ。そういう人間のほうが日常に戻りやすいでしょうからね。いい? 今見たことは全て忘れてしまいなさい。そうすれば我々もこれ以上きみに関わることはないし、手荒な真似もしなくてすむわ」  アリシアさんは厳しい表情でそう言うと同時に、右手に持った銃を俺の喉元に突きつけてきた。  古いマスケット銃は単発式なので弾はもう入っていないはずだが、逆らうのならただではおかないという圧力だけはひしひしと感じる。 「手荒な真似って、どうして俺がそんな脅しをかけられなきゃいけないんだよ」 「想像してみさない。仮にきみが今日のことを誰かに言いふらして、吸血鬼や屍鬼(グール)なんてものの存在が世間に広まったらどうなると思う?」 「そりゃあパニックに……いや、ならないでしょ。こんな馬鹿げた話、誰も信じやしないって。実際に見た俺でさえまだ半信半疑なのに」 「普通に考えればそうでしょうね。でも我々のように裏でやつらを狩っている組織としては、わざわざ社会に混乱を招くような真似をされても困るのよ。それで……忘れてもらえるの? それとも学校のお友達にでも話すのかしら」  アリシアさんが切れ長の目をさらに細めながら、俺の顔をぎろりと(にら)みつけてくる。  上目使いというにはあまりにもおっかない目つきだったが、彼女があまりにも美人すぎるせいか、むしろ別の意味で背筋がぞくりとした。 「……わかりましたよ。誰にも言いませんって」 「そうね、それが賢い選択というものよ」  別にアリシアさんの放つ殺気にビビったわけではないが、俺はとりあえず彼女の言葉に従っておくことにした。  そもそも誰かにこんな話をしたところで、変なクスリでもやってるのかと思われるのがオチだ。 「素直に言うことを聞いてくれて助かるわ。もしもこちらの忠告に従わない素振りを見せるようなら、あなたを拉致(らち)して記憶を消さなきゃいけないところだったもの」 「なっ? ……そんな物騒(ぶっそう)なこと考えてたのかよ」 「ちゃんと口封じをせずに目撃者を帰すなんて、本来ならありえないのよ。でも今は本命の吸血鬼を追わなきゃいけないから、今日だけは特別に見逃してあげるわ。きみはこのまま普通の人生を送って、せいぜい長生きしなさい」  アリシアさんはそう言ってわずかに微笑むと、俺に背を向けて駐輪場の奥へと歩いていってしまった。おそらく仲間の神父を怪物に変貌させた吸血鬼とやらがあっちにいるとみて、そいつを倒しにいくつもりなのだろう。 「はぁ……」  あちこちが血まみれの通路に(ひと)り取り残され、思わずため息がこぼれる。  なんというか、わずか数分の間にとんでもない体験をしてしまった。  目の前で人が殺されるのを目撃するなんて、この日本では一生に一度あるかないかだろう。いや、一度も見ることなく人生を終える人間のほうが多いはずだ。  それにあのアリシアって人、仮に目的の吸血鬼を上手く退治できたとして、被害者の死体や血痕の後始末はどうするんだろう? 防犯カメラの映像には俺の姿も映っているはずだが、まさか後で警察がうちに事情を聴きにきたりしないだろうな。 (ま、今そんなことを心配してもしゃあないか。あの人たちは誰にも知られないように活動してるみたいだし、そのへんはきっと上手くもみ消してくれるだろ)  これ以上おかしなことに巻き込まれないためにも、とりあえず今はさっさとこの場を立ち去ったほうがいい。  アリシアさんの後ろ姿が見えなくなるのと同時に、俺は彼女が向かったのとは反対側の通路へと歩きだした。 (お、ラッキー。ちょうどエレベーターが来てる)  しばらく進んで出口へと続く階段の前まで来てみると、右のほうに伸びた横道の奥にエレベーターが停まっているのが見えた。  この駅は地下のかなり深いところに作られていて、ビルでいえば三階か四階分くらいは階段を上らないといけない。しかもそれが自転車を押しながらとなると若者でもきついので、駐輪場を利用する乗客のために大型のエレベーターが設置されているのだ。  これに乗れば息を切らして階段を上ることもなく、あっという間に地上へ出られる。  俺は迷うことなく横道に逸れ、エレベーターの脇にある『△』マークのボタンを押した。その行動が、自分の人生を大きく変えてしまうことも知らずに――
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